2012年6月26日火曜日

大和文化会 4 ~天皇の冕服~

さて、6月23日に開催された4回目の「大和文化会」ですが、今回のタイトルは、漢字が読めませんでした。(恥ずかしい!)

「冕服」と書いて「べんぷく」と読むのだそうです。

これは天皇の着る衣装のことで、冕冠(べんかん)つまり冠と、袞衣(こんえ)つまり衣装を合せて、冕服というのだとか。
ふーむ、難しいんですね。

講師の先生は、猪熊兼勝先生とおっしゃり、京都橘大学の名誉教授でした。

平城宮、藤原宮、高松塚古墳などの調査や発掘に携わり、またイースター島でのモアイの調査もされていらっしゃる先生でした。
先生は有職故実に携わるおうちのご出身だそうで、京都の葵祭の保存会会長さんもされていらっしゃるのだとか。

講演は冕服姿の衣装をまとったモデルさんのスライドを示しながらお話しされました。



西暦7世紀の初め、603年、推古天皇のころ、昔の千円札でおなじみの聖徳太子が天皇や皇族などの衣装を法律で定めました。
それが「官位十二階」で、貴人の身分を冠と服で規定したものでした。
色は6色あり、それぞれに濃い色と薄い色があって、全部で12種類あったわけですね。

そして732年、当時の聖武天皇が初めて冕服という衣装を着て、元旦の儀式に臨んだそうです。
きれいな朱色の服でした。

当時の服を再現した衣装をまとったモデルさんが登場して、会場を一周しました。
このかたはこの会の事務局の方だそうですが、衣装が重いのか、かなり緊張されていましたね。

服は上下に分かれていて、袴のようなものの下にはももひきのようなものを履いていたそうです。
先生が服をめくって見せました。



女子高生が短いスカートの下に、体操着のズボンをはくスタイルは、このような古代からあったのですよと先生が説明すると、どっと笑いが起こりました。

ちなみにイースターを調査されたときも、やはりこのような組み合わせの衣装があったそうです。

冕服にはいろいろな柄が描かれていて、左の肩(東)のところには太陽の絵、右の肩(西)には月の絵が描かれています。

背中には北斗七星が描かれていました。

3本足のカラスもその衣装に描かれていて、「やたがらす」という鳥だそうですけれど、勝利を導く鳥だそうす。

現在では「やたからす」は日本サッカー協会のシンボルマークになっています。



サッカーのマークが聖武天皇の衣装と同じというのは、驚きでした。
他にも、ウサギ、不老長寿の薬である月桂樹の壺やヒキガエルの絵も描かれていました。
絵にはそれぞれ意味があるそうです。

こちらは平城京遷都1300年の時に、小泉敦さんという画家が描かれた聖武天皇と光明皇后の御影ですが、猪熊先生はこの衣装の検証に当たられたそうです。



冠も面白い形をしていて、前後に宝石のような玉を通した縄を12本垂らしています。
ちょっと前が見づらそうでしたが。
額のところいはセミが飾られていて、それは美と武力を意味しているのだとか。

手に持っているのは「しゃく」と言うそうですが、象牙やクジラの骨で作られているのだとか。

履き物は先がキュッと上がっていて、ちょっと歩きにくそうな靴でしたね。

考古学や有職故実が専門の先生でしたので、大河ドラマ「平清盛」に出てくる天皇や貴族の衣装もとても気になるとおっしゃっていました。

この講座ではいろいろな研究家の生のお声を聞けるので、それがとても楽しみですね。

次回は「古事記の謎を追う」というテーマですが、私はほとんど知識がないので、一夜漬けでちょっとお勉強していかないとね。




2 件のコメント:

延千代 さんのコメント...

「官位十二階」をを!!高校生のとき、日本史でならったのを思い出しました。
歴史は、学生の時にむりやり詰め込まれたものより、大人になってこうやって、じっくり学んだ方が、興味がわいていいですよね。
「やたがらす」って言うんですね。勉強になりました。

おおしまとしこ さんのコメント...

延千代さん、こんにちは。

「やたがらす」は漢字で書くと、八に「尺偏に只、烏」という字のようですよ。
私はサッカー協会のことはよく知りませんでしたが、ほんとに3本足なんですよね。
もともと中国の殷のころ、太陽の黒点を鳥に見立てたデザインなんですって。

日本史は、大人になってからのほうが面白いですよね。