2014年6月2日月曜日

富士山信仰 4 日枝神社・水天宮・御嶽(おんたけ)神社@清瀬市

先日、清瀬市にある中里富士に登ってきた話を書きました▼が、この日はそれだけに終わらず、別のところにも行ったのでした。

次の目的地は、中里富士から住宅街や畑の中を通って、15~20分くらい歩いたところでした。

みんなでぞろぞろと次の目的地まで歩いているところ。


到着したのは、神様が一度に3つも集まっているところでした。

一つは日枝神社。


二つ目は水天宮。(写真撮り忘れ)

そして御嶽(おんたけ)神社。


道路に面してそれぞれの神社の入り口に、3つも鳥居が立っていました。

こちらは鳥居の上がとんがり三角になっている珍しい鳥居です。


同じ敷地の中に3つも違う神社があっていいのか、と思うのですが、日本の神様はたくさん何回も重ねてお祈りするほうがよいということらしくて、このあたりは西洋の神様とは大違いですね。

それぞれの神社の簡単な説明ですが、日枝神社は天正7年(1579年)に造営されて、こちらの守り神は猿を愛していたそうです。
よく言われる「三猿」ですが、「さる」が「魔さる」(悪いことが去る)、「勝さる」(よいことをもたらす)にも通じるのだとか。
それで家庭円満と健康の恩恵があるということでした。
なるほどね。

日枝神社のお隣にあった水天宮は、本家は久留米市にあるそうで、それは知りませんでした。
人形町にある水天宮と同じように、安産の守り神、水難からの守り神、長寿の守り神だそうです。

そして次が御嶽(おんたけ)神社。


御嶽(おんたけ)神社は木曽の御嶽山を真似して作られた塚でした。

本物の御嶽山は標高が3067メートルもある高い山ですが、そこまで登るのは大変だというので、ミニチュア版を作ったわけですね。
もともと、御嶽山は信仰心の強い人、厳しい修行を行った人した登れない山だったそうですが、江戸時代から大衆も登れるようになったそうです。
面白いことに、江戸時代の人は、御嶽山の存在しか知らない人も多かったので、富士山のことは知らず、御嶽山が日本一の山だと思われていたそうです。

みんなで階段を上まで登ってみました。


階段を登っていくと、狭い頂上にはミニチュアの祠がありました。
なるほど、これで本物の木曽御嶽神社に行ったことになるわけですね。


こちらは、一度で3つもお参りしてしまえるので、効率がよいところではありますね。

今回の実踏は、清瀬市の中を、炎天下に靴で歩いたので、私はとても疲れました。
草履ならいくら歩いても疲れないのですが、この日は山登りがあるというので、ジーパンにカジュアルな靴でした。

他の方からはどんどん遅れてしまいます。
高齢者の方も多いのですが、みなさん、すごく健脚でびっくり。
講師の先生(40歳くらい?)と市の女性職員(20代?)と私だけがちんたら歩いて、遅れてしました。

終点の西武線清瀬駅まで戻りました。
バスやタクシーが走っていて、それまでの神様の世界とは別世界のようでした。


この日は本当によく歩きました。
次回はもっと歩くそうなので、履き物をどうしようかと思案中です。

中里富士も御嶽神社も、実際に登ってみると面白いですね。

いろいろな石碑のいわれなどはあまりはっきりと覚えていませんが、昔の人が、遠くの山まで行けずに、身近な所に塚を作ったというのは面白く思いました。
また昔からの行事も現在まで延々と続いているというのは、土地に住む人たちの思いも強いのでしょうね。

私はこれまであまり伝統的なこととは縁がありませんでしたが、日本人の心の底に潜む信仰心というのは、なかなか根強いものがあるのだと感じました。

多分、どの民族も持っているものなのでしょうね。




2 件のコメント:

よーでる さんのコメント...

同じ敷地内に三つも神社があるのですね!
昔「色々な神社の御守りを一緒に鞄に入れて歩いてはいけない。
神様がケンカになるから」と言われたことがありますが、
あれはウソですね。
だって同じ敷地でもケンカにならないんですから(笑)

としちゃん さんのコメント...

よーでるさん、お守りを一緒に入れてはいけない、というの知りませんでした。

日本の信仰では、数を重ねるほどご利益があるというのは、たとえば四国88か所めぐりとかにも見られるようですよ。それは経済効果もねらっているのでしょうが。

それにしてもこの神社はバラエティに富んでいましたね。