2009年12月31日木曜日

遊女の悲しみ ~京都~

一年の終わりの日に、遊女のことを取り上げるなんて、あまり相応しくないかもしれないけれど、今年も京都に何回か通った私としては、「五條楽園」を取り上げて、一年のまとめとしてみたい気分なのです。


「五條楽園」とはかつての遊郭のあった場所です。

京都の同じ花街とはいえ、祇園などとは風格も違い、趣きも違うところです。

この地域に足を踏み入れた時、一種独特の雰囲気を感じました。
そして私はいろいろなことを想像してしまいました。
遊郭のことはほとんど知りませんので、これから書くことは事実とは異なることがあるかもしれませんので、単なる旅行者の感想ということでお読みください。


かつて赤線が廃止される以前は、五條楽園には900人の遊女がいたそうです。

遊女といっても江戸時代の花魁やら現代のソープランドで働く人やら、この職業の女性というのは太古の昔からあるわけで、遊女になるにはそれぞれの理由があるとは思うのだけれど、いずれにせよ愛情のない男に身を売るということは悲しい出来事に違いありません。

ふと水上勉の「五番町夕霧楼」を思い出してしまいました。

遊女以外になる道はなかったのか、あるいは好きでやっているのかは分かりません。しかし、一日に何人の男の相手をするのか知りませんけれど、いくらお金を稼ぐためとはいえ、辛い仕事だったことでしょう。

「五條楽園」では今も営業しているところがあるようなので、現代でも愛のない男に身を任せ、それを生業としている遊女が存在しているのでしょう。


五條楽園の建物は、見かけはちょっと年代物の旅館風です。昭和初期、あるいは大正時代ごろに建てられたのでしょうか。

今でも「お茶屋」という看板が出ています。


お茶屋のシステムはよく分からないのですが、想像するに、「やりてばばあ」と言われるおばあさんが、その辺を歩いている男性を呼び止めて、置き屋で囲われている女性と二階に上がり、そこで・・・・・。

といったふうなのでしょうか?

遊女とはいえ、嫌な男、好みでない男の相手をするのはどんな悲しみがあったことでしょう。

ここに写した古い建物のすべてがお茶屋さんだったかどうかは分かりません。
でもこれらの建物からは、遊女の悲しみが漂ってきました。

ここで意外だったのは、五條にも歌舞練場があったことです。
遊女さんたちはここで踊りや三味線のお稽古をしていたのでしょう。
身体を売ってはいても、やはり芸を磨き、芸を披露するのが生きがいになっていたのかもしれません。


さて、源氏物語に出てくるたくさんの女性の中にも、どんな高貴な女性であっても、好きでもない男に嫁がざるをえなかった人たちも登場します。
直接の金銭の授受はせずとも、彼女たちは自分で稼ぐことができないので、後見人である男のところに嫁ぐという形で世話を受けながら、生きていかなければなりませんでした。

男たちの意志のままに動かされ、自分の意志ではなく、流されるままに袴の帯を解かされるということは、遊女たちと似通ったところもあると、感じられてならないのです。


その最たる女性は宇治十帖の浮舟でしょう。

彼女は父親は高貴な皇族なのですが、母親の身分が低かったために、父親からは認知されず、そして母親の再婚者である義理の父親が東国に行くことになったために、都を離れた東国で成長します。
ところが運命のいたずらから都で高貴な男性に見染められ、なおかつその男の親友である高貴な男性(帝の三男)にも目を付けられてします。美人に生まれたがための宿命かもしれませんが、彼女はその二人の男の間で翻弄されて、結局は宇治川に飛び込むという死を選ぶのですが・・・・。

そんな浮舟の姿は、私にとっては遊女に思えてしまうのです。

源氏物語のヒロインたちは、どんなに身分が高くても教養があっても、自分で道を切り開くことを選べず、男性からの行動を待つだけでした。

当時は結婚生活といっても、夫婦が同居するということはあまり多くはなかったので、正式に結ばれてからも、毎日同じ家で一緒に過ごすわけではなく、男性の「お渡り」を待っているしかありませんでした。また高貴な男性は、数人の女性を持つことが普通でしたらから、他の女性のところへ泊りに行ってしまい、「夜がれ」という一人寝の夜をすごさなければならないこともたびたびでした。いつ夫の訪れがあるのか、いつ便りがあるのか、待つことだけしかできなかった女性たち。
その彼女たちの歌や手紙などが文学として昇華されて行く時代でした。

源氏物語では、紫の上のように光源氏とは愛情面でもしっかりと結ばれていた最愛の立場の女性であっても、彼に帝の娘という高貴な女性が本妻として嫁いでくれば、それまで築いてきた信頼も愛情も薄れてしまい、彼女は悩んで出家を願うばかりでした。しかしそれも夫からは許されず、病気になって亡くなってしまうのでした。

現代においても、公式には結婚している立場ではあっても、夫に頼って生きているかぎりは、女性の悲しみはあるのではないでしょうか。
女性が自分で生きる道を探していかない限り、遊女の悲しみはいつまでも続くのではないでしょうか。


源氏物語にはたくさんの高貴な女性が登場しますが、自分の気持ちから男と関係を持った人は少ないのです。

その中で自分から積極的に行動したのは、六条御息所と朧月夜くらいではないでしょうか。

御息所は別に置くとして、朧月夜は東宮の婚約者でありながら、政敵である家の光源氏と関係を持ってしまう。
彼女も光源氏もその関係を大いに楽しんではいたわけですけれど、それが発覚してしまい、光源氏は須磨に流されてしまいます。光源氏が都に戻ってからも、懲りずにまた逢瀬を楽しんでしまうというかなり大胆な女性です。しかしそんな彼女も最後には自分の意志で髪を切り、尼となってしまいます。
朧月夜は奔放な生き方ですが、自分で選んだ道を行く、というところが私には納得がいく女性に思えるのです。


五條楽園の古めかしい建物の道を歩きながら、千年前の女性たちのことをふと思い出してしまいました。

今年もいろいろな人の訳の源氏物語を読んできました。何度も読み返しているうちに、今までは読み飛ばしてきたところ、意味が良く分からずにいたところも、少しずつ「そうだったのか」と思えるようになりました。

女性の悲しみと喜びを書き綴った世界最古の長編小説を、何回も繰り返して読めることの幸せを感じています。

2008年の大晦日も源氏物語のことを書いていました。→ こちら

******

今日のブログで不当と思われる表現がありましたら、ご容赦ください。

2009年12月30日水曜日

大根焚き ~京都~

年の瀬が近づいてきました。
みなさま、おいしいものをたくさん召し上がる機会が多いことでしょう。

さて、こちらは20日ほど前に京都でいただいたおいしい大根料理のお話です。
料理はシンプルで、そして大量に作るのがおいしさの第一条件だとつくづく思いました。

**************

12月9日・10日に京都に行くと決まった時、この日でないと経験できない行事はないかな、とインターネットで検索しました。

そうしたら一年のうちで、この日だけという行事があったのです。

それが了徳寺の大根焚き(だいこだき)。
その行事に参加すれば、おいしい大根が食べられるというので、是非行ってみたくなりました。

了徳寺というお寺の場所は、仁和寺の近くのようなのですが、行き方が良く分からないので、京都のさとさんに連れて行ってもらうことにしました。ところがさとさんも、よく知らない場所だというのです。あまり有名なお寺ではないようです。

それでも「鳴滝」あたりに行けばなんとかなるだろうと出かけたのですが、地元の人に尋ねてもどうも分かりません。でもインターネットでは見つけたんだけれどな・・・・。

ようやく見つけました。見つかったときには嬉しかったわ。
「あ、ここだ!」と歓声をあげてしまいました。了徳寺はとても小さなお寺なのでした。


そう、ここが「大根焚き」のお寺なのです。


お寺の境内ではたくさんの信徒さんたちが料理の用意をしていました。
3000本の大根を用意して、1万人分の大根焚きを作るのだとか。


樽の中には大根がぎっしり。

なんでも750年前に、親鸞聖人がここを訪れたとき、地元の農家の人が「何もないのですが、大根でも召し上がれ」と言って塩味の大根を差し出したのが、この行事の発端だとか。

そして親鸞聖人はそれを大変喜んで、お礼に庭にあったすすきの穂でさらさらと字を書いたとか。
このあたりのお話はお寺の信者さんが説明されていたのですけれど、ちょっと聞こえにくかったので、あまり正しくないかも。


大きなお鍋から湯気が立ちあがっています。
こういう風景を見ているだけで、寒さを忘れるようでした。


こちらが出来上がり。お椀には大ぶりの大根と、油揚げが入っています。
両方とも私の大好物。
大根はとても柔らかかったし、油揚げもしっかりと味がしみ込んでいて、とてもおいしかったわ。

了徳寺を探し当てた甲斐がありました。

さとさんと二人で「おいしかったわね~」とうなづきました。


お寺の近くの道端では、野菜などが売られていました。
私もお正月用にエビ芋を買いました。とても安かったの。
干し柿や大粒のイチゴ、丹波の黒豆なども買いたかったのだけど、荷物になりそうなので諦めました。
旅先でのお買物って、野菜売りのおじさんとも話ができるし、いろんな出会いがあって楽しいものです。

案内人のさとさんのブログはこちら
写真がとてもきれいですよ。

2009年12月29日火曜日

お正月のお花作り

「お正月玄関用の寄せ植えアレンジ」を習ったのは、ずいぶん前でした。
12月のまだ初旬だったかしら。

お正月にはまだ気が早い、と思って、ブログにアップするのはお正月が近づいてからでいいわ、なんてそのままにしていました。
他の記事を載せていたら、アッと気付いた時には、もう本当に年の暮れです。
いくらなんでも年を越してはまずいと思い、こんな年末になってアップします。


今回の材料は
 ・コンファーというミニ植木が2種類。これはお正月を過ぎてきたら、外の土へ移すとどんどん大きくなるそうです。ゴールドクレストというのと、シルバースターという名前でした。
 ・ヒバ これは球体の置物をくるむためのもの。
 ・苔  植木の脇に敷き詰めます。

他に飾り用として
 ・水引
 ・ゴールドの松ぼっくり
 ・「謹賀新年」のピック
  ・破魔矢
 ・羽つきの羽根

そしていつもの
  ・オアシス
 ・ワイヤー
などでした。

これは四角いオアシスをカッターで丸くカットしたところ。


直径6センチになるくらいに、どんどん削っていきます。丸くするのも難しいわ。ここにヒバを乗せて、ワイヤーで巻くのだけど、これが難しい。

花器の中にオアシスを置いて高低差のある段を作り、そこに苗木の背の高さを考えながら植えて、固定させます。
そして球体のものを横に置きます。
ここまでがメインです。

後はデコレーション。
松ぼっくりの根っこにワイヤーをつけて、オアシスに挿します。

羽やお正月用お飾り、破魔矢などを適当な場所に飾ります。
水引をきれいに形作るのが難しいわ。


まぁ、なんでも好きなものを挿しただけ、というふうでもありますね。

これだけなんだけど、なかなか気品が感じられません。


クリスマスの前からずいぶん長いこと玄関に飾っておきましたが、少しはお正月の雰囲気があるかしら?


「月の雫」という題名の花器が素敵だったので、それだけは良かったわ。

実は私は、こういうチマチマとしたデザインのものは、どうも苦手。
何となく作られすぎている感じがするのよね~。

とはいえ、この不器用な私でもなんとかできたので、教えていただいた先生には感謝しなくちゃね。

2009年12月28日月曜日

スペイン料理でお楽しみ

先日、娘や娘の彼氏と一緒にスペイン料理をいただいてきました。

場所は新宿。

待ち合わせの時間にはちょっと早かったので、サザンテラスのあたりのライトアップを見てきました。


後ろに見える時計塔は、NTTのビル。


みんな、このブルーのライトアップを写すのに懸命です。携帯写真でバチバチ写していましたよ。

お店はアマポーラ

本当は大手町あたりのお洒落なお店にしたかったのだけれど、どこも予約が取れなくて、庶民的なところになりました。


サングリアで乾杯をした後は、食事はまずは「タパス」と言う、小皿料理から。


スペインではこういうおつまみをよく食べるのよ。
小エビのガーリック炒め、タコのパプリカ焼き、オリーブ、生ハム、トルティージャ、モツ煮込み、ホワイトアスパラガス・・・・。いろいろ少しずついただけるのがいいわね。

メインはブイヤベースとパエーリャ。


ブイヤベースの白身魚がおいしかったわ。トッピングに松の実が入っていたのが、味にコクがでていました。

パエーリャは、焦げたご飯がおいしいのよね。こそげとって食べました。


デザートはチョコレートケーキ、それにピンクのは木イチゴのシャーベット。


アルハンブラという名前のスペインの地ビールやら、日本のビールをがばがば飲みました。

面白かったのは、このお店では「おみくじ」を引くの。それで大吉や中吉が当たると、次回の食事に使える商品券がもらえるのよ。私は中吉だったので、500円分もらってきました。

耳管の違和感を治すためにも、たくさん食べて太るのがいいそうで・・・。

とはいえ、ちょいと食べ過ぎたでしょうか?

2009年12月27日日曜日

「もっと 太ってください」

「もっと太ってください」なんて言われたのよ!
最近、あまりに太りすぎて悩んでいる私に対して、誰がそんなこと言ったと思う?

*********

実は、このところ、身体のあちこちにガタがきていました。

顔は赤くかぶれてしまって、1週間もマスク姿で通勤していたし、外反母趾の進行は進むし・・・。

一番気になっていたのが、耳の中がぼわーんとしていて、ちょうど飛行機が降下する時のような感じが数日続いていたことなの。
初めは、タートルネックのセーターの首がきついのでこんな変な声なのかしらと思ったのだけど、どうもおかしいのよ。
自分の声が自分ではないように聞こえるし、他人の声も遠くに聞こえるような感じがしたの。
お風呂に入ったときなど、とくに違和感があったの。

もしこのまま放っておいて耳が聞こえなくなってしまったらどうしようと思って、耳鼻科に行ってきました。


お医者さんに症状を話したら、聴力の検査やら鼓膜の振動の検査やら、あれこれ調べてもらうことになりました。
特別なボックスの中に入って検査です。
そしてしばし待たされて、先生からの説明。
グラフや数字を見せられて、これからどんなふうになるのかしら、と私はちょっぴり心配でした。

まず先生は「あのですねー、この症状は治療法はないのですよ」とおっしゃるよ。
それって不治の病ということ?
えー、どうしよう! と思っていたら、
「こういうことはよくあることで、実は僕もそうなんです。」とのこと。
あら、そうなんですか?
そうしたら「このままでもいいのですが、治したいのならもっと太ってください」とおっしゃるの。

つまり私の症状は、耳の中の耳管というのが広がっているそうで、それを狭くするにはもっとほっぺのあたりに肉をつけて、その肉の圧力で耳管を押すのが一番いいんですって!

えー、でももうこれ以上太りたくないわよね~。

年齢の割には耳はよく聞こえているそうなので、「ま、あまり、気にしないことですね」ということで診察は終了しました。


どうも私が敏感すぎて、ちょっとした音の変化に気付いてしまったのがいけなかったようね。

でも悪い病気でなくて、ほんと、よかったわ。
そう思ったら、今まで耳の中でぼわーっとしていた妙な違和感も急に消え失せました。

明るい気分になって、その後は髪の毛をカットして、軽やかな気持ちになれたのでした。

2009年12月26日土曜日

水辺に集う人たち

都会のオアシス、MM公園にはいろんな人たちが来ていました。


平均年齢はずいぶんと高そうですよ。
朝のうちは、特におじさまたちの姿を見かけることが多いかしら。

一人で自転車に乗って来る男性が多いようだけれど、みなさん、一人の時間をゆっくりと味わっているみたい。


この方、なかなか、かっこよかったですよ。


釣り仲間もいます。


もちろんバードウォッチング仲間もいますよ。

ここには特別なバード・サンクチュアリがあります。
あら、どこかで見かけたような方も・・・・。


鳥を脅かさないために、木の窓から外を覗いて、貴重な鳥たちを観察しているのです。


こんな大きなカメラで写すのです。重たそう~。


写した鳥をふたりでカメラで点検。何が撮れたのかしら?


この公園には、ドッグ・ランがあるので、わんこ連れも多かったわ。


ゆりかもめを追いかける家族連れ。のどかでしょう?


みんなが鳥を追いかけている間、私はバード・ウォッチングよりもマン・ウォッチングを楽しんでいました。

2009年12月25日金曜日

あれから2週間・・・・

晩秋の京都に出かけてから、もう2週間が過ぎてしまいました。

あの時は比較的暖かったのですが、その後、東京にもかなりの寒さがやってきました。
京都もきっと今頃は、寒い日々が続いていることでしょう。

さて「今年のことは今年のうちに」ということで、そろそろ京都絵日記も完了させないといけませんね。
どうも寄り道ばかりで、まだふらふらとさまよっています。

******

こちらは朝の河原の何気ない風景です。


京都の中心を流れる川、そう出町柳より南のほうが「鴨川」と呼ばれ、そこからY字型に分かれる北西のほうが「賀茂川」、北東のほうが「高野川」と呼ばれている川の、賀茂川周辺の風景です。

さとさんと待ち合わせをするのに少し時間があったので、河原をお散歩しました。


木々の葉も落ちてしまって、なんとなくうらさびしい感じもしますが、でもまだまだ紅葉があちこちに見られました。


高校生たちが早朝のジョギングをしていました。のんびり歩く私をどんどんと追い越して行きました。


こちらは南のほうを眺めた風景。優しい形の山が見えます。
山がすぐ近くに見えるというのは、東京では見慣れない風景なので、とても新鮮な感じがします。

さとさんから、この近くにおいしいベーグル屋さんがあると聞いていたので、お店を探して買い求めました。

さて、さとさんと合流して、その行先は?

この下の写真にある「大根焚き」の看板のお寺を探し求めたのですが、そこに行きつくまでが大変でした。


「大根焚寺」のお話は、また次ね。

2009年12月24日木曜日

東山魁夷の世界へ

昨日は、鳥撮りに夢中な人たちと一緒に、広い水辺のMM公園へ日帰りツアーをしてきました。

案内役は史子さん & まーさんご夫妻。
ツアーのメンバーはT高校の同級生のカンカンにトントン。
それに鳥恐怖症の私の5人です。

ここは「バード・サンクチュアリー」があるところで、鳥ファンの人たちにとってはまさに聖域のようです。
そんなところに鳥の尖ったくちばしや細いあんよが怖いという私が、のこのこと出かけて行ってどんなことになるのか、と半分は心配していましたが、それも杞憂に終わりました。

だって、ここは鳥だけではなく、木々も池も空も、本当に自然の宝庫で、その素晴らしい景色に圧倒されました。お出かけしてよかったわ~。

ここは東山魁夷の世界です。

こちらは夕方の風景。空も木々もほんのりと赤くなってきました。


水鳥たちが泳ぐ広い池。夏にはレガッタの練習場となるそうです。


空を飛ぶゆりかもめたち。


赤茶色のメタセコイアの木々。この色の美しさが再現できずに残念だわ。


ゆったりとした水面を眺めていると、中国の杭州を思い出しました。


午前中はあまり人の姿もありませんでしたが、お昼ごろになると、近所の人たちが集まってきました。

犬の散歩をする人たち、釣りのおじさんたち、サイクリングをする人たち、そして写真の撮影に訪れる人たち。平均年齢はかなり高いように見えました。

それにしても、鳥を追う人たちの情熱はすごいものです。

私にはまるで見えない鳥の姿を、木々の間から見つけ出し、その声やちょっとだけ見えた尻尾や頭の色や形からすぐに名前を当ててしまう、鳥ファンの人たち。

彼らの鳥撮りにかける熱意は素晴らしく、史子さんなど1000枚以上もの写真を写したとか。

私は風景や花などしか写しませんでしたが、でも丸いお目目の小さな鳥なら大丈夫になりました。

ここにはシジュウカラ、ヒヨドリ、オオタカ、ジョビ、セキレイなどの種類の鳥たちが住んでいるそうです。
鳥さんたちをじっくりご覧になりたい方は、こちらの方たちのブログに掲載されるはずですので、ご覧ください。

  トントンさんのブログ

  カンカンさんのブログ

  史子さんのブログ

  まーさんのブログ

<この項、続く>

2009年12月23日水曜日

オーデコロンは失敗! の巻き

今年の4月から始めたアロマテラピー教室も、先日、8回の講義と実習が終了しました。

会場であった市の文化会館も、クリスマスっぽくおしゃれなツリーが飾られています。


これまで教室で作ったのは、エアフレッシュナー、ボディシャンプー、ハーブチンキ、化粧水、ジェルクリーム、風邪予防シロップ。それぞれ家にお持ち帰りをして、実用品として実際に使っていました。
そして最終回は、これまでの総まとめという意味で、自分に合った香り(オーデコロン)を作ることになったのです。

講師の先生は「まず、どんな時に、どんな目的で使いたいのか」という設定をしなさいと指示しました。

たとえば、朝、目覚めたときに頭をすっきりするための香りなのか、
夜、眠りに就く前に落ち着きたいための香りなのか、
デートのときに女らしさを強調したいために使う香りなのか・・・・。

それによって調合する精油が変わってくるのです。

私は仕事中でも使えるように、聡明な雰囲気がして、なおかつ「大人の女」を表したいという欲張りな香りを狙いました。

ちょっと設定が無理だったわね。

先生の次の指示は、トップノート、ミドルノート、ベースノートを何にするか決めなさいというのです。
つまり、第一印象になる数分しか持たない香り、ゆっくりと後から主役になる香り、そして数日間ほど長持ちする香りを自分でブレンドしなければならないの。

私はメインにはイランイランの花の香り、ベースにはサンダルウッド(びゃくだん)の落ち着いた香り、そして少量でも効果的なパチェリーという土のような香り、そしてローズもちょっと混ぜてみたの。

ところがサンダルウッドを入れすぎたのか、なんだか抹香臭いというか妙な香りになり、おまけにローズを2滴入れただけなのに、黄色い色がついてしまうし、イランイランが多すぎたためかなんとも尖がった香りになってしまって、失敗に終わってしまいました。

でも自分で香りを作りだすのはとても楽しかったわ。

そうそう、先生は自分で作った香りに名前をつけなさいというのよ。
微妙な香りに名前をつけるというのは至難の業よ。

失敗作だったので"My favourite flavor"とは付けられないし、「おもむくままに」とでも名付けましょうか。


先生のお話で勉強になったのは、香りにも禁忌というのがあり、たとえば高血圧の人にはペパーミントはダメとか、反対に低血圧の人はラベンダーがダメとか、オレンジやレモン、グレープフルーツなどのかんきつ類は光に当たると毒性が出るので、朝は使ってはだめとか・・・・。

それに同じ香りでも、とても気持ちよく感じるときと、なんだか嫌な感じがするときがあるのよね。
それが体調のバロメーターにもなるのでしょうし、個性が発揮できるのでしょうね。

香りに何を求めているかも人によって違うのがおもしろかったわ。それぞれどんな調合をしたのか説明したのだけど、香りにリラックス要素を求めている人が多いのが意外でした。

この香りの教室は、参加者同士、お互いに香りを嗅ぎあったり、和気あいあいで楽しく過ごせました。