2007年12月31日月曜日

新しい出会い


2007年も本日で終了。
同じような毎日であっても、明日からは2008年のできごととなる。

さて、今年もまた新しい出会いがたくさんあった。



ラジオ番組を作っていて、毎週、違うゲストが出演するので、それだけでも50人以上の方との出会いがあった。
その方たちのお話を聞くことができただけでも、感動があった。
そして、話を聞くだけでなく、それ以上に楽しかったのは、インタビューに伴って、新しい体験ができたことだ。

◆絵手紙の達人の話をお聞きして、手書きで書くはがきの楽しみを思い起こした。
◆パソコン修理の達人には、実際にうちのパソコンの調子を見ていただいた。
◆福祉製品のネット販売のお話を聞いて、おいしいチーズケーキを買ってそのおいしさを味わうことができた。
◆街の小さなコーヒー豆屋さんにも出かけてみた。
◆アフリカンドラムが好きな編集者さんとは、激しいアフリカンダンスを一緒に踊って汗を流した。
◆ギターが趣味の学生が出演した後には、彼のライブにも行ってみた。
◆空手の先生をしている人のことを知りたくて、道場を見学しに行って、押忍! というあいさつにびっくりした。
◆盆栽の名人からはピラカンサのミニ盆栽を頂いた。
◆そしてみんなの夢ツリー実行委員長の話を聞いて、そのイベントにも参加することになった。

ほんのちょっと思い出すだけでも、ゲストとの出会いで、こんなにいろいろの体験をさせていただき、感謝感謝。

それぞれの皆様の人生のほんの一部をかじっただけだが、それが地域のリスナーに届き、そして自分自身にも戻ってくる。
それが楽しみで、ここまで続いてきたのだろう。

ただし、最近、「としちゃんって知らない人にでも、すぐに何でも聞きたがるのね」と立て続けに、何人かに指摘されて、自分ではそれほど意識していないのに、どうもそれは職業病なのかな、とも思えてきた。
でも、「あなただと話しやすいので、ついつい話してしまう」と言われるのは確かに嬉しいものだ。

私自身はそれほど「人が大好き」という人種ではなく、一人でいてもまるで苦にしない人間なのだが、自分が知らない世界の話を聞くのは大好きだ。
それがタイルの話であっても、人形制作の話であっても、興味は尽きない。
相手の方が、私のことを安心感を持って受け入れてくれて、何でも話していただけると、とても嬉しくなるのだ。



そしてもうひとつの出会いは、ネットを通しての出会いだ。
MIXIを紹介されて、その世界に入ってみた。
こちらではコメントをするほうが多いのだが、いや~、世の中にはいろいろな人がいるものだとつくづく思った。

そして2007年の最大の出会いは、高校生時代の友人達とのブログ上での再会だ。
人生のほんの3年間を一緒に過ごしただけで、こんなにいろんなことが共有できるとは、想像もしなかった。

私の今の興味の対象は「人間の記憶がよみがえる時の仕組み」を知りたい、ということなのだが、どうして昔のことは、一瞬にして、ぱーっと思い出されるのだろう。
それは何十年も経った後の、高校生時代のできごとが目の前に展開する時の驚きをなんとか科学的に理解したい、という単純な理由からきている。

そしてそのブログでの出会いから、また新たに輪が広がっていくことができて、それも楽しい。

ネットといえば、私の仕事はネットが繋がらないと始まらない。
仕事の命令や依頼はすべてメールで処理されている。電話など一年に1回あるかどうかという世界だ。

そのメールを一番多くやりとりしていた方と、今年、北九州で、3年目にしてようやく顔を合わせることができた。
お会いした瞬間、お互いに「もっと若い人だと思っていた」と言うのがおかしかった。
とても信頼のおける方なので、メールだけのお付き合いでも問題はなかったのだが、やはり直接顔を合わせると、それ以上に感情が共有できるのは嬉しいことだ。

今の私はネットが繋がらないと生きていけない。
仕事も趣味もみんなネットに依存している。
こんな状況になるなんて、それこそ高校生の頃には思いもしなかったことだ。

さて、2008年はどんな新しい出会いがあるのだろう。

2007年12月30日日曜日

東京タワー


今回の年末年始は、もろもろの事情で、まるでそれらしくない。
大掃除もせず、料理も準備せず、年始の挨拶に行く予定もない。
なんのしがらみもなく、私には自由時間が確保されている。
ということで、図書館でいろんなジャンルの本を借りてきた。読書三昧といきたい。

まずは、おととしに大ヒットしたリリーフランキーの「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を読み始める。

東京タワーといえば、ちょうど私が小学生の頃、完成して、展望台までは歩いて登ったものだった。

さて、この物語に関しては、昨年、テレビで見たのが最初だった。
あまり期待しないで見たのだけど、大泉洋というタレントがとても素直に演じていた。
オカン役は田中裕子がしていたが、彼女の演技の上手なこと。あまりにせつなくて、涙が出てきた。
しかし主人公のガールフレンド役が広末涼子だったので幻滅。
オトンは蟹江敬三だった。

それからしばらくして、今年の春頃だったと思うが、映画館でこの物語を見た。
オダギリジョーが主人公だというので、それでわざわざ見に行ったのだ。
でも昭和40年当時の青年にしてはちょっとこぎれいで、おまけにガールフレンド役は私の嫌いな松たか子だったので、がっくり。
(私って女優さんにはすごく好き嫌いがあるのよ)

この映画の話題はオカン役が若い頃は内田也哉子、年を取ってからが樹木希林という本物の親子が一つの役を演じたことだった。樹木希林は年季が入っていてさすがにうまかった。でも、テレビコマーシャルで見慣れたひょうきんな彼女のほうが、似合っているかもしれない。このときのオトンは小林薫。結構、はまり役だったと思う。
しかし、この映画では、主人公は単なるマザコン青年にしか見えず、彼の青春の悩みのようなものは伝わってこなかったし、泣けもしなかった。

さて、今になって、ようやく小説を手にして読んでいるのだが、テレビだけ、映画だけだったら、それなりに面白いものだっただろうが、やはり原作には適わない。
当時の貧しかった生活の臭いはテレビや映画からは伝わってこない。小説の行間からしか伝わらないのだ。

何といっても物語は小説が最高。
読んでいて自分なりのイメージが膨らみ、その空気が味わえるのだ。
作者の描く世界に入り込み、自由に光景を思い浮かべることができるのだ。

さ~て、今夜も読書の続きとしよう。

2007年12月29日土曜日

地元の忘年会












今夜は地元に住んでいるいろんな職種のメンバーが集まった忘年会だった。
編集者さん、ミステリー翻訳家、アップルコンピュータの開発者、中国語の先生、女優さんなど10数人が地元でおいしいといわれる沖縄料理屋さんに集合。
初対面の人もいたが、そこは地元人間。すぐにローカルな話題で盛り上がった。

とにかく料理がすごかった。
ここの写真だけでも、お通し、かにサラダ、ゴーヤチャンプル、刺身、馬刺し、鳥のから揚げ、トントロなど。
写真以外にもトロとアボガドのサラダ、沖縄そうめん、豆腐窯、それに泡盛やビールなど。

たらふく食べて、飲んで、おしゃべりをして、楽しいひと時でした。
地元の再発見ができました。

「つつじヶ丘探検隊」の隊長さん、副隊長さん、どうもお世話様でした。

脳科学のお勉強 3


第3章 「知性の起源-未来を創る手と脳のしくみ」

この章を書いたのは、入來篤史さんという方なのだけど、すごく素敵な方なので、入來先生と呼ばせていただくわ。

10月に「脳と教育」というシンポジウムが東銀座であったときに、初めて先生のお姿を拝見したの。

それまでお名前と写真でのお顔は知っていたのだけど、直接お姿を見て、彼こそ脳神経科学界の貴公子と思ったわ。
背筋がぴんとしていて、お話も筋道が通っていて分かりやすく、それに所作がとても美しいのよ。

その理由は、そもそも先生は学生時代に弓道をされていたからなんですって。

そのシンポジウムでは人間国宝といわれる能楽師と一緒だったのだけど、入來先生の所作の美しさは、能楽師にもひけをとらないくらい決まっていました。

その後、ある学会でお目にかかってお話をさせていただきましたが、背も高くて、微笑を絶やさず、本当に素敵。ゆったりとお話をされて、知性に溢れている方です。

それに何と言っても感激したのは、この章を読んで分かったのだけど、先生の書く文章の美しいこと!

「さあ、一緒に考えてみましょう」とか、「では、じっくりと考えてみましょう」と書いてあると、本当に先生がそばに立って指導して下さっているように思えるの。

「われわれの脳に宿る心は、これから何を創造し、どこへ向かうのでしょうか」という問いかけの文章など、とても文学的でしょ。

さて、先生の理論を私なりに大胆にまとめてみました。間違って理解しているかもしれないので、あまり深く信じないでね。

入來先生によれば、人間が知性や心を持つ存在になったのは、人間は他の動物と違って、手の位置が自分の眼から見えるところにあるというのがその理由の第一だと言うのよ。

つまり、人間は自分の手で何かを掴んだり、何かを触ったりするのが、自分の目で確認できる。

たしかに、ワニやトカゲや魚などは、手やひれはあるけれど、それがどうやって動いているかは、多分、一生涯、見て確認することができないわね。動物は目に見えない手を、ただ本能的に動かしているだけなのでしょうね。

でもネコやサルになると、自分の手の動きが分かるじゃない? そういうことが脳が発達した原因らしいの。
この章にはもっと詳しく書いてあるのだけど、すごいところに着目したと思わない?

そして手の動きが見える、ということが道具を使うことに結びつくのよね。

昔、人間の特性として「人間は言語を使うことができる」、「人間は火を使うことができる」、「人間は道具を使うことができる」ということを習ったけれど、その中でも「道具を使う」というのが人間の賢さと関係があるのね。

そしてこれから先がすごい説明だと思うのだけど、動物は「自動詞」として「動く」存在なのだけれど、人間は「他動詞」的な存在になると言うの。

他動詞と言うのは「○○をする」と言うことよね。

それまで単に「動く」とか「走る」とか「歩く」自動詞的生き物だったのに、人間は「えさ”を”取る」とか「火”を”おこす」とか「絵”を”描く」というように目的語を伴った他動詞が生まれてくると言うの。

入來先生はそういう理由から、ものを動かす主体である人間には「心」が生まれたのだ、と言うのよ。
たしかに動かそうとする意思がなければ、心も生まれないわよね。

この部分を読んだ時は、すごく感激したわ。
そうか、人間の存在の特徴は「他動詞」だったんだ、とね。

この後の説明はちょっと専門的で難しいのだけれど、手とともに、手元を見つめる「眼」にも注目しているの。
たとえば魚などは目が両方に離れているわよね。
でも進化の過程で、哺乳動物になると、眼の位置もだんだんと両目が近づいてきている。
そういう眼の位置の変化も、人間の脳の変化に関係したらしいの。

そうか、手を見つめる眼、というのが人間の知性や心と関係があったのね。

そういえば、ネコってよく自分の手をなめて、毛づくろいをするわよね。
あれもネコの脳と何か関係があるのかしら?
誰かそういう研究をしている人はいないかしらね?

ちょっと横道にそれてしまったけれど、その後は、入來先生の専門であるサルの研究の話になるのよ。
サルの脳というのは、あちこちでよく研究対象となっているのだけれど、「ミラーニューロン」というのが有名。
それはサルが相手の動作を見ていると、自分もそれと同じ気分になって、そういう神経細胞が生まれてくるという話。
つまり自分と相手は鏡を見ているように活動するというので「ミラーニューロン」と言われているの。

そういうちょっと難しい話が続くのだけど、とにかく入來先生はサルの実験をいろいろしています。
先日のシンポジウムでもそのビデオを見せていただいたけれど、サルがすごく可愛い。
サルにいろいろな道具を使わせて、その道具が自分の身体の一部のように動く、という実験をいろいろ見せてもらいました。

先生の究極の目的は、サルを実験材料として使って、サルの脳に生まれる変化から、人間の心のことを解明されたいということです。

ということが「知性の起源-未来を創る手と脳のしくみ」という章に書かれています。

生物の発生から始まって、人間の独自性を説くところは、本当に目からウロコの内容でしたわ。

2007年12月28日金曜日

仕事納めだよ~♪


今日はメインの仕事が仕事納めだった。

あれこれのお仕事をさっさかと片付けて、いつもよりも1時間早めに、職場を退出することにした。
お日様がまだ出ているうちに帰れるのは嬉しいわ。

とはいえ、明日と明後日は別のお仕事が入っている。

メインの仕事は男ばかりの職場で、パソコンに向かってメールの山と格闘したり、ホームページを作成したりとまるでデジタルワールドだ。
パソコンの向こう側にいる研究者たちとは年に1度か2度くらいしか顔を合わせない。ということで、メール一つ書くにも、非常に気を使う。

それでも世間的には気難しそうな研究者も、一皮向けば普通のお父さんだったり、やさしいおじさまだったりする。

おまけに彼ら「先生」と呼ばれる人種は、基本的には教えたがり屋ときているから、どんなことでも質問すれば、すぐに親切に教えてくれる。
「内部モデルってナンですか?」「隠れマルコフ原理ってナンですか?」「機関リポジトリってナンですか?」と分からないことは何でも聞いてしまう。そうすると、すぐにお返事をしてくれる。
そういう意味ではとても勉強になるお仕事です。
おまけに若い学生が周囲にいるので、気分的にも年をとってはいられない。

とはいえ、こういう環境にずっといると、どうも世間とかけ離れてしまうきらいがある。
だってデートの会話でも「しきい値がどうのこうの・・・・」と言うそうなのだから、普通のおばさんとしてはあまりその世界に没入してもいられないのよ。

ということで、メインの仕事がない日には、もう一つ、別の仕事をしている。
そちらの仕事はまるで正反対で、女ばかりのアナログ世界。
それでも、そこのいい点は、スケジュールが自分の自由に決められること。
用事があったり、旅行の予定のある日は、仕事を入れなくても構わない。
自分なりのスケジュールが組めるのが最大のメリットだ。

とはいえ、メインの仕事もサブの仕事も自分そのまが素直に出せるかというと、やはりお金をもらっている以上、そうはいかないこともある。時には意に反したことをしなければならないこともある。

そういうわけもあって、私はラジオ制作という仕事にも関わっている。
これは収入には結びつかないが、それでもかなり自分自身を素直に出すことができる。
内容的には機械を扱ったりするデジタルの部分と、人間相手のインタビューというアナログの両方がうまくかみあっているのだ。

しかしラジオ制作も一人でしているわけではないので、時にはグループのメンバーと意見が違ったり、また面倒なこともある。

私はもともとはひとりで何かをするのが好きなので、結局のところ、こんなふうにブログを書いているときが、一番自分らしいのではないか、と思うのだ。

2007年12月27日木曜日

今年最後のFM納品


地元のFMラジオ局で私たちの番組が放送されるようになって、もう5年半が過ぎた。
長いようで短い時間だった。

番組は地元に住んでいる有名・無名の人をインタビューする15分のミニ番組だ。

当初は3ヶ月でやめるという予定だったのに、どういうわけか、延々と続いていて、今では自分自身の一部となっている。

番組は生放送ではなく、あらかじめ編集室で収録したものを、自宅で15分間に編集して、それをCDに落として、FM局に出向いて今度はMDに変換する、というややこしいことをしている。

そのために、パソコンのことなどまるで知らないおばさんでも、やれ拡張子がどうのこうの、とかフォルダーがどうのこうの、とかゲインの調整とかいうように少しは専門家のような口を利いたりしながら、数人でラジオ番組制作をしているのだ。

そして今日は来年のお正月用の放送を2つ、納品した。
2008年の一番最初のゲストは北京オリンピックに関連のある人、とだけ書いておこう。
そして二番目はこどもの本の作家さん。とても楽しくインタビューできたが、カットするのがしのびなくて、編集にはちょっと苦労した。

FM局ではMDを納品して、FMの人に音声を試聴してもらう。
といっても内容にチェックが入るわけではなくて、音の大きさや雑音や、アナ尻といって最後のアナウンスの時間がちゃんとしているかを聞いてもらうのだ。
そしてスタッフのお兄さんから、「大丈夫ですよ」と言われると、ようやく私たちの仕事は終わり、肩の荷が降りて、後は放送を聞くだけとなる。
それでもたまにはOKが出なくて、やり直し、ということもあるので、この作業もなかなか気が抜けないのだ。

こんなことの繰り返しをもう何回もしてきたのだろう。
それでもいまだに馴れないな。

放送がめでたく終了すると、今度はゲストへのCDプレゼントと、HP作成と音声アップが待っている。

そしてまた収録。

こんどは2月放送分の収録となる。

いつまでたってもラジオ収録から逃れられないのだ。

2007年12月26日水曜日

愛ルケ その2


だいぶ前になるけれど、「愛の流刑地」の上巻にケチをつけ放題しました。

だって私にとって、この主人公の男には全然、魅力を感じないんですもの。

下巻もすぐに読み終えたのだけど、なんとなく書きそびれていました。

でも内容的には上巻よりも下巻のほうが優れているのでは、という感想でした。
裁判の様子とか、牢屋での様子とかが分かりやすく描かれている。

でもねえ、いくら女の人から「私を殺して」と言われたとしても、本当に殺してしまう人がいるかしら?
55歳の男が、その最中によ。
いくら夢中になってたとはいえ、よくよく考えてみれば、相手の女性にはダンナさんも子供もいるんだし、自分だってこれから作家として再起をかけようとしているのに、本気になって首をしめてしまうなんて。。。

もちろん小説だからウソっぽいのは仕方がないけれど、ストーリー以前に、小さい子供のいる主婦が、そんなに何回も、昼も夜も逢瀬を重ねることができるのかしら、というのが率直な疑問だわ。

結局、この男は女の人を殺してしまった罪で、裁判で8年という量刑になるのだけれど、それが長いのか短いのかは私には分かりません。

この女の人だって、自分が殺されれば、この男が殺人犯になってしまうというのは、想像がついたはずだわ。それなのに自分を殺してくれと熱願したというのは、どこかでこの男を憎んでいたのかしら?
愛情が極まって、憎しみに変化したのかしらね?

当分、渡辺淳一の本は読まないと思うけれど、彼も70歳を越しているはず。そういう年齢になっても、これだけの内容を書けるというのは、すごいな~とは思います。こういう人を精力的というのかもね。

この本は昨年かしら、映画化やテレビ化されてすごく評判になったらしけれど、私は文字で読んだものと映像化されたものは別物だと思っているので、あえてDVDなどで見ようとは思いません。

こういう主人公よりも、私なら、もっと能力があって、それでいて優しくて、そして努力している男がいいわ。

と、好き勝手なことを言ってばかりね。

脳科学のお勉強 2



「脳研究の最前線」の第2章は岡本仁さんという方が書いています。

タイトルは「脳の進化と心の誕生」。

ちょっと文法の話になるのだけど、「と」、という接続詞は前後の単語が、同等の時に使うのよね。
たとえば「男と女」とか、「国語と算数」のように。

その文法に従うと、「脳の進化」と「心の誕生」は同じ土俵にある、ということになるわね。

でも、そうかなぁ。
なんだか、「と」という接続詞で結ぶには、無理があるのでは? と、まずここでひっかかってしまうの。

進化は進化だし、心は心よ。

タイトルからして躓いてしまいました。

でもね、この著者も、この原稿はブルーバックスに載せるのだと思い出したように、一般人にも分かるようにと努力して書いているのよ。
たとえば、「脳の進化」のところでいうと、いろんな生き物を例にとって説明しているの。
ショウジョウバエ、マウス、サンショウウオとかね。

でもこういう生き物って、昔、生物の授業で聞いたことはあるのだけれど、イマイチ、親近感がないのよね。
どうせなら犬とか猫の説明があると、もう少し分かりやすいんですけど。

でもね、そういったマイナーな生き物の脳とわれわれ人類の脳には、初期の段階では共通の遺伝子の並び方があるんですって。

う~ん、でも「ホメオドメイン」とか「ホメオボックス」とか出てきて、難しいわ~。

さて次の説明は、生き物の喜怒哀楽について。
これは「扁桃体」というところと関係があると書いてあります。
<扁桃腺>ではないのよ。
扁桃体というのは、とくに恐怖に対して関係が深いらしいの。

どんな生き物でも、敵に出会ったときの恐怖というのがあるのだけど、たとえばサルや猫の脳から扁桃体を取ってしまうと、普通は怖がるはずの蛇やクモにたいしてもまるで怖がらずに、食べてしまったりするんですって。
う~ん、それもちょっと怖いわね。

それからよく耳にする「海馬」。
これは記憶と関係が深い部分で、これを取ってしまうと、記憶ができなくなってしまうんですって。
大事な部分なのね。

さ~て、読み進んでいくと、いよいよ「心」に入ってきます。
「心」って、何だと思う?

たとえばドキドキハラハラしたり、イライラしたり、誰かを好きになったり、嫌いになったり、あるいはサボりたいなと思ったり、勇気が湧いてきたり・・・・そういう具体的な気持ちのことなのかな、と思っていました。

ところがね、この著者の定義によるとそういうものではないのよ。
「心」というのは、「情」と「知」から成り立っているんですって。
「情」とは、周囲の状況に対する価値判断のことで、「知」とは周囲の状況に対する認知だそうです。

えー! でしょ。
研究者って、たとえ「心」のことであっても、こんなふうに定義づけをするのね。

そして単語がどんどん専門的になっていくの。
「尾状核」「被殻」「淡蒼球内節」とか、舌をかみそうな知らない言葉がどんどんでてきて、それがいったい、心とどんな関係があるのか、よく分からなくなります。

ただ私が面白いなと思ったのは、サルの実験。

何にも事情を知らないサルにタンポポとバラの絵を見せるの。
そしてタンポポの絵を見せた時だけ、ジュースが貰えるようにするの。
これってサルにとっては予想外の出来事よね。
サルは最初は何のことか分からないでいても、そのうちにジュースが出ると嬉しくなり、ドーパミンという神経細胞が活発になってくる。
でもね、サルもそのうちにタンポポが出ると当然、ジュースを貰えると分かってくると、だんだん興奮しなくなってくる。

こういう実験のことを専門家は「批評家付き強化学習」と呼ぶそうなんだけど、なんだか人間の子どもも同じみたいで、面白かったわ。

この章を読んで分かったことは、人間の脳も魚の脳もハエの脳も、ごく最初の段階では同じつくりだったということ。
それが進化の過程でどんどん差が出てくるのね。

もうひとつ覚えておいたほうがいい単語が、「扁桃体」と「海馬」。
ここが記憶に深い関係があるところです。
でも今の段階では、扁桃体や海馬の働きが、どうして人間の行動や意思決定や価値判断に結びつくかは、まだはっきりと分かっていないそうよ。

そうよね、人間ってそんなに単純な存在ではないですものね。
複雑な存在だからこそ、これまでたくさんの文学が生まれたり、芸術が生まれたりしてきたのよね。

2007年12月25日火曜日

柚子の香り


そういえばね、先週の冬至の日に、知人から柚子をいただいたの。
ちょっとゴツゴツしていたけれど、葉っぱも付いていて、いかにも<もぎ立て>という感じでした。

そしてそれを湯船に入れて、柚子湯にしました。ほんのりと柚子のいい香り。
あ~、極楽、極楽と思いました。
日本人に生まれてよかったな。

私って五感の中では、目は悪いし、耳も良くないし、味覚もあまり確かでない・・・。
鼻が一番、利くタチかもしれません。

香りのするものが大好きです。
食べ物なら、三つ葉とかパクチーとかセロリとか大好き。
お茶ならジャスミンティーや、アールグレイ。

そういえばね、この前、成田空港の免税店で、柚子の香りのする香水というのを見つけたの。
とても好みの香りだったし、お店の人から「これはアジア限定のお奨め品ですよ」とか言われたので、よほど買おうかなとも思ったんですけど、なんとそれがバーバリーの製品だったのよ。
どうしてバーバリーが柚子の香水なの?
というので、ちょっと興ざめ。

でも普段使っている乳液も柚子の香りのするものです。
朝、まだぼーっとしている時でも、この乳液をつけると、目が覚めるの。
柚子の香りは私にとっては、神経回路の発火薬のようなもの。

柚子ってとても便利なのよ。
皮を薄くそいで、千切りにしたものをぱらぱらと散らすだけで、ただの里芋も上品な一品になるし、はんぺんのお椀だって、高級品になってしまう。

柚子は私の料理の隠し技なの。

昨日は柚子酒という韓国のお酒を飲んで、ゆったりとしていました。

2007年12月24日月曜日

脳科学のお勉強 1


今年は何回か、脳科学関連の講演会に足を運びました。

でもそのときは面白いな、と思っていても、私ってすぐに忘れてしまうのよ。
後になっても覚えていることといったら、発表者がどんなネクタイをしていたとか、
会場が寒かったとか、そういうことばかり。
ちょいと情けないわね。

それに時間と交通費をかけて行ったのに、もったいないじゃない?

と思っていたら、その講演会で発表した研究者たちによる「脳研究の最前線」という本がブルーバックスから出版されたので、それを読み返して、ちょっと復習してみることにしました。

何かの本で読んだのだけど、少し昔までは、脳についての著書というと、ある研究者が一人で一冊の本が書けるような内容だったんですって。
ところが最近、特にここ10年ほどは、研究内容が細分化してきて、たとえ有名な研究者であっても、自分の守備範囲以外のところは分かりにくいらしいのよ。

それでこのシリーズ本も12人の研究者が分担して書いているの。
私は仕事柄、その12人の方のお名前くらいは知っているのだけど、普段は専門家向きの論文を書いている研究者が、ブルーバックスのような一般人向きにどのように書いているのかも興味がありますね。

上巻は、「脳の認知と進化」というサブタイトルがついていて、脳全般に渡る内容のようです。

下巻は「脳の疾患と数理」というサブタイトルで、アルツハイマーのことや、理論的なことがメインのようです。


まずは上巻、第1章は「脳のシステム」。谷藤学さんという方が書いています。

トップバッターだけあって、ずいぶん、書き方を工夫したと思うのよ。

たとえば、「あなたが路上でタクシーを捜して、空車のタクシーを見つけて、それに手を上げて、タクシーに乗り込み、目的地まで行く時まで」の脳の仕組み、なんてことを話題にしながら説明してあるの。

普通に考えれば、黄色い色の車を探して、TAXIのマークがついている車を見つけたら一歩足を踏み出して、さっと手を上げて合図をする・・・
そんなの誰だって分かるじゃない、と思うでしょ。
ところが、こういう一連の動作をするだけで、人間の脳ではすごくたくさんのことが動いているんですって。

たとえば、ある物体が、どうしてそれが車と分かると思う?

それはね、フロントガラスの直線とか、タイヤの丸みとか、そういういくつもの線分をたーくさん、つなぎ合わせて、そしてそれが車だと判断できるまでには、目と脳が大活躍しているらしいの。
おまけにその車が自分のほうに向かって走っているのか、あるいは反対の方向に走っているかを判断するのにも、脳の中の部分が活躍しているんですって。
もちろん色を区別するにも脳が働かないとだめ。

自分の中では、「これがタクシーだ」と分かるには1秒もかからないはずなのに、そんなにいろんな部分が活躍しないと分からないなんて、脳って大変な働き者なのね。

私が想像するに、谷藤さんという人はこの章を書くのにすごく苦労したと思うのよ。
というか編集者の人から、「これは最初の章なので、なるべく誰にでもとっつきやすいように書いてくださいよ」と言われたのかもしれないわ。

だって、普通の脳の本なら、何やら難しい用語がこれでもか、とばかりにどっさり登場するのに、この章では「9つだけ覚えておいて下さい」と言うのよ。
9こくらいなら仕方ないわよね。

(その9この他にもうひとつあるのだけど、これは我慢しましょう。)

それに何より分かりやすいのが、この著者は脳の中の部分を「役者さん」というふうに呼んでいるのよ。

今まで脳科学の本を何冊か読んできたけれど、「役者」なんて書いてあった本はこれが初めてよ。
私なんかには分かりやすいけれど、専門家はどう見るのかしら?

とにかく、登場する役者さんは以下のとおり。登場順に書いてみると、

まず最初は<運動実行部隊>といって

役者0:
 脳幹と脊髄(これは誰でも分かるわね。脳みその真ん中にズドーンとあるもの。
役者4:
 大脳皮質(脳の外側にあるところよ、厚さが2ミリくらいなんですって))の運動野というところ。
役者5:.
 役者4を補足するところ。
役者6:
 役者5と同じような仕事をするところ。
役者4・5・6はだいたい頭頂あたりに位置しているみたいね。

お次のグループは<運動調整班>といって、運動の微調整をしているところ。
つまり動作をスムーズにするとかそういう役目をしているようよ。

役者7:
 小脳(これはよく知っているでしょ、頭の後ろの下のほうにあるわよね)
役者8:
 大脳基底核(これは頭のかなり中のほうにあるらしいわ)

お次のグループは<感覚情報処理班>と名づけられているの。

役者1:
 視覚の初期段階の処理をするところ。
役者2:
 目に映ったものが「何」であるかを判断するところ。
役者3: 
 目に映った物体がどういう動きをするかを判断するところ。

最後に<取締役>というのがあって、

役者9:
 大脳皮質の前頭前野(おでこのあたりかしら)。
ここが人間の人間らしさを生み出すところのようです。

つまり前頭前野は感覚情報処理班と、運動実行部隊の上に立っていて、指令を行っているところのようです。

脳のことを知りたいのなら、最低、脳というのは、これくらいの部分に分かれて作業をしているということを知らないとならないようね。

この章は、こんなふうに脳の各分野を役者に見立てて説明しているので、少しはとっつきやすいかもしれないわね。

でも後半になると、「意識」とか「認識」とかいう言葉が出てきて、それがまた混乱のもとなのよ。
つまり専門家のいう「意識」と、私たちが使う「意識」とは違うのよね。
きっと心理学者が使う「意識」というと、また微妙に違うのかもしれない。
だから本を読んでいても、何を言っているのかが分かりにくいわ。
このあたり、易しく書くのが難しい内容なのかもしれない。

脳のことって、専門家に任せなくても、自分の身体の一部なので、何となく分かる気分になるのに、それなのに、「こころ」というつかみきれないところがあるので、なんだか近寄りがたい存在にしているような気がするの。
誰でもがコメントを出せる話題なんだけど(たとえば、<最近、物忘れがひどくてね>などという会話は誰でもしているものね)、決定版がないのよね。

最近は脳トレブームだし、脳関連のいろんな書籍も出ているけれど、守備範囲が広すぎて、どこから手を付けていいのか分からない、ということも多いと思うの。

今ではいろんな高度な機械操作によって、脳の中の動きが見えるらしいけれど、どういうことが分かると人間が幸せになれるのかしら。
ニューロエコノミクスとか、ニューロマーケッティングなどという経済学も登場するような時代よ。
いったい、脳のどこまで分かってしまうのかしら。

脳の中身がどんなふうになっているかを、知らなかった時代の人たちだって、きっと幸せに暮らしていたはずよ。
だから、今は脳の仕組みが科学的に分かるようになった分だけ、もっと人々がハッピーに暮らせるようにならないといけないのではないかしらと、思うのよ。

真昼のデート


今日は昼間からデートしてきました。お相手は誰ですって?
なんと、ウン十年前の高校生時代の同級生です。
お互い、おばさんになってしまったけど、話していたら昔の思い出があれこれと浮かんできました。

場所はどこですって?
この写真を見て!
この木の柵で分かったら、「武蔵野通」よ。
第2ヒントは池に浮かんでいるボート。

そうそう、ここは吉祥寺に近い井の頭公園。
青春時代を過ごしたあの公園です。

今日は休日というので、たくさんの家族連れが来ていました。

どうして彼女と会うことになったかというと、それはブログのおかげ。
卒業以来、一度も会っていなかったのに、ブログを通して彼女の存在を知り、それからは一気に昔のようになりました。

プードルを連れた彼女と、おしゃべりをしながら、枯葉の落ちた公園をお散歩。
池にはいろんな種類の水鳥が泳いでいました。

その後は「ウサギ邸」というちょっとおしゃれなお店でクレープをいただきました。

制服もなく、とにかく自由で楽しかった高校生時代。

人生のたった3年間を過ごしただけなのに、濃い記憶がいっぱい詰まっている。

もうあの頃には二度と戻れないけれど、まだまだ楽しいことはできそうです。

2007年12月23日日曜日

今夜はクリスマス・ディナー


今日は年に1回のクリスマス・ディナー。
普段、食べないようなフレンチのフルコースです。
夜景を眺めながらゆっくりとお食事。

まずはチンザノのスパークリングワインから。
よく冷えていておいしかったわ。

最初は「アミューズ」という名の前菜。
うにの雪だるまというのと、生ハムときのこのコンソメ仕立て。雪に見えたのは、カリフラワーをペースト状にしたものでした。ふんわりとしていて口当たりが滑らか。


お次は「降り積もる雪から現れる薫り高きアワビ」という料理。
岩塩の中からパラフィン紙に包まれたアワビが出てくるの。
ちょっとした驚きよ。
それを給仕してお皿に分けてくれるのです。



その次はうにが殻のまま出てきました。生クリームとソフトにあわせてありました。



それからスープが出てきたの。




メインディッシュは、牛のフィレ肉にトリフュを乗せて焼いたもの。
鹿の肉のチョイスもできたのだけど、鹿と聞くと奈良の鹿を思い出してしまうので、平凡に牛にしました。
とても柔らかいお肉でした。






ラストはパイでクリスマスツリーをかたどったデザート。
ツリーの中にはアイスクリームとムースが丸くちんまりと座っていて、その上には甘酸っぱいラズベリーソースがかかっていました。

たまには優雅にお食事をするのも、いいでしょ。

2007年12月22日土曜日

今夜はイヤーエンドパーティー


今日は私の住んでいる市の国際交流協会というところのイヤーエンドパーティーでした。留学生やら、日本人と結婚している外国人などがかなり多く住んでいるところなのです。

私もこの会のメンバーで、以前は外国人に日本語をボランティアで教えていたので、参加してみました。

世間では「クリスマスパーティー」というようですけど、やはりいろんな国、いろんな宗教の人がいるので、あえて「クリスマス」という言葉をつけないパーティーにしたのでしょう。
市の施設にある大会議場には約100人くらいの日本人、外国人が集まりました。





みんなで食事をした後には、プロのジャズシンガーのラブソング、どういうわけかおば様たちや子供たちによるフラダンス、そして平均年齢70歳というお達者クラブのおじ様たちによるクリスマスソングメドレー、最後には全員で合唱などしました。




その後にはサンタクロースが登場して、大抽選会。あ~ら、私も大当たり。可愛い真っ白のわんこのぬいぐるみが当たりました。割とこういうのには、よく当たるのよ。






そして最後には「もういくつ寝るとお正月」の歌を歌ってお開き。

いろんな国の人も参加して、楽しいパーティーでしたよ。

準備に携わった皆様、どうもお疲れ様でした。

2007年12月21日金曜日

昨日の続き


昨夜は研究室の忘年会があったのだけど、案の定、今日は学生はみんな死んでいたわ。

今朝は誰も登校せず。
ただ一人、研究室に居残っていたのは、電車に乗り遅れたというHくんだけ。

聞いてみると、みんな朝の5時頃まで飲み明かしたそうな。
お昼過ぎになって、ぽつりぽつりと登校してきたけど、みんなぼーっとしているの。

でも、夜通しカラオケで歌っていたとは、う~ん、若いわね。マネはできないわ。

私など、徹夜なんか、絶対にできません。
どんなに面白い本を読んでいても、12時くらいになると、自然に眠くなるの。

今の生活は極めて健康的よ。
だいたい、その日のうちに寝て、朝は5時半頃に起床。
冬はまだお日様が昇っていないのだけど、夏は朝日とともに目が覚めるのは最高よ。

朝ごはんも昼ごはんも夕ごはんもほぼ、決まった時間にしています。
というか、いつもの時間になると、自然にお腹がすいてくるのです。

体内時計がきちんと作動しているのか、どこに泊まっても、目覚まし時計がなくても
だいたい同じ時間に起床できます。

私が自慢できることといったら、これくらいかしらね?

2007年12月20日木曜日

研究室の忘年会


今日は私の仕事場の忘年会でした。

研究室の72歳の博士から中国人留学生まで、25人くらいが集まったかしら。

忘年会というと、普通ならどこかの居酒屋でするのだけど、安く上げるために、研究室の前にある広場でしました。

食べ物は近くのお店からから揚げや春巻きを調達。ビールやワインは近くの酒屋さんに配達を頼みます。
それとお菓子がいっぱい。

教授からの差し入れもあったので、多分、一人分はすごく安く上がったと思うわ。
私は雰囲気を出すために、ポインセチアを買ってきました。

ふだんは難しそうなお勉強をしている学生も、素顔は可愛いのよ。
いっしょになってワイワイとおしゃべりしてきました。

飲んだ後は恒例のゲーム大会。
といっても電子ゲームではないの。
昔、子供の頃に遊んだような卓上ゲームが大好きなのです。

でも、頭の固くなったおばさんにはちょいと、難しかったです。

さぁて、彼らは明日は出てくるかしら。
きっと二次会、三次会に繰り出して、朝まで飲み明かすのかも。

2007年12月19日水曜日

ラジオの収録


私たちのラジオ番組は毎週1回の放送なんだけど、生放送ではありません。
月に2回、編集室を借りて、そこでまとめて収録します。それを編集して放送するという仕組みです。

今日はその収録日でした。

午前中は、71歳の女性でしたが、58歳から始めた登山の魅力にとりつかれ、その後の12年間で、日本の百名山をすべて踏破したという方。20キロ以上もある重いリュックを背負って歩くとは思えないほど、きゃしゃな方でした。
トレーニングのために、毎日1万歩以上歩いたり、プールで水泳をして身体を鍛えているようです。新年には山の頂上でおもちつきをするとか。素敵に人生を歩んでいる方でした。

お昼過ぎは、児童文学作家。この方はなんと、私の高校のときの同級生の妹さん。ひょんなことから、同じ市内に住んでいるということが分かり、お話を聞くことにしました。放送用のお話も楽しかったけれど、それ以上にいろんな裏話が面白かったですよ。どこのレストランがおいしいとか、地元ならではの話題が広がりました。

3番目の収録は私の住んでいる町内の会長さん。この方も71歳でしたが、今でも素敵な女性のことを思い出して眠りにつくんですって。だからあんなに若々しいのかしら。「僕の年は加山雄三と同じだよ」とおっしゃっていましたが、とても若々しくて、そして夢のある方でした。

それにしても、毎回の収録でいろんな出会いがあります。
普通の主婦だけをしていたら、絶対に知り合えないような人のお話を直接聞くことができる。
こんな楽しい趣味はありません。

もちろん、その裏ではちょっぴり大変なことや、素人ゆえの苦労はありますけれど、素敵な方のお話を聞いて、それを番組にするというのは、楽しみでもあります。

さ~て、これから編集作業に入ります。
放送は年末から年始にかけてです。

放送後はインターネットでも聞けますので、もう少しお待ちくださいね。

2007年12月18日火曜日

トールペインティングに挑戦


「トールペインティング」って、聞いたことあるかしら?

そう、ヨーロッパやアメリカなどでよく見かける手芸の一種ですけど、家具や小物にいろんな形をペイントして飾ってあるもの。

昔からこういう手芸には興味があったのだけど、時間もゆとりがなかったので、ちょっと頭の片隅にあっただけでした。

それが、ちょうどクリスマスシーズンで、クリスマス用のトールペインティング体験教室というのがあったので、参加してみました。

もともと不器用なので、そんな人間でもできるかしら、とちょっと不安でしたけど、先生が、「型があるので、誰でもできますよ」とおっしゃるので、こわごわと挑戦してみました。
参加者は私を含めて5人の教室です。

教室の壁には先生や生徒さんの作品が飾られていたけれど、みんなすご~く上手。

初めに今日の作品の、先生のお手本を見せてもらいます。
クリスマスにぴったりの絵です。

わぁ、素敵という声。
でも、本当にできるのかしら?
「大丈夫、これはごく初心者用のものですから」と先生。

さっそくテーブルに用意されたのが、その下絵。これをトレーシングペーパーに写します。
その次は、台になる鉄板にチャコペーパーを敷いて、その上にさっきのトレーシングペーパーを乗せて、もう一度、絵を写します。

ここまでが準備よ。

いよいよ筆を持って、これに色を付けていきます。
最初は葉っぱの緑から。
ぬり絵の要領で、ということですけど、けっこう難しいわ。
乾いてから、二度塗りします。
先生は「マニュキアを塗るときも、乾いてから塗りますよね」とのこと。
そうそう、私ってマニュキアも下手だから、うまくいかないのよね。
でも、何とかクリアー。
次はお花の部分。そして、ベルや文字に次々に色を付けていきます。

もともとは同じ絵なのに、生徒によって微妙に違って出来上がるのが面白い。
ゆっくりじっくりと色を塗る人もいれば、大胆にさっさとする人も。
性格の違いがよく出てくるわ。
葉っぱの茎など、人によって細さもさまざま。

仕上げは、金粉をまぶします。
そうすると、あ~ら不思議、何となくそれっぽいトールペインティングが出来上がり。

嬉しいな~。

その後、ヘアドライヤーで乾かして、ニスを塗って完成。

みんなで品評会。

それにしても、緊張した2時間でした。
筆を持つなんて、久しぶりでしたもの。
おかげで肩が凝ってしまったわ。

でも可愛いものができて、大満足。

これは外のドアに下げてもいいのだけど、それはもったいないので、寝室のドアに下げました。

うちの人の評判はどうかしら?

そうそう、トールペインティングの先生は若くて素敵なので、ラジオ番組に出演してもらう交渉もして、OKをもらいました。もっと詳しいお話を伺う予定。
こんな体験も取材と結びつけてしまうのよ。

今回の作品に満足したので、また別の作品をしてみたいな、と思いましたわ。

2007年12月17日月曜日

白いスカートを探しているの


今日は、黒いモヘアのセーターを着たので、それに合わせて白っぽいミニスカートがあればなぁと、思っていたの。
でもちょうど良い丈のスカートがなくて、結局、白っぽいロングスカートなんぞで通勤しました。
前に30センチくらいのスリットが入っている形のスカート。
若い学生にはちょっとドッキリかもしれないけれど、でも、そういう形でないと、自転車にうまく乗れないんですもの。
でもスリットが入っているせいか、足がスースーして、外に出ると寒かったですわ。

もともと、私はロングスカートは背が低いので似合わないのです。
ということでめったに着ないのだけど、今日は白っぽい色のスカートがはきたくて、色で選んでしまったのです。

白っぽい色のミニスカートを探しているのだけど、どこを探しても、全然、見つからないのよ。
白のスカートはあるのだけれど、それはあまりにも真っ白で、通勤にはちょいと適さないものなの。

つらつら思うに、洋服って、基本のスタイルのものなら、どんな体型でもフィットするようなものが、いつでもどこでも販売しているといいのにね。
でも実際はそうではないのよね。

バルーンスカートが流行るとそればかりだし、ハーフパンツが流行るとそればかり。

たとえばね、スカートなら、色は白・黒・グレー・ベージュ等のごく普通の形で、丈がそれぞれ、普通丈、短いもの、長いもの、というのが夏用・春秋用・冬用というようにラインをそろえて、どこでも手に入るといいのに。

冬だからパンツが多いのは仕方がないけれど、どうしてそういうシンプルなスカートが売っていないの?
(高級品店に行けばあるのかしら?)

スカート丈も普通なら60センチなのだけれど、私にはそれでは長すぎるの。
55センチか、50センチのごく普通の形のスカートがあれば、すぐにでも買いたいのに。

こういうことで苦労している人も多いはずなのにね。

そういえばね、昔は、どんな服でも、母が作ってくれたので、服で苦労することなんてなかった。
子供の頃は、下着だって、母の手作りだった。
そうね、高校生の頃まではスーツだってオーバーだって、母が作ってくれていた。
私の通っていた高校は制服がなかったから、日常のスタイルは自由だったの。それでスカートだってブラウスだって母の手作りだったのよ。卒業式のスーツだって手作りだったわ。

既製品を購入するようになったのは、大学生の頃からかしら。
そういえば、忘れていたけれど、ウェディングドレスも手作りだったのよね。

その後は、ずーっと、形がフィットしない服を仕方なく着ている感じ。
大人になって、すごく太ったり、すごく痩せたりと横の変化はあっても、それでもちょうどいい形の服はありませんでした。

私にとって、どんな既製品も袖丈が長すぎるし、ウエストの位置が下すぎるし、スカートやパンツの丈が長すぎるの。
そんな体型だから仕方がない、と言われればそれまでだけど、たまにはサイズのことを気にしないで、服を選んでみたいわ。

ということで、真剣に白いミニスカートを探しているのだけれど、どこかに売っていないかしら?

2007年12月16日日曜日

空中庭園


先日、DVDで「空中庭園」というのをレンタルしてきて見ていた。

タイトルから判断して、ホームドラマのような映画だと思っていたが、仮面家族の真実を描いたもの。
映画は小泉今日子主演で、内容はまあまあでしたが、原作が直木賞作家の角田光代さんのものだというので、今度は本を読んでみた。
やっぱり、原作のほうが断然、面白い。
読んでいて想像力がどんどん沸いてきてきます。

「空中庭園」は、一見、幸せそうに見える家族にも、みんなそれぞれ隠し事があり、過去がある、というのがテーマ。
家族とは、しょせん時間と空間を長い時間共有している血縁に基づいた関係であり、家族というだけですべてを分かり合ったり、何でも語り合えるというのは理想でしかない、というお話。

「読んでから見るか」とか「見てから読むか」と言われますけど、原作を読んでから映画を見るとたいていがっくりします。
本は本、映画は映画と別物ですね。

本を映画化する脚本家は偉いとは思けれど、映像になるとその俳優さんによってイメージが決まってしまい、狭い世界のお話になっしまうように思える。

私の趣味の中では、何といっても読書が一番。

映画もいいけれど、どうも映画は時間つぶしの娯楽というか、何もすることがないときの二番手でしかない。
読書はどんな時間がない時でも、いつでも読んでいたい。

最近、サイエンスものばかり読んでいたが、やはり小説はいい。

作家が作り出す世界に突入して、ひとりの世界に入り込めます。

2007年12月15日土曜日

みんなの夢ツリー


私の住んでいる市は、おととし、市制50周年ということで、それにちなんだいろんな行事があった。

その一つに、50本のクリスマスツリーを市役所の前庭に立てて、いろんな団体が自分たちの夢をかなえるために、ツリーに飾り付けをしたいという市民の希望があり、それが叶って実現した。

その後もクリスマスは今年で3回目なのだが、その行事が引き続き行われている。

ツリーは市内の植木屋さんからの本物のリース。
1枚目の写真は、その飾りつけ前のツリー。

参加する団体は、児童館のグループやら、福祉団体やらコーラスグループやら養老施設などさまざま。今年は40団体が参加した。

私たちの市民ラジオ制作グループも今年は参加してみた。
これまで、この催しの実行委員長さんなどにはインタビューをしてきたが、実際に自分たちが参加するのは初めて。

みんなで話し合いの結果、私たちがツリーに飾るものは、番組案内のチラシ(A4サイズ)を4つに折りたたみ、それを雨よけのためにビニール袋に入れて、それにきれいなリボンをつけたものにした。それと私たちの番組のキャラクターをプリントとして、パウチっ子に入れて吊るすことにした。

私はチラシの制作担当。番組名、時間帯、これまでの経歴や出演したゲストを文章にしてワードで作成した。

それを用紙に印刷した人、きれいなリボンを用意した人、ビニールを買った人などとみんなで分担してきた。

そして、今日はメンバーみんなで集まり、チラシを折ったり、リボンを通したり、まるで内職のようだったが、おしゃべりしながら楽しくできた。小学生の工作の時間のようで、作業は面白かった。

出来上がったものを外に置いてあるツリーに結び付けて、完成した頃に、他の団体と一緒に全員で点灯式。
きらきらときれい。

写真だと、何やら七夕のようにも見えるが、仕方がない。
夜なのではっきりとしないが、昼間に見たらきれいかもしれない。

このツリーは12月25日まで市役所の前庭に飾られて、市民の目を楽しませることになる。
私たちの番組のチラシもみんなの目に留まってくれて、放送を聴いてくれると嬉しいな。

点灯式の後はコーラスなどもあったのだが、とにかく外での行事なので、寒かった。
ということで、引き上げることにしたのだが、一緒に参加したグループのメンバーを自宅に誘い、一緒にあり合わせの夕食をとることにした。

まあ、ひとつのイベントが終了したので、ほっとした。
できれば、終了するまで、雨が降らないで欲しいな。

昨年の様子はこちらから。
http://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1195458587906/index.html

2007年12月14日金曜日

愛ルケ その1


流行からはちょっと遅れているけれど、映画でも話題になった渡辺淳一の「愛の流刑地」を図書館で借りて読んでいる。通称、愛ルケというそうです。

どうしてそんな本を読む気になったかって?

これまで渡辺淳一の本は数冊しか読んでいないし、かの有名な「失楽園」も知らないし、彼の女性観があまりに古めかしくて嫌いだったけど、日経新聞で話題になったというので、どんなもんかいな、と思って読み出しました。
上下2巻なので、今日はまずは上巻から。

主人公はかつては流行作家だった55歳の男。
その彼のファンだという36歳の3人の子持ち女性と仲が良くなるお話。

いつもの渡辺本のとおり、この二人の付き合いの濃さを、微に入り細に入り、詳しく紹介してあります。
二人のお付き合いの中身が、あ~ら、あんなこと、こんなことまで飽きるほど詳細に書いてあるの。

もし、私がこういう小説を書くとしても、そういう情愛のシーンになったら、そうね、
「二人は一つになって、そして燃え上がった」くらいで終わってしまうだろうな。
それなのに、そういうようなシーンも、何ページも何ページも詳しく生々しく、手順が書いてあるのよ。

こういう内容の小説が、どうして日経に掲載されたのか不明だけど、世の中のお父さんたちは満員電車でどういう顔をして、この新聞小説を読んでいたのかしら、と思うと笑ってしまいそう。

それにしても男性作家の描く理想の女性像って、すごくワンパターンなのよ。
色白で、楚々としていて、和服が似合い、一歩引き下がっている・・・・・。

今どき、こんな人はいないでしょうと、突っ込みをいれたくなるわ。

そういう女性を手練手管で育てるのがこの男の趣味のようなのね。

それにしても、この二人の付き合い方って、本当の大人とは思えないのよ。
逢瀬というと、ホテルでただ抱き合っているだけなの。
最初二人は京都で出会ったのだけど、そこでもそうだし、その後の東京でも、箱根でもとにかく、その方面のお付き合いだけなの。

何の会話もなく、一緒に映画を見るでもなく、美術館に行くでもなく、単にSEXのとりこなの。そういう男と付き合うのは楽しいのかしらね。いくらテクニシャンであっても、飽きないのかな~と疑問すら感じます。全然、男の価値観が見えてこないのよね。

第一に、私はこの男の魅力が全然分からないの。年齢と職業が分かるだけで、ヒロインがこの男のどこに惚れたのかが不明。
ユーモアもなさそうだし、センスもなさそうだし、どんな能力があるのかも分からないのに、よくそんな男と付き合うな、と思います。

おまけに二人の連絡は携帯メールなのだけど、文章の最後にハートマークをつけるんだって!
そんな55歳の男がいるか? 
気持ち悪いですよね。
高校生でもあるまいし。

ということで、私はこの男にけちの付け放題。

ということで、上巻はおしまい。

下巻はいよいよ、この男がその最中に女の人の首を絞めて殺してしまう・・・・というところに入ります。

そのお話はまたね。

2007年12月13日木曜日

"A Good Year"  なのに、どうして?


今日は母を2泊3日のショートステイに連れて行った。

これまで、旅行に行く時とか、家をリフォームした時にはショートステイのお世話になった。
なんだかそういう名目がないといけないと思い込んでいたのだが、ケアマネージャーさんに相談したところ、家族がリラックスするための名目でもショートステイは利用できるので、申し込んだほうがよい、と言われて、そしてそれがようやく実現したのだ。

母には知らないところで宿泊してもらうのは半分は申し訳ないとは思うが、いろんな環境に親しんでもらうためにも、ショートステイに行ってもらうことにした。

申請の後は、ややこしい契約書に何回も署名・押印したり、面談をしたりと面倒なこともあったが、とりあえず、私は家でゆっくりとすることができるようになった。

せっかく自由の身となれたので、夕方から時間を気にせずに映画を見ることにした。

下高井戸シネマに行った。ここではいろんな名画を上映している。

今日は、「プロバンスの贈り物」というアメリカ映画だった。

ラッセル・クロウという中年俳優が主人公で、少年時代の回想とラブロマンスがメインの映画。
イギリスの金融業界で働く有能トレーダーが、フランスのプロバンスに住むおじさんが亡くなり、そこに出かけるの。そしてそこで出合った人々とのふれあいの中から、結局はトレーダーの仕事をやめて、ワイン農園の地主となっていく、というお伽噺風の物語。

この映画の見所はプロバンス地方の風景とワイン、という指摘もあるとは思うけれど、私はイギリス対フランスという見方もあるかな、と思ったわ。

登場人物はみんな、そこそこの英語と、フランス語を話すのだけど、話す雰囲気がまるで違うのよね。
あんなに近い国なのにね。

何よりもおかしいと思ったのが、映画のタイトル。
日本語版では、「プロバンスの贈り物」という何やら意味深な題名なのだけど、原題は"A Good Year"
というそっけないタイトルなの。
どうしてそれが、「プロバンスの贈り物」になってしまうのかしらね?
不思議だわ。

ラッセル・クロウって、中年男の代名詞みたいな人なんだけど、垂れ目のところも、とても可愛い。無精ひげになってもサマになるのよ。
とはいえ、いくらカッコいい男でも、初めてのデートの日にベッドインする?
その辺りが、映画なんだな~。

少年時代の回想シーンの男の子もとても可愛かったわ。
それに映画の挿入歌として、私が子供の頃に流行った「ビキニスタイルのお嬢さん」が流れていたの。すごく懐かしかったわ。

ということで、母が不在のおかげで、のんびりと映画鑑賞ができました。
ショートステイを気に入ってくれて、また来月もお泊りをしてくれると、助かるんだけどな。

2007年12月12日水曜日

焚き火の思い出


うちの近くに、何でも安い八百屋があるの。八百屋というより、市場という感じで、遠くからお店の人も買いに来ているみたい。とにかく何でも安くて、お豆腐なども3個で100円というほど。
朝早く行かないと、午後には売切れてしまうのです。

私は、朝、出勤するときに横目で眺めながら通るのだけど、まさか仕事に行く前に、大根やら長ネギを買うわけにも行かないので、野菜をこの店で買うのはあきらめています。

その八百屋さんで、冬はなんと焼き芋を売っているの。昔風の石焼き芋よ。
今日は、ちょっと時間があったので、買ってみました。
暖かくて、いい気持ち。

家に持ち帰って食べました。ほくほくしているのに、しっとりとしていておいしい。

そういえばね、私の小さい頃、実家の庭で、よく父が落ち葉を燃やしていて焚き火をして、その中にお芋を入れて焼き芋を作っていました。昔はダイオキシンの問題などもなかったので、何でも燃やしていたみたい。
出来上がった頃に棒で突っつくの。ちょうど焼けた頃には、うまく突き刺さるのです。

小学生だった私は、3つ年下の妹と、いつも一緒に焚き火の近くで遊んでいました。

今の私の娘は、庭のある家で暮らしたことがないので、焚き火なんてことは知りません。

「焚き火」というと、どうしても「さざんか、さざんか咲いた頃、焚き火だ焚き火だ、落ち葉たき・・・・」という童謡を思い出してしまいます。