2008年6月30日月曜日

最高のパズル!


今度の週末にまた京都に出かけるので、京都関連のあちこちのサイトを眺めていたの。

そうしたら、見つけました!

こういうサイトがほしかったのよ。

私の絶対のお気に入りです。

それは ここ
「月 燿 如 晴 雪」というサイト。

そう、パズル好きで、源氏物語好きの私のためにあるようなページなんです。

このサイトを見つけたときは、もうワクワクしちゃいました。


遊び方は、普通の紙のパズルと同じ。
完成図を見ながら、ピースを埋めていきます。

ピースの向きは、クリックするごとに方向が変わるので、あれこれ試しながら合わせるの。

色も紫式部に合わせたのか、全体的に薄紫のトーンで、大好きな色合いだわ。

今日はね、お仕事がいろいろあって、ちょいと頭が混乱していたのよ。
そんな私の頭の疲れを取るには、もう最高です。

このサイトを作ってくださった方、感謝、感謝です。

写真はご近所のおうちの花壇。
紫でまとめたお花が、紫式部にぴったりなので、写させていただきました。

2008年6月29日日曜日

信濃なる・・・



「信濃なる千曲の川の細石(さざれし)も
  君し踏みてば玉と拾わん」        読み人知らず

とてもきれいな歌だと思わない?

千曲川の河原にあるちいさな石も、好きなあなたが歩んだあとにあった石なら
宝物のように大切に拾って、袂におさめましょう

そんな優しい乙女心を歌ったものだと思うの。

もちろん出典は万葉集よ。

ところで、この万葉集の歌をどこで見つけたと思う?

なんと、「情報技術の人間学 ~情報倫理へのプロローグ~」という、お堅い本で見つけたの。


この本は笠原正雄先生という大阪大学教授が書いている本で、電子情報通信学会というところから出版されています。

発行元である電子情報通信学会は会員数3万人規模の大きな学会で、私もお仕事上、お付き合いのある学会なんだけど、電気や電子関係の人なら知らない人はいないくらいなの。

笠原先生は、暗号学とか情報セキュリティとか、めちゃめちゃ難しい研究をされている工学博士で、多くの学会の名誉会員であり、他にもいろいろ肩書きがある方のようですけれど、電気や電子のことばかりでなく、万葉集を引用したり、エジプトやギリシャの歴史を語るくらい、多方面に造詣が深い方です。
それって、素晴らしいと思うわ。


さて、どうしてこの本を読んだかというと、ある日の新聞広告で見つけたの。

そのうたい文句が良くて、はっきり覚えていないけれど、《IT社会に生きる全ての人にささげる本》とか、書いてあったの。

それでね、市の図書館にこの本をリクエストしたわけ。
そうしたら、私の住んでいる市立図書館には在庫がなかったので、わざわざ小平市立図書館から取り寄せていただいた、といういわくつきの本なのです。


この本は冒頭に書いたように万葉集からの引用も多いの。
というのは、万葉の歌人 大伴家持は人一倍コミュニケーションについてのこだわりをもっていた人らしいのです。そしてこの本の著者も21世紀の世界には人と人とのコミュニケーションが必要だと述べているの。

この先生は赤ちゃんの環境というのにも興味を持っていらして、たとえば生まれたばかりの赤ちゃんに、大型スクリーンで映し出されるきれいな花や虫を見せると、どうなるか、ということも警鐘を鳴らしているの。

つまりね、私たち大人は、これまでの人生で、花の大きさはこれくらい、虫の大きさはこれくらいということを実物を通して分かっていて、それでスクリーンを見ているでしょ。

ところが赤ちゃんが、その本物の大きさも分からないうちに大型スクリーンの花を見るとしたらどうなるか、それはこれまでの人類が経験しなかった問題に出くわす、というのよ。

それに大型スクリーンの大音響も赤ちゃんには問題だそうですよ。

うーん、なるほどね。


話が横道に入ってしまったけれど、この本の最初には電気通信関連の発達の歴史が書かれているの。

19世紀にベルという人が電話を発明して、それからマルコーニという人が無線通信に成功。
その後の爆発的発展は、ちょうど私たちが生きてきた歴史と重なるわね。

そういう電子情報通信技術というのは、いつでも(時間)、どこでも(空間)、だれとでも(人間)コミュニケーションを可能にするという目標があったというの。
今ではその目標はかなり達成されているわよね。


小さな携帯電話がひとつあれば、目の間の美しい花を写真に取り、それを誰かに送って見せることもできるんですもの。
また好きな時間に好きな歌手の歌を聞くこともできるし、世界中の人とゲームで対戦もできるでしょ。

そんなこと、私たちが子どもだった頃には想像もしていなかったことよね。

ところがそういう技術が発達すればするほど、コンピュータ犯罪、プライバシーの侵害、著作権問題などというそれまでには考えられなかった出来事が発生しているのよね。

つまり、それが電子情報通信技術の「光と影」だというの。

こういう急激な変化に対して、研究者・技術者こそが、きちんと対処すべきだというのです。

つまりこの本はそういった専門家への倫理を説いた本ですね。

でも、具体的な例が書いてあったので、電気通信には素人の私でも読むことができたわ。

ただし、あまりにも装丁がダサいので、これは考えものでしょう。
いかにも教科書みたいで、普通の人は手に取らないかもしれないな。

2008年6月28日土曜日

(再)医療費


6月25日のブログで、病院の診察代がおかしいんじゃないの、と書いたでしょ。

そうしたら、それを読んだ友人が、「そういう制度ができたらしいよ」と教えてくれたの。


それは、2008年4月から変わった制度らしいのだけど、「とくに体調に変化のない患者を診察したときの料金」というのがあって、「診察時間5分以上を目安として加算される」というんですって!

だから私の場合も、5分以上の診療と3分間診療では値段が違ったわけね。

でもね、そんなこと新聞でもテレビでも報道されなかったわよね。
だーれも知らなかったですもの。

ところが、「医知場」というお医者さんが、病院のことを詳しく教えてくれるサイトがあるそうで、そこにはちゃんと書いてありました。

http://www.ichiba-md.jp/


とくに「外来の料金」というところを見ると、病気の種類によって、どれだけ点数が異なるか、ということがきちんと書いてあるのよ。

ふーん、私が知らなかったとはいえ、知っている人は知っているのね。

私がかかった病院だけが勝手に作った制度でないことは分かったけれど、でも、そういう制度になったということを、広く国民に知らせないというのもおかしいわよね。

いいお勉強になりましたわ。

2008年6月27日金曜日

生協ビール


「生協ビール」といっても、生協でビールを作り出したわけじゃないのよ。

私のお仕事先の大学生協(学生食堂)で、今日は年に一度というビアホールの日だったの。

これまで毎年ビアホールは開催されていたんだけど、どういうわけか、いつも雨だったのよ。
それが今年は快晴。

というわけで(?)、ご近所のMさんご夫妻をお誘いして、学生が溢れる生協でビールを飲んだのでした。

ちょいとピンボケ写真ですけど。


料理を作るのも学生、ビールを注ぐのも学生、というのでなかなか手際が悪くて、お客様には失礼だったかしら。

私たちのような中年男女というのは、あまり見かけなかったわね。
Mさんのご主人はまさに教授のようでした。

それに学生たちの喧騒といったら、ないわ。
今の男の子って、こういう場では、すごくおしゃべりなの。

でも、まあ安いから仕方ないわね。

ビールは250円、おつまみは全品200円でしたから。

焼き鳥、枝豆、たこのから揚げという定番にしました。

たまには学生気分に戻って、安いビールを飲むのもいいかもね。

2008年6月26日木曜日

この花は・・・


出勤途中に見つけたお花です。

花といっても高さが2メートルくらいあったから、木といったほうがいいかしら。

雨に濡れているので、ちょっとヨレッとしているわね。
葉っぱは割としっかりしていて、つやがあるの。
でも花のほうは、割と色っぽいのよ。


なんだかね、「源氏物語」に出てくる「軒端の萩」(のきばのはぎ)を思い出してしまったの。

この彼女、今の年齢で言えば10代の終わりごろかしら。
かなり大柄で、むっちりしているタイプ。
服装は大胆で、キャミソールにショートパンツなど着ていそうな感じ。
でもあまり垢抜けていなくて、ちょいと野暮ったいのよね。

そうね、「フラガール」に出てきた南海キャンディーズのしずちゃん(?)という女の子タイプかしら。

源氏物語の中では、彼女は大胆にも上半身をはだけて、囲碁なんかしているの。
ちょいとだらしない感じがする子なのよ。
源氏に見られているとも知らずにね。


光源氏は、本当は空蝉という人妻に会いたかったのに、空蝉さんは、薄い上着だけを脱いで置いて、するりと逃げてしまったのよ。

それでせみの抜け殻のようなことから、空蝉(うつせみ)と呼ばれたんだけどね。

それを知らない源氏は、空蝉の隣に寝ていたこの女の子を、空蝉と間違えて、抱いちゃうわけ。

現代人の感覚では、そんなの、ありえないよと思うけれど、当時はランプもなかったし、女性は髪の毛が長くて顔が隠れていたしね・・・。

でもさすがに源氏もこの女の子があまりに大柄で大胆なので、さすがにこりゃおかしいと、人違いに気づくわけね。


このお花を見ていたら、そんな源氏物語に出てくる女性のことを思い出してしまいました。

さて、何という名前のお花なのかしら?

2008年6月25日水曜日

おかしいよ!



ある慢性疾患(というと大げさだけど)のために、毎月1回は近所の病院に通院しているの。

その診察内容はというと、

お医者さんが
「どうですか」と尋ねるので、私は
「はい、いつもと同じです」と答え、
「では、血圧を測ります」と言われるので、腕を出して血圧を測ってもらう。
それから「はい、お薬を出します」と先生が言うので、
「はい、よろしくお願いします」と言うの。

毎回、ずーっとこの診察の繰り返し。
違うことは全然ないのよ。

半年に1回くらい、血液の検査をしてもらうので、その後には結果を見て、
「まあ、いいですね」と言われるくらい。

とにかく、それ以外の変わったことは何もないのよ。
だから検査がないとき以外は、毎回同じ料金だったの。


ところがよ、今日、受付で呼ばれたら、やけに安いのよ。

聞き違いじゃないのかと思って、受付のお姉さんに確認してもらったの。

そうしたらね、
「今日は診察時間が3分だったので安いのです。いつもは5分ですから」
と、説明されたの。

えー、病院の診察料金って、時間の長さによって違うものなの?

そうだとしても、今までこの程度の診察でも5分かかった原因は、この先生、割と世間話が好きなので、
「ビールはどのくらい飲むの?」とか
「毎日飲むのはだめだよ」とか話していて、それで5分になっていたのよ。

診察内容に追加があるわけではないのよ。

また冬だったら、セーターとかを着ているから、血圧を測るときに腕をたくし上げるのに時間がかかったりするでしょ。

そういうことで診察時間が変わってくるのに、それで料金が異なるとは、知りませんでしたわ。


それって、私が無知だったのかしら?

まるで同じ診察なのに、少しだけ時間がかかると料金が増加するってのは、なんかおかしいと思いませんか?

今度から、診察の時には無駄話はしないで、さっさと切り上げるようにしようかな、なーんて思っちゃいました。

こういうシステムってどうなのでしょう?

2008年6月24日火曜日

日本沈没


今日は市内の図書館が全部、休館だったの。

仕方がないので、DVD屋さんに行って、レンタルしてきたのがこれ。

小松左京の「日本沈没」の草薙剛バージョンです。
去年くらいに上映されたのかしら。


この本が元々、出版されたのは、1973年というからもうなんと35年前になるのよね。

そのとき本は読んだけれど、映画は見ていなかったの。

その当時はね、私は火山や地震を研究する研究者たちのお世話をする団体で仕事をしていたはず。
だから「日本沈没」の本も真っ先に読んだのだと思うわ。

映画が製作されたときは、仕事の関係の先生が監修にあたっていた記憶があるわ。

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草薙バージョンは、現代の日本が舞台。

神戸大震災のときに子どもで、そして大きくなったのが芝咲コウの役。
今は東京消防庁のレスキュー隊員という設定。

政府関係者は石坂浩二が総理大臣というのは、割と似合っていたみたいだけど、大地真央も大臣というのは、なんだか変な感じ。

おまけに大地真央と離婚した地球物理学の科学者が豊川悦司というのも、なんかおかしかったな。

ま、映画だからいいんだけどね。

それにしても、地震や津波、地割れのシーンは、CGだとは分かっていても、この前の中国地震や東北の地震が起きたばかりだから、思い出されて、やはり怖かったわ。

こんな大きな災害が起きたら、どうしたらいいのかしら。

日本が沈んでしまうなら、逃げても仕方がないのよね。

2008年6月23日月曜日

人形町散策


今日は、女優兼歌手のA子さん、トルコ研究家のT子さん、それに何のとりえもないおばさんの私、という妙な取り合わせのメンバーで、下町の人形町散策をしてきたの。

私は今まで人形町とはあまりご縁がなかったのだけど、娘がこの近くにある会社勤めをすることになって、何かとこの地域が話題に上っていたので、A子さんのお誘いに乗って、仕事の帰りに日比谷線で人形町まで出かけたわけ。

A子さんは、ご実家が水天宮の近くにあるそうで、そこは人形町と目と鼻の先の隣町。
ということでA子さんのガイドで人形町ツアーの出発!

まずは人形町の駅付近を散策。

娘の働くオフィスビルも見てきました。まだ残業をしている様子。

昔ながらのお店が点在しています。

「今半」とか「玉秀」とかいう有名なお店に混じって、「駄菓子バー」などもあるのよ。

最初に入ったお店は、来福亭という昔ながらの西洋料理やさん。
なんと創業は明治37年とか。
名物女将がいるレトロな雰囲気のところでした。


こちらは白いアスパラとカニのサラダ。
今どき白いアスパラがあるなんて、珍しいわね。


これはお薦めの一品のメンチカツ。
ソースの入れ物が、昔風でいいでしょ。
中はジューシーで、外はパリッとしていました。


これはカニのチャーハン。おいしかったですよ。

*****

腹ごしらえを終えて、次のお店へ。

外は雨がザーザー降ったり、急にやんだりしたけれど、幸いにあまり濡れなくて、よかったわ。


来福亭を後にして、今度は水天宮近くのイタリアンのお店。
コルレオーネという名前でした。

そうそう、東京の人なら知っているだろうけれど、水天宮というのは安産祈願の神社なの。
私にはもうご縁はありませんけれど・・・・。

そのイタリアンのお店は、けっこうイケメン揃いというので有名らしいわ。

私はカンパリソーダを頼んだの。
右にあるのはオリーブ。おつまみにはぴったりです。


こちらは珍しいシシリアのチーズ各種。
ヤギのチーズとか塩味の効いたチーズとかいろいろありました。
真ん中に置いてあるのは、乾燥いちじく。

それにパンもおいしかったわ。

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私にとって、女優業の人とか、古代遺跡の発掘をする人というのは、普通はなかなかお付き合いのできない範疇の方です。

それに年代も住んでいるところもまるで違うのに、いろんな話題が尽きませんでした。
A子さんはコンサートのお稽古に忙しいし、T子さんはまた8月にトルコに戻るという話でした。

たまには日常とかけ離れたところに行って、普段はお会いできない人とおしゃべりをして過ごすのも、いいもんだ、と思いましたわ。

2008年6月22日日曜日

待望の講義


私はこの日が来るのを、ずーっと首を長くして待ち続けていたの。

他のどんな用事も入れずに、絶対にキャンセルにならないようにしていたのよ。


それは、龍谷大学 RECコミュニティカレッジ東京というところでのお勉強会に参加すること。

《「源氏物語」を歩く -光源氏、都市に生きる- 》というタイトルで、龍谷大学の講義が東京でも学べる公開講座でした。

講師は龍谷大学文学部の准教授。

内容は、源氏物語の舞台となった平安京の町や近くの郊外を、その文学的見地と歴史的視点から踏まえる、というもの。

これって、私の興味とぴったり合致するの。

私は意味もなく地図を眺めるのが大好き。
そして今は源氏物語に夢中。
(ちなみに現在、瀬戸内源氏を読んでいるところ、)

そんな私だから、この講座に参加するのを本当に楽しみにしていたの。


東京駅近くの会場には90歳以上とおぼしき老インテリ女性や、定年退職したおじさま、若い女性まで300人以上、ぎっしりと聴講生がいたと思うわ。

みんな、きっと源氏のファンなのよね。

*****

講義の前に、京都府東京事務所というところの人が挨拶したの。

この講義は源氏物語千年紀委員会がやっている行事の一環であるから、ひとつよろしく、という趣旨でした。

秋には東京でも瀬戸内寂聴さんをお呼びして、大きなイベントがあるそうよ。
是非、行きたいわ。

*****

講義の前には、まず、源氏物語の文章の抜粋(当然、原語よ)と、京都近辺の地図が書いてあるテキストを渡されたの。

うーん、わくわくするじゃないの。

源氏がどこそこの姫君と恋愛をしたり、お参りに行ったり、方違えに行ったり、政治的活躍をした空間である平安京。

北は鞍馬の貴船神社から、南は宇治や平等院のあたりまで。
東は石山寺から、西は嵯峨の野宮神社まで。

講師の先生が、文章を読みながら、「ここに書いてある院というのは、地図上ではここになります」と説明してくれるの。

源氏がどこに住み、どこを通ったのか、その風景が見えてくるのよ。


そしてね、嬉しかったのは、私が4月に出かけた石山寺の説明を詳しくしていただいたこと。

石山寺というのは、当時の女性、たとえば蜻蛉日記の著者や、和泉式部、更級日記の著者などもみーんな、お出かけしているところなの。

講師の先生に言わせると、今でいう「癒しの場所」だったらしいわ。
つまり、都での生活に疲れた人が、身も心も癒すために出かけたのが石山寺。
そこの観音様に信仰をしていたらしいの。

石山寺は瀬田川を望む風光明媚なところで、琵琶湖も望めるところ。
そういったところに身を置いて、ゆったりとした時間を過ごすことが、当時の人には流行していたらしいの。

そういえば、石山寺には紫式部のお人形さんがいるのだけれど、江戸時代にはその人形の絵はすでに飾ってあったらしいわ。

そしてね、実在の人物だけではなく、光源氏も明石から戻ってきたときにそのお礼に石山寺に出かけたし、源氏の子どもの薫も、女三宮の病気治療のために石山寺に詣でるシーンが書かれているのよ。

そういうところに私も出かけたというわけ。


このお話を聞いて面白かったのは、当時の人たちって、活動範囲がすごく狭かったということ。

その頃、平安京には10万人くらいの人が住んでいたらしいのだけど、いわゆる繁華街(というのはおかしいな)というか、人々が主に生活していたのは、地図上で言うと京都の北東の地域だけだったらしいの。

だから嵯峨野の野宮神社とか、宇治に出かけるというとなると、ちょっとした小旅行の気分だったのかもしれないし、物の怪が出るような雰囲気もしたかもね。

それに光源氏の行動範囲はかなり狭くて、二条の辺りから五条くらいまで。

藤壺の実家と源氏の生家なんて、ほんの目と鼻の先なのよ。
これじゃ、不倫があっても仕方ないかも、と思えるほどでした。


他にもいろいろな場所を教えていただきました。

夕顔と秘密のデートした場所だとか、朧月夜と出会った場所だとか。

本当に楽しい講義だったわ。

いつもはサイエンス系のセミナーに出席することが多くて、そういう場合って、スクリーンにパワポで映し出すことが多いのだけど、今回はホワイトボードに手書きの説明。

そういう講義も、かえって新鮮でよかったわ。

ますます源氏物語のファンになった講義でした。


なお、今日の写真はFUZZYというところからいただきました。

アロイじゃ~ん!


タイ人女性のSさんによる本格タイ料理教室「アロイじゃ~ん」も私は4回目の参加。

アロイというのはタイ語で「おいしい」ということ。
「じゃ~ん」は「そうね」とか言う意味だそうです。
日本語でも「○○じゃん」って言うでしょ。
だから「アロイじゃ~ん」は「おいしいわよね」という感じかしら。

Sさんのおうちにはいろんなものが飾ってあるけれど、これはタペストリー。


料理の話をする前に、「世の中、狭いな」という話をひとつ。


それはね、この料理教室はSさんの友人や知り合いが主に生徒さんなのだけど、SさんがブログやMIXでも、この料理教室のことを書いているのね。それでネットを見て、参加申し込みをされる方がいらっしゃるの。

今回は、ある男性がいらっしゃったのよ。

そうしたら、その方、なんと私が先月、出かけた「POKU POKU」の店長さんだったの。

メニューの研究をするために参加したみたい。

おまけに私の顔を見て、「お嬢さんと二人でカウンターに座り、チキンライスと青菜炒めを注文しましたよね」と言うのよ。

わー、どうしてそんなことまで覚えているの?

店長さんに聞いてみると、このお店はまだオープンしたばかりで、それでどんなお客さんが来店したか覚えているそう。

でも、世の中狭いわね。悪いことはできないわ。

******

さて、本日のメニューは私の大好きな「パッタイ」とココナツ味のチキンスープ。

こちらが準備段階の材料です。


さて「パッタイ」。

「パッ」というのはタイ語で「炒める」という意味だとSさんが教えてくれました。
だから「パッタイ」は「タイ炒め」というわけ。
それほど、有名なタイ料理ということですね。

主な材料は米麺、卵、厚揚げ、海老、たまねぎ、にら、たくあん(不思議でしょ)、もやし、ピーナッツなど。

調味料はタマリンド(タイの豆)の果肉、ケチャップ、パームシュガー、ナンプラー、砂糖、オイスターソースなど。

この料理のメインは「パッタイソース」を作ること。
こんなふうにお鍋に入れて、タマリンドと調味料をよく溶かして作るの。
このソースが決め手よ。


あとはフライパンに材料を入れて炒めて、調味料で仕上げます。


えびが大きいでしょ。

それほど辛くないからタイ料理が苦手な人でも大丈夫よ。

******

もう一品は「トムカーガイ」。
「トム」は茹でる、「カー」は香辛料の名前、「ガイ」は鶏という意味だそうで、つまり香辛料入りのチキンスープ。

いろんな香辛料や調味料を入れるのよ。
レモングラス、こぶみかんの葉、ナンプラー、カー、レモン汁、生唐辛子、パームシュガー。


こうやって、香辛料をクロックでつぶします。
クロックというのは、石臼という意味かな。

つぶした香辛料を、ココナッツミルクの中に入れていくの。
他にはメインの鶏と、しめじ。それに最後にミニトマトも入れて、色を添えます。

そうね、甘くて、酸っぱくて、辛いというタイ料理の味そのもの。

仕上げはもちろんパクチーです。


ちょいとボケ写真だけど、うーん、おいしかったわ。


この飲み物はタイのお茶。
バニラのような味がしたの。とてもまろやかでおいしいお茶でした。

*****

今日は生徒が6人で、3人一組になって料理を作ったのだけど、Sさんの明るい人柄と、国際的センスの良さのおかげで、雨の日でも、とても楽しいひと時が過ごせたわ。

Sさん、ありがとう。

タイ料理のほかに、興味のある人にはタイマッサージやタイ語も教えてくれるそうよ。

*****

  「アロイじゃ~ん」のページは  こちら

  タイ料理教室3回目 こちら

  タイ料理教室2回目 こちら

  タイ料理教室1回目 こちら

東京駅で迷子?


昨日は、東京駅の近くに用事があって、お出かけしました。

そこは初めて行く場所だったけれど、ま、東京駅だしさ、東京生まれの人間としては、気楽に出かけたのよ。

東京駅って八重洲口と丸の内があって、それぞれ中央口、北口、南口に分かれているでしょ。

その行き先は、案内状の地図によると、丸の内北口に近かったのね。
だから丸の内口(いわゆる赤レンガのところ)に出て、きょろきょろとしたのだけど、それらしき建物が見つからないのよ。

地図を手にして、目の前の現実の場所とにらめっこ。
私が立っているのがここだから、目指すところはあそこかな、ここかな、とウロウロしてしまいました。


私がいたところの近くには、OAZOが見えていて、「ああ、ここがかの有名なOZOAか」なんて思っていたのだけど、案内状の地図によると、OAZOは方向違いなのよね。

ほぼ迷子状態になってしまったわ~。
自分がどこにいるのか分からなくなってしまったの。

まさに「ここはどこ?」という状況。

あー、落ち着かねば!


と、そのとき、目を遠くにやると、ああ、私の目指しているビルの看板が見えるじゃないの。

ほっと一安心。

まるで見当違いの出口に出てしまったみたい。

線路沿いにかなり歩いて、目的のところの近くまで行ったら、なんとそこには東京駅の「日本橋口」と書いてあるのよ。

えー、そんな出口、知らなかったわ~。
そこの出口から出たら目の前だったのに。

サピアタワーもありましたよ。


ここのビルは1階には銀行、その上はスターバックスやレストランがあり、オフィスがたくさんあって、一番上はメトロポリタンホテルが入っているみたい。

去年の3月にオープンしたらしいわ。

サピアタワーの名前は、仕事の関係でよく耳にしていたのだけど、そうか、こんなところにあったのね。

中にはいろいろな大学のサテライトスクール(?)が入っていたりするので、ビジネスマンがお勉強したりするのには、立地条件がいいわね。

いろんな団体が会議室として利用しているみたい。
こんなところで会議をしたら、使用料金が高そうだな、なんて思っちゃったわ。

コンビニ(ファミマー)もビルの中に入っていたのだけど、うちの近所にあるファミマーとはまるで様相が違うのよ。店内は黒を貴重とした高級イメージがふんぷん。

そこでお茶を買ったけど、ま、値段は同じでしたわ。


ということで、東京駅に日本橋口があるなんてこと、ついぞ知りませんでしたわ。

私が行くべきところはサピアタワーではなかったのだけど、迷子になったおかげで、新名所にも入ってしまって、いい体験でした。

さて、このあたりで、私が何をしたか、ということは次回のお楽しみね。

2008年6月21日土曜日

多田富雄さん


今、朝日新聞の朝刊に、多田富雄さんの生活と意見が掲載されているので、ご存知の方も多いかもしれない。


多田さんは現在74歳で東大名誉教授。
免疫学の国際的学者であり、能作家であり、詩人でもある。

それだけでも素晴らしい方なのだが、それ以上に驚くのが、この方は2001年に旅先で脳梗塞で倒れて以来、右半身不随、声も出せない、食べることもできない第一級の身体障害者になってしまったことだ。今は老人養護施設にいらっしゃるそうだ。

前に読んだ本は「歌占(うたうら)」という詩集。
このタイトルは能のストーリーに由来するそうだ。

多田さんは倒れた後も、数多くの舞台や芝居を観ていらっしゃるが、その感想をこの「歌占」という詩に書いている。

力強くて、情熱的な詩ばかり。
70歳以上の人が書いたものとは思えないほど。
一度、死を目前にして地獄を見た人は、これほど生命力が湧いてくるのだろうか。
狂おしいほどの叫びが聞こえてくる。


そして今読んでいる本は、多田さんの書いた「わたしのリハビリ闘争」という本。

多田さんは旅先で倒れて3日3晩生死をさまよい、そして奇跡的に回復してからも、あまりの酷い状況に自殺を考えたことも何回もあったそうだ。

これには多田さんが倒れてからのリハビリの状況が書かれているのだけれど、それ以上に、政府のリハビリに対する政策へのものすごい反論が書かれている。

政府は「治る見込みのない人を切り捨てるために、リハビリは180日を上限とする」という方針を立てたらしいのだけれど、多田さんはこれに対して、投書などを通じて反対運動をして、全国で40万人以上の署名を集めたという。


実は私の父も何回も脳梗塞を患っていて、そのたびに入院・退院を繰り返していた。

何回目かのときに、左半身がおかしくなり、食事や歩行が困難になった。とはいえ、ステッキを使えば歩けたし、スプーンを使えばこぼしながらも食事はできていた。だから軽度の脳梗塞だったのだろう。

ところが最後に倒れたときは、意識も薄れ、言語機能がダメになってしまい、結局それが元で病院で亡くなってしまった。

祖母も脳梗塞で倒れた。
リハビリをすれば治ったのかもしれないが、当時はまだリハビリはそれほど重視されていなかった頃だし、祖母もリハビリなんて大っ嫌いという感じだったので、寝たきりになってしまったようだ。


身内にそういう人間がいたので、脳梗塞というと、治らない病気だと思い込んでいたが、多田さんの本を読むと、リハビリでここまで回復するのだ。

多田さんは、必死のリハビリ訓練によって、本を何冊も出版したりするくらいに回復されたのだ。

ただし、リハビリは継続性が必要であり、他の病気で入院していた間に訓練できずにいたら、それだけで筋肉が低下してしまったそうだ。

そういう重要なリハビリを打ち切る、という政府の非常な方針。

この本は多田さんが、左手の指一本でパソコンを操作して書いた本だという。

脳梗塞になっても脳の記憶の部分と、思考の部分がやられなかったので、本を書くという活動もできたわけだが、そのあたりは運にもよるのだろうか。

多田さんご自身の言葉によれば、
「脳の一部は死んで戻らないが、その代わり何か新しい回路が生まれたようだ」と書いてあった。

脳梗塞になって初めて、昔は分からなかったことでも、分かるようになったこともあるそうだ。


多田さんは学会の運営に長く携わってきたことから、こういう政府の方針に対して、関係学会(リハビリ学会など)がまるで、反対の態度を示さなかったことを非常に怒りを込めて告発している。

何か問題が起こったときに、学会というものがどういう態度をとるか、学会としての方針を決める、というのは、その会長がよほどの統率力・指導力がないと難しいようにも思えるが、多田さんは学会というのは科学者としての発言をアピールすべきだと主張している。


多田さんは国際組織の会長もされていたので、世界中の研究者と付き合うことも多かったらしい。

そして世界で活躍するためには、まず日本の文化を知らなくてはならない、と言い、現代の若者には日本のことを学ぶようにと、強くアドバイスしている。
若いときに親しんでいた能のおかげで、世界各地の研究者ともハイレベルの文化的会話ができたか、という経験も書いてあった。

以前、やはり免疫学の研究者の話を聞いて、その著書「新・免疫の不思議」を読んだのだが、その研究者も歴史に造詣が深く、ワインにも薀蓄のある方だった。

私の周りにも科学者(というか、その卵の卵)がいるが、自分の専門分野のことだけでなく、文化や芸術に親しみ、人間味のある科学者になってもらいたい。

そしてこれは科学者ばかりでなく、私たち自身も、どんな状況になっても強い意志で生きていかなくてはならない、と思わせる本である。

<参考>NHKスペシャル 「脳梗塞からの再生」はこちら

2008年6月20日金曜日

カメラが・・・!


今朝は何となく梅雨っぽい空で、帰宅する頃には雨が降るかもしれないと思ったので、チャリ通勤ではなくて徒歩で出かけたの。

そして通勤途中のお花を写そうと思いながら歩いていたの。


ピンクの可憐なユリを見つけて、写そうと思ったら、

あっ!

カメラがポトンと草むらに落ちてしまったのよ。

焦ったわ~。

それでも拾い上げて写したら、ちゃんとシャッターが下りたので安心しましたけれど。

壊れていなくてよかったわ。


もっと高価なカメラを持っている人は、きっといつもハラハラしているのかしら?

それとも安物だと思っているから、かえって丁寧に扱わないのがいけないのかな。

高級カメラなら、もっと丁寧に取り扱うかしら?

仕事場に到着して、お庭のあじさいを写しました。


このときは本当にしっかりと持っていましたよ。

2008年6月19日木曜日

奥の細道


私の住んでいるところの文化会館で、関野準一郎さんの「奥の細道」版画展というのを開催している。

先日、たまたま入ってみたのだけど、あまりの素晴らしさに、皆さんにもお伝えしようと思ったの。

関野さんという方は青森県出身(あの棟方志功さんと同じ)の版画家で、20代で上京して、それから少ししてからずーっと、この市に住んでいらっしゃった方です。

私はこの方のことは、市のカレンダーなどで知ってはいたのだけど、これほど有名な方とは知りませんでした。

略歴を見ると、紫綬褒章ももらっていたり、アメリカでも有名な版画家だそうです。
というよりも、アメリカで最初に評価されて、そして日本でも認められたようです。


今回の展覧会は、「奥の細道」で芭蕉が旅をした各地を関野さんが訪ねて、俳句にあわせて風景を版画にしたものでした。

お江戸日本橋や浅草からスタートして、松島、瑞厳寺、中尊寺、鎌先、鳴子、尾花沢、最上川、立石寺・・・・などたくさん展示してありましたよ。

このほどの地震被害地になったところも含まれているかもしれないので、ちょっと緊張してみていました。

雪の景色、新緑の景色、青森や北陸の各地の景色と、芭蕉の俳句がうまくMIXして、独特の世界を築きあげていました。

先日、訪れた琵琶湖の近くにある石山寺の芭蕉が愛した「芭蕉庵」の版画も展示してあって、
「そうそう、ここに行ったのよ」と嬉しくなりました。


この前、京都で山口伊太郎さんという西陣織作家の作品展を見たときも思ったのですが、絵画というのは絵だけなんですけれど、織物とか版画というのは、その絵に加えて、それ以上の労力が必要なのですよね。

コツコツと地道にする作業です。
気が遠くなるほど、ひと彫り、ひと彫りされたのでしょう。

そしてバレンで力を込めて押す。

展覧会では、関野さんのお仕事の様子も説明してありましたけれど、版画というのは単に一枚の板に彫るだけではなくて、何色も使用してある場合、その色ごとに版画を彫るんですね。
赤い色の部分、緑色の部分、金色の部分と、何パターンも彫るのです。

言葉足らずなんですけれど、すごいなーと思わざるを得ませんでした。

入場は無料ですから、お近くの方、どうぞご覧になってください。

館内では生前のビデオも上映しているので、お薦めします。

参考HP:http://www.enchanteart.com/0j-sekino.htm