2009年1月30日金曜日

十年ひと昔

ちょうど10年前の今日、父が亡くなった。

脳梗塞で何回も倒れ、そのたびに入退院を繰り返していたが、ついに10年前には治ることなく亡くなった。

若い時から囲碁が大好きで、定年後は毎日のように碁会所に通い詰めていた。
そしてテレビの囲碁教室を見ては、あれこれ学んでいたようだ。

今にして思えば、碁の遊び方を教えてもらえばよかったのに、と悔やまれる。

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父は穏やかな人で、声を荒げたりしたことはなかったのではないだろうか。

戦争中は南方の国に派兵していたようで、そこで経理の仕事をしていたらしい。
だからいわゆる戦闘には参加していなくて、もっぱら事務職だったようだ。
それでも目の前で戦艦が沈没していくシーンを見たりしたらしく、「同期の桜」の集まりにはよく出かけていた。

亡くなった後に見つけた日記には、それはそれはきれいな字や数字が並んでいて、私は自分のぐじゃぐじゃな字を見るたびに、どうして父のような端正な字が書けないのだろうかと思ったほどだ。


(写真は「足成」という無料写真サイトからお借りしました。)

亡くなった当時、両親は同じ市内にあるマンションに二人で住んでいたが、父の死後1年経った時、残された母を引き取って、それから一緒に暮らしている。

その母も、最近は老化が激しく、今後は介護の専門家の手にゆだねることになるだろう。

今日は、父が亡くなる前に最後に口にしたお汁粉を食べて、父を偲んでみようと思う。

十年ひと昔というけれど、今からの10年、私はどんな人生を送るのだろうか。

14 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

自分自身が老いるという事を真剣に考える年になって来て、老いることが怖いですね。

今までの人生で蓄えてきた知識や人格や思い出が、これからは少しずつ自分の中から消えて行き、最後はすべて消えてしまって土に戻ってしまうのでしょうか。
失ってもどうせ大したものではないので、それはそれでよいのだろうなとも思います。

残った人にほんのひとかけらでも、自分の良い思い出を残せたらそれで良しと思って、残りの人生を愛する人たちと楽しく過ごすことにしましょうかね。

匿名 さんのコメント...

お父様の命日なのですね。
私も父親っこでしたのでもう少し長生きしてくれたらどんなに良かったかと思います。もう20年以上になりました。

私もこれからのことをよく考えます。
10年先どうなのかなぁ?
同じように人生楽しんで暮らせたら幸せだけどね。
問題山積みです。

匿名 さんのコメント...

としちゃん、しみじみしたお話ですね。
私の父も囲碁が趣味で、仕事を退いてからは、毎日のように碁会所に通っていました。
でも、認知症が進んでからは、囲碁どころか、碁石を口に入れようとしたことがあったんです。悲しいやら、おかしいやら。
老いるというのは、寂しいことですね。
あまりみじめにならないうちに、子供の迷惑にならないうちに、と今は思っていますが、さぁ~どうなんでしょう。

匿名 さんのコメント...

こんばんは。父母共に現在で、還暦を過ぎた今も毎日遅くまで働いて、僕よりも元気ではないかと思うほどです。が、京都に越してきて以来、毎日会う事が無くなり、一年に一度位会う度に少しずつ小さくなっていく両親を見て、いつまでもずっと同じままではないという現実を思い知らされています。と同時に父となった今、少しでも長く子供の為に生きられるよう、頑張らねばとも思います。そんな振り返りをする事が出来ました。ありがとうございました。

おおしまとしこ さんのコメント...

諏訪ッチさん、今まで培ってきたものが全部なくなってしまうということはないと思うわよ。それが子供とか周りの人にいろんな形で伝わっていくと思うわよ。
そうそう、楽しく過ごすことが一番ね。

おおしまとしこ さんのコメント...

さとさん、お父さんっ子だったのね。
私の場合は妹のほうが父とは仲がよかったわね。だからあまり可愛がられた記憶もないのだけれど、亡くなってみるといい人だったんだろうな、と思うわね。

おおしまとしこ さんのコメント...

マサさん、碁石を食べちゃったら、周りのみんなは驚くわね。でもそれほどお好きだったのかもしれないわ。
うちの父は碁も将棋もトランプも花札もなんでも上手だったわね。
でもものすごい不器用人間で、昔は、自分でお湯を沸かすこともできないくらいでしたよ。

おおしまとしこ さんのコメント...

日々是写真日和さん、親って、本当に小さくなるんですよね。5センチ以上、背が低くなっていると思いますね。たまにお会いになると、びっくりすることも多いでしょうね。
でもまだ60歳代ならお若いですよ。いつまでも働いているのも、心身ともによいことだと思いますよ。

匿名 さんのコメント...

あたしは兄と年が離れていて、両親はもういい年なんです。
近所なのでいまだにあたしたちの心配をしてくれますけれど、どこそこが調子が悪い、なんて話を聞くと、自分がしっかりしなければと思います。
ふたりとも元気なんですけれど、いつなんどき、元気がなくなるか判りませんもの。
今まで口数の多い父の話は話半分でしか聞きませんでしたけれど、これからはもう少し、ちゃんと聞こうと思います。
今の内に教えてもらいたいことも、足を運んで聞いておきます。
やっぱり先輩の言葉は重みが違いますね。
ありがとうございます。

おおしまとしこ さんのコメント...

史子さんのお父様はお話がお好きなのね。それならいろんなことを学べると思うから、どんどん聞いておかれるといいでしょう。
ご近所に住んでいらっしゃるのは、お幸せね。いっしょにお酒を飲んだりもするのかしら?

匿名 さんのコメント...

お父上、穏やかで端正な方だったんですね。としちゃんはお父様っ子だったのね。
10年経った今日でも、亡くなった時の瞬間の悲しみを思い出されることでしょう。


確かに10年後、私は考える事が怖い年齢になりました。
かなり変化があるような気がするわ。

おおしまとしこ さんのコメント...

真蘭さん、こんにちは。これから10年というと長いような気がするけれど、過ぎてしまえば、10年なんてあっという間ですよね。
あまりぼけないうちに早く逝ってしまったほうが、回りに迷惑かけないでいい思い出が残るような気がするわ。

匿名 さんのコメント...

としちゃんのお父様には最初の結婚式の時にお目にかかりました。ほんとうに穏やかそうでお母様はしゃきしゃきっとした方でしたね。優しいお父様という感じでした。
何かこの記事を読んだ時しんみりしてしまいました。コメントを書こうと思っていましたが忙しくしているうちにだいぶ経ってしまいました。
これから10年もあっというまでしょうね。
残されたときを大切にしないとね。
父にもまた会いに行きたい。
うちの父も海軍経理学校というところだったわ。学徒出陣で出征して運よく戦争が終わり助かりました。

おおしまとしこ さんのコメント...

カンカンさん、私はとくに父のことを好きだったわけでもなんでもないのだけれど、亡くなってみると、思い出すことがありますね。
カンカンのお父様は海軍だったのね。うちの父は陸軍の経理将校(?)とか言っていました。もっといろんなことを聞いておけばよかった、と思います。