2012年5月17日木曜日

大和文化会 2 ~平城京~

「大和文化会」でのお勉強会も2回目となりました。

場所は前回と同じ銀座の「ブロッサム」です。



ちょっと早めに着いてしまったので、ケーキセットを頼みました。

ここは中央区が運営しているところなので、レストランのメニューはかなりお安いですね。
(味はまぁまぁ・・・・・)


この日のお勉強は「平城京と国・郡・郷里の交流」というタイトルでした。
なんだか難しそうだし、おまけに資料が山ほど配られたので、いったいどうなることかと心配でしたが、それも杞憂でした。

というのも講師の水野正好先生という方が、お歳は75歳くらいなのですが、舞台の上をあちこちと精力的に移動しながら、コテコテの関西弁で早口でまくしたてるのです。これでは居眠りもできません。
先生のご専門は考古学とのことでしたが、あちこちで発掘したものを鑑定したり調べたりするのがお仕事のようです。
奈良大学の名誉教授をされていますが、本当に平城京が好きな方だなと思いました。

このような先生の講義だったので、難しい内容も面白く思われました。
ご本人もおっしゃっていましたたが、このような話は「水野節」だというのだそうです。

さて、当時の日本は、すでに中央集権の律令制度がきちんとしていて、都で決めたことがすぐに地方に伝わり、末端の地域まで文化や制度が伝達されていたようです。
そのころ、日本は77からの国によって成り立っていましたが、南は薩摩・大隅、北は出羽・陸奥の国々まできちんと道路ができていて、駅(馬のための)まであったそうです。
そして各地の特産物を天皇に貢いでいたわけですが、驚いたことにこのころから越後の国では石炭や石油が取れていたのでした。
他にも金銀、米、織りもの、海産物などたくさんのものが中央に運ばれていたのでした。

遺跡から発掘された木簡に書かれた文字を解読しながらのお話でしたが、やはり文字を持つ文化というのはきちんとして歴史に残るのは強味だと思いました。今、南米のマチュピチュに人気がありますが、あそこは文字がないので、何があったのか分かりませんものね。

面白かったのは平城京時代のお産のお話でした。
当時は家の窓を開けっ放しにしてお産が行われたようです。男性も女性も見守っていたようです。後産の方法などもちゃんと分かっていて、その方法が全国に伝わっていたというのですからすごいものですね。

国から郡へそしてその下の小さな集団にまで制度や習慣が伝達されていたのですね。


この日の装いは、うたどんさんのお母様から頂いた黒の大島。
しゃきっとしています。袷ですが、暑さは感じませんでした。


帯は京都の女医さんからいただいた1枚仕立てのグリーンの帯。


2年前にいただいたのですが、外出の時に締めたのは初めてかもしれません。

グリーンの地に黄色やオレンジ色などが入っていて、雲のような形の花の模様です。
ポピーかしら?
今まであまり締めなかったのですが、軽くて締めやすい帯でした。

4 件のコメント:

さと さんのコメント...

奈良のお勉強会お疲れさま♪
お話が上手だとすっと入って行けますよね〜
たくさん勉強してまた奈良へいらしてください。

昨日の着物姿のお二人素敵ですね!(私好み)
今日のとしちゃんの着物もいい感じですよ、大島は軽くてきやすいものね、帯も締めやすくてよかったですね。

おおしまとしこ さんのコメント...

さとさん、実はね、この会に入っていると安く見られる美術館がさとさんちのすぐ近くにあるみたいなのよ。それでいつかは奈良にお邪魔してその美術館にも行こうと思っているところなのです。

藍色の着物すてきだったでしょ。特に右側の人はすごくおしゃれで、帯も素敵で、真野響子さんよりずっとよかったわ。
私の帯ですが、芯がないので今の季節にはちょうどいいかもね。

マサ さんのコメント...

へぇ~、窓を開けっぱなしにしてお産とは、平城京時代は開放的だったのね。皆で見守るという連帯感が強かったのかしら?
こういった、教科書には載っていない話を聞くのは面白いですよね。
素敵な着物姿での参加は、講師の方も喜ばれたことでしょう。

おおしまとしこ さんのコメント...

マサさん、このような話はやはり生で聞くと全然違いますよね。本で読んでも眠くなりそうな話ですが、講師の先生の勢いにつられてしまいます。
このお勉強会、実はGホール(大ホール)くらいの広いところでの講演会なのよ。1階は老人で満員なので、私は2階席に座って聞いていますよ。