2014年6月14日土曜日

富士山信仰 5 近世・近現代の富士山信仰

だいぶ前の講座の報告になりますが、市民カレッジ5回目は「近世・近現代の富士山信仰」でした。

講座の内容を、忘れないうちに簡単にまとめておきます。
(なお、このサイトは「おもむくままに」の書き手が、本人の備忘録として感想的に書いているものです。講師の先生の講義そのものとはズレがあるかもしれませんが、その点、ご了承ください。)

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近世の富士山のヒーローは「長谷川角行(はせがわかくぎょう)」さんという方でした。
この人は本名は長谷川左近藤原邦武という長い名前のお武家さんでしたが、各地の霊場を巡って、修業した在俗の行者さんでした。

彼にはいろいろと伝説があるようで、17日間、水に打たれたとか、一辺が13センチほど(4寸5分)の角材の上につま先立ちになって千日間修業をしたとか。
角材の上に乗っていたので、角行という名前になったそうです。

下の絵は、角材の上にじっと立っている角行さんです。


彼は富士山のふもとで修業をして、病気治癒などの特別の力を得たので、それでその後、富士山信仰が広く一般に広まったということです。

そして105歳まで生きて、富士山の人穴というところで亡くなったのだとか。

かなり神格化されている方で、弥勒菩薩の化身だと言われたそうです。

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その後、角行さんがお亡くなりになった後は、二派に分かれて、一つの派は上層階級に浸透し、もうひとつの派は庶民階層へ広まったそうです。

庶民派は身禄(みろく)派と言われていて、世直し団体に見られることもあり、江戸幕府からはたびたび、禁止令が出るほどだったとか。

その中心にいたのは、食行身禄(じきぎょうみろく)という人で、元は伊勢の油売り商人だったそうです。お金持ちになりましたが、商売で儲けたお金はすべて使用人に与えて、自分は行商をして質素な生活をしていたそうです。

彼が亡くなった1700年ごろから、それまでの行者さんだけではなく、庶民にも富士山へ登る人が増えてきました。

そして富士登山と物見遊山が結びついて、次第に信仰よりも観光がメインとなってきたようです。

江戸時代に流行ったルートは、江戸を出発して大月、上吉田を経由して富士山に登り、下りは足柄山を経由して藤沢、江ノ島に寄って、江戸に戻るコースだったそうです。
これはかなり各地でお金を落とすことになり、江戸の経済も繁栄したでしょうね。

その後、明治になると、富士山信仰から仏教色が除かれて、お寺さんも神道系の名前に変わったところもありました。

また1860年代には、外国人が富士山に登る(イギリス駐日公使)ということもあったそうです。

そして大正に入ると、交通網がどんどん整備されて、富士急行が開業して、富士山は一気に観光がメインのところとなりました。

戦後には中央高速自動車道が開通し、富士スバルラインと富士山スカイラインが完成され、より一層便利になり、登山がレジャー化してきました。

こちらは「富士急ハイランド」。
いろいろな怖い乗り物がありますね。

江戸時代の人が見たら、おったまげたことでしょう。


最近では富士山登山のマナーの悪さも評判になっていますね。

遥か昔は、信仰の対象だった富士山が、今では世界遺産となり、誰でもが登れる山となりました。

昔は女性の登山は禁止されていましたが、明治になり正式に女性にも解禁されて、今では男女誰でもが登れる山となったことは、昔の人には信じられないことかもしれませんね。

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こちらは我が家のベランダから、はるか遠くにかすんで見える富士山。
冬はきれいに見えるのですが、春になるとなかなか美しい富士山が見える日は少なくなります。
左上には、うっすらと真ん丸なお月さまが残っています。


下の写真は、夕方の富士山。
もくもく雲の日でした。
この後、オレンジ色の夕焼けがきれいでした。


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さて、次回はまた実踏です。

こんどは青梅市にある富士塚公園というところまで出かけてきます。

あまり暑すぎたり、大雨になったりしないよう、富士山に祈っています。





2 件のコメント:

ひょっこり さんのコメント...

青梅は先日の大雨で大変でしたね。
 どうぞお出かけの日は富士山のご加護がありますように・・。
 
 ご主人様、としちゃんの心の入れ替え(笑)失礼、献身的なというべきですね、献身的な看護で順調の様子、良かったです。
 ダイエットはとしちゃんには不要だとは思いますが、私もだし汁とかは大事にしてます。かんかんさん?ベジブロスの話しがでてましたが・・わぁ~、知ってる方がいたのだと嬉しくなりました。L4、テレビ東京で知ったのでしょうか?

 瀬戸内寂聴さん「中世炎上」解説読んだだけでとても濃厚そうで消化不良起こすかも?
 ホラあの「爛」ショック以来あの方のモノは読んでいないのです。

 ところで、半世紀前の少女、可愛かったですね~♪ なんかまんまですよ。ちなみに
一世代遅れの私もおかっぱ頭に肌色タイツでした。幼稚園は黄色いかばんで紺の野暮ったいスモック。時間てあっというまに流れているんですね。ああ恐ろし。

としちゃん さんのコメント...

ひょっこりさん、拙いブログをしっかりと読んでいただき、ありがとうございます。
最近、心を入れ替えて(?)しっかりと主婦業をやっておりますよ。おかげで体重も血圧も下がってきました。
図書館で「とはずがたり」原作の解説本を借りてきました。「中世尼僧 愛の果てに」というタイトルですが、すごいタイトルね。

おかっぱ頭は、昭和40年ごろまで続いたのかしら? 私は幼稚園の時の服装までは覚えていないな。園庭には、防空壕があって、そこで鬼ごっこしたのを覚えています。古いわね。