2012年10月20日土曜日

「葛飾北斎とその時代」 2

浮世絵師・北斎についての市民カレッジも2回目となりました。

前回は「浮世絵とは何か」というお話で北斎についての説明はありませんでしたが、今回もまた北斎が登場するまでのその他の絵師についての説明で、北斎はまだお待たせです。

今回もまたふんだんにカラー印刷の資料がありました。

最初の絵師は菱川師宣でした。
彼は今の千葉県生まれの染め物の職人だったそうですが、若いころ江戸に出てきて独学で狩野派などの絵画を学びました。そして井原西鶴の「好色一代男」の挿絵を担当したことで一躍有名になります。

その後は鳥居清信が人気となりました。
この鳥居派というのは脈々と続いているそうで、現在でも歌舞伎の絵を描いているそうで、9代目の清光という人は女性なんだそうです。

その後に登場したのは鈴木春信でした。彼は主に美人画を描き、なんと1000点以上の作品を残したそうです。彼の描く美人というのはお人形のような美人だったそうです。
これは有名な「笠森お仙」ですね。江戸・谷中の実在の人物でお茶屋さんの看板娘を描いたものです。
彼女はこの絵で有名になり、美人のお仙見たさに、お客も増えたのだとか。


このころの錦絵のサイズは中判といわれるもので、現在のB5サイズにあたるものだそうで、意外と小さかったのですね。

こちらは「三十六歌仙 紀友則」の和歌を歌ったもので、上部に歌が書かれているのが見えますね。


御高祖頭巾をかぶった女性が色っぽいですね。
ただし春信の絵はこのように古典の教養が必要だったそうで、庶民にはちょっと難しかったのでしょうか。

その後は身近な美人を描いた礒田湖龍斎(いそだこりゅうさい)という人が人気が出たそうですが、この人の名前は初めて聞きました。遊女の絵を得意として、大判(約39センチ×26センチ)の錦絵を描いたそうです。

こちらは吉原遊女のデビューに合わせて出された錦絵ですが、着物の柄が素晴らしいですね。


ところで「6大浮世絵師」という言葉があるそうですが、その6人とは鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重なんだそうです。

その中の鳥居清長という人は本屋の息子だったそうですが、鳥居派に入門して、天明の頃(1780年頃)には8頭身のすらりとした美女を描いたそうです。このような美人を「清長ビーナス」と呼ぶのだとか。このころはフランス革命前夜のころになりますね。

こちらは3枚続きの「隅田川舟中余興」です。役者さん、遊女、三味線弾き、猿などいろいろな人が登場していますね。
この絵は1枚だけでもよし、3枚でもよしという工夫がされています。


そしてその後、天才・歌麿が登場して、そしてようやく大天才・北斎の登場となるのだそうです。

この先生は雑談が多いのであまり眠くならずに済みますが、けっこう独断と毒舌が多くみられる方です。

この頃、夕方は少し肌寒くなってきているので、菊の模様の羽織を羽織ってみましたが、どうも羽織姿というのは落ち着かないですね。

 






2 件のコメント:

延千代 さんのコメント...

浮世絵の作家の名前はなんとなく知っていても、こういう風に時代の順に並べていただくと、ほーーーぉ、って改めておもいました。ありがとうございます。(^^)

おおしまとしこ さんのコメント...

延千代さん、こんにちは。
お元気ですか?

そうですね、浮世絵師は名前は知っていても、誰が先に生まれたのか、ちょっとあやふやですよね。

それにしても当時の女性は、みんな絵のようにすらりとしていたのかしらね。お顔もほっそりとしていて、今の美人とあまり変わらないようなかんじもしますね。