2015年7月31日金曜日

蔵前の夏場所に行ってきました

今は国技館と言えば両国ですが、昭和59年までは国技館と言えば蔵前でした。
そしてこのあたりは多くの問屋さんが並んでいるところです。
その蔵前に、かつて「増孝商店」という玩具問屋さんがあったそうです。

その問屋さんのお孫さんが、おじいさまやおとうさまの仕事場であった蔵前で、染織の展示会を開催されました。
それが年に数回、開かれる「蔵前の夏場所」なのです。

お孫さんは郡上八幡にある染織の学校で学び、そこで奥様と出会い、その後20数年間、お二人で作品を作り上げていらっしゃいます。

蔵前の夏場所では、お二人の作り手の心が伝わってくるような反物、帯用の反物などが展示されていました。


お孫さんである染織家iwasakiさんは、いつもは山梨県南巨摩郡という富士山のすぐ近くにお住まいで、そこを仕事場とされています。
それまでは千葉の方にお住まいでしたが、大きなはたおり機を置ける広い作業場を求めて、山梨へ転居されたそうです。

とても息の合ったカップルのようにお見受けしました。
奥様の単衣着物はとても色合いも手触りも良く、また長いシーズン着られて、お手入れも楽にできるのだとか。


iwasakiさんは、はたおりのことを素人にも分かりやすく、いろいろとお話してくださいました。

使用する糸は最初はこういう帽子のような形をしているそうです。
緑に染められて、まるでキャベツみたいね。
ちょっと持ってみましたが、ふわふわでとても軽くて、綿菓子のようでした。


そしてこの丸い回転する道具で糸をくるくると紡ぎます。
これは沖縄の久米島に伝わっている道具だとか。


そしてそれをはたおり機にかけて(この手順が時間がかかり大変なようです)、縦横の糸を織っていきます。
言葉で書くと簡単そうですが、集中力と持続力と根気が必要な作業だと思いました。

「夏場所」には、はたおり機が2台設置されていました。
1台は京都の西陣で使われていたもの、そしてこちらは東京の八王子で使われていたものだそうです。
それを修理して使っているそうです。


はたおりに使用する道具は、ほとんどが天然の材料でできていて、それを手作業で行うのだそうです。電気仕掛けの道具とはご縁がないようです。


今ははたおりに使う道具の部品が少なくなってしまっているそうです。
こちらの細長い道具の真ん中にある白い部分も、作り手がいなくなりそうだとか。


織られた布は、商品として売る前に、まず奥様が実際に着てみることが多いそうです。
そして着心地はどうか、生地が透けすぎないか、縫い目がほどけにくいか、などを確かめて、試行錯誤しながら、新しい生地を提供されていらっしゃいます。

こちらは山梨のご近所の陶芸作家さんが作られた湯呑茶碗。
シンプルですが、モダンでオシャレですね。


お手製の匂い袋のおみやげもいただいてしまいました。ありがとうございます。
これは、試し織りに使用した部分で作っているそうです。
蚕から紡ぎ、時間をかけて織った布を捨ててしまわずに、最後まで大切にされている気持ちが伝わってきます。


iwasakiさんには、素敵なものを見せていただいき、作り手の思いを聞かせていただくことができ、とても穏やかな時間が過ごせました。

染織iwasaki▼

こちらは増孝商店の向かいにある神社です。
蝉しぐれが聞こえていました。



今回の夏場所は、帯作りが趣味のSさんのご紹介でご一緒しました。ありがとうございました。

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この日の装い。

暑い日だったので、薄物の着物と帯。


着物は名古屋の大須神社にて、雨の日価格で格安に入手したものです。
帯は西荻窪のリサイクル着物屋さんにて購入。

かなり腫れぼったい顔をしていますね。




2015年7月30日木曜日

10年ひと昔

もうだいぶ時が経ってしまいましたが、かつて私は市内のFM放送で市民参加番組を企画・制作していました。
15分という番組枠をいただき、その中味は自由に任されていて、番組の内容も収録も編集もすべてやって、完パケという状態にして納品するまで、全部、普通のおばさんたちがやっていました。

内容はインタビュー番組で、毎週日曜日に放送されていました。市内に住んでいる有名・無名の市民の話を聞く番組でした。
そのゲストの人たちを探すためにあちこちで情報を集め、そして出演の依頼をして、事前アンケートをとり、マイクの前で収録をして、自宅のパソコンで編集をするということを、数人のスタッフでしていました。
全部手作りで、ボランティアでした。

私は発足当初の2003年から参加していました。
番組を作ることが楽しくて、私は5年の間、毎週のゲストとお会いしてきたので、約250人の方とお会いして、お話を聞かせていただくという貴重な体験をすることができました。

楽しいこともありましたが、仕事や介護の都合もあり、またラジオ番組だけではなくもっと広く地域情報化を活性化するためにテレビ番組も作るという方針にはそれほど興味が湧かなかったので、その後、そのグループから退きました。

今振り返ってみれば、その頃は認知症が始まった母も同居していましたし、わがままな独身の娘もいて、また大学での仕事の他にもう一つ短時間のパート仕事もしていたり、趣味のエアロビも続けて、今考えると、我ながらよくやっていたものだと思います。収録の編集作業は自宅でしていましたが、部屋に引きこもって深夜まで作業を続けていたのも、家族はどう思っていたのでしょうね。

こちらはちょうど100回記念のとき、新聞に掲載された記事です。
朝日、読売、東京、サンケイの新聞に紹介していただいたと思います。



ちょうど10年前の写真なので、私も若かったですね。

放送の内容はインターネットでも聞けるようにしていたので、今でもそのときの音声が残っています。

2003年からの音声が聞けるサイトはこちら▼

その当時の番組の前と後に流していた音声も残っています。
ずいぶんと早口でしゃべっていましたね。

  前ナレーション▼ (42秒)

  後ろナレーション▼ (2分)

BGMは、今聞いても、なかなかよい曲を作っていただけたなと思います。

素人のおばさん集団が作り上げたラジオ番組でした。
今ならそれほど不思議でもないでしょうが、10年前と言えば、インターネットも今ほどは普及していないころ、よく頑張っていたなと、少しは懐かしく思われます。

なお、このブログの下の右側にある「ラベル」の中の「ラジオ番組の裏側」には当時の様子を書いているブログもありますので、お時間があればどうぞお読みください。






2015年7月29日水曜日

市民カレッジの受講歴

今日のブログは少し長くなりますが、ご容赦ください。

今の市に住んで30年経ちますが、以前から市主催の単発のセミナーや実技講座などは、費用もほぼ無料で、場所も近所だったので、よく利用していました。
娘が小さな頃は、保育付きの講座を受けて、母親同士の自主サークルを作ったり、冊子を発行したり、あれこれ活動していました。
子供の手が離れてからは、アロマ教室やイングリッシュガーデン教室などの実利的な教室も利用していました。

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そして、2012年3月に仕事が終わったので、それからは「市民カレッジ」を受講することにしました。
「市民カレッジ」は市民向け生涯学習講座です。もう20年近く続いているそうです。
音楽や美術・工芸、文学歴史、実技など多彩なジャンルがあり、また「市民講師講座」(市民が先生役になる)も加えると、年間約40の講座が開講されているそうです。
このような文化的な講座は、他の市町村でも開かれていると思いますが、うちの市は割と内容が濃いようで、近隣の市からの参加者も多いようです。

私は市民税を取り戻すため(?)、ここ数年、市民カレッジを大いに利用してきました。
町のカルチャーセンターで学ぶと、かなり高額な費用がかかりますが、ここではその1割程度ですので、利用しない手はありません。
ただし、抽選制なので、外れると学ぶことができないのは残念ですが。

2012年からどんな講座を受講してきたか、ちょっと思い出してみます。
書き留めて置かないと、すぐ忘れてしまう上に、最近は自分で書いた内容も覚えていないという始末ですので。

また市民カレッジに出席するときは、よほどの悪天候でないかぎり、いつも着物で参加していたので、「あの着物の人」と覚えられてしまったようです。

なお、ブログに載せた講座の内容は、すべて自分自身の覚え書きのために独断で書いたものですので、そのようにお受け取り下さい。
リンク先をご覧いただければ、だいたいの内容がつかめると思います。

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◆「和装の美」
古代からの着物の歴史を学び、江戸時代のひな形なども学びました。
着物の模様などは教えていただければ分かりますが、しかし授業の内容は、仕立てが分からないとなかなか難しかったと感じました。
講師は武蔵大学の丸山伸彦先生。この世界では著名な先生のようです。
第1回目のブログ▼2012年4月

丸山先生のご著書。



◆「葛飾北斎とその時代」
20回くらいも名前を変えたという葛飾北斎の、若い時から亡くなるまでの人生を振り返りながら、北斎の絵画を鑑賞しました。
「富嶽三十六景」だけではない北斎の天才ぶりを、たくさんの資料で紹介していただきました。
講師は神奈川大学日本常民文化研究所の特別研究員の富澤先生。
最終回のブログ▼ 2013年2月

北斎90歳の時の絵画。




◆「日本絵画名品比べ」
日本の絵画の歴史を、それぞれ対決させて教えていただくという面白い内容でした。
膨大なスライドを見せていただきました。
講師は等伯ファンの出光美術館の学芸部長の黒田さん。
第1回目のブログ▼ 2013年4月

青い紅葉の着物で参加。




◆「日本の染織文化」
織と染めの歴史を学びました。
講師は東京国立博物館で長くお仕事をされていて現在は共立女子大の長崎巌先生でした。
内容はかなり高度で興味深かったのですが、この先生は120分の間、一度も休憩時間を取らず、座っているだけは辛かったですね。
第1回目のブログ▼ 2013年10月

講師の先生が携われた「日本のKIMONO BEAUTY」のチラシ




◆「富士山信仰史」
東京各地にある富士山に登山してみて、江戸時代から続く富士山信仰を学びました。
青梅にある御嶽山に上った後に、本物の御嶽山が噴火したことも驚きました。
講師の先生が比較的お若くて、実踏もなごやかで楽しかったですね。
府中にある富士山に登った時は、さすがに草履がめちゃめちゃになってしまいました。
まとめのブログ▼ 2014年9月

我が家から見える富士山





◆「歌舞伎を楽しむ」
現役の歌舞伎役者さんから役者の裏話しなども聞けました。
お化粧の実演もありました。
第1回目のブログ▼ 2014年11月

中村芝喜松(しきまつ)さんが、顔を作っているところ。




◆「ほっと一息、筆文字レター」
市内在住の書道家で、絵手紙も教えている講師に、筆の持ち方の基本から教えていただきました。
最終的には、自分の選んだ文字をハガキに書いて、展覧会に出すことになりました。
まとめのブログ▼ 2015年2月

母に渡した作品。




◆「美術館建築を楽しむ」
建築家の講師による美術館の建物の説明と、実際の美術館見学。
対象は講師の出身地である金沢県内、および東京近郊の美術館です。
参加者は中年女性が多いですね。
第1回目のブログ▼ 2015年4月

三菱一号館の見学会。


今週は、このカレッジの最終回として東京江戸博物館に実踏の予定です。
暑さに耐えられるか、問題ですね。

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こうやってまとめてみると、自分の好みの傾向が見えてきますね。

お勉強していても、身についたことと、すぐに忘れてしまうこともありますが、専門家のお話を生で聞くのは面白いものです。



2015年7月28日火曜日

美しき舞@神楽坂

先週末、猛暑の中、神楽坂まで行ってきました。

ちょうど神楽坂祭も開かれていて、道には提灯が飾られていて、道路には浴衣姿の若い男女があふれていました。


そんな街の喧騒をしり目に、「志満金」という老舗鰻屋さんの3階にある大広間に伺いました。
ここで日本舞踊の上方舞ゆかた会が開かれるのです。


静紀会にとっては2回目の浴衣会で、実は昨年もお邪魔していました。
その時のブログ▼
昨年は、初めて拝見する上方舞に圧倒されて、言葉も出ないくらいでした。

今回は去年に比べて出演者もかなり増えて、カルチャースクールの生徒さんたち、イケメンの若い男性、3歳の女の子が初登場されていました。
また去年、6歳だった女の子が、今年は7歳の小学1年生となり、しっかりとした目線で「藤娘」を可憐に踊っていたのが印象的でした。

大人のみなさんは本当に美しく、とくにごあいさつの姿には感動しました。
指の先、爪の先までピーンと神経が通い、きちっと揃えて、背筋を伸ばしてのごあいさつは、どの方もじつに美しかったですね。

それぞれお一人ずつで一曲を舞われたのですが、どなたも神経を集中されていて、さぞお稽古を積んだ結果だろうと、感動しました。

大阪から応援にいらっしゃった方たちの舞も、とても美しかったです。

もちろん師範の山村若静紀さんの舞は別格で、幽玄の世界に吸い込まれるような美しさがありました。

下界の暑さを忘れさせるような別世界を堪能させていただきました。

また曲の紹介も分かりやすく、良かったと思いました。

舞の終了後、出演者の皆さんが記念写真を撮る前に、後ろ姿をちょっとパチリ。
お揃いのブルーの浴衣が夏らしくて素敵でした。


その後に一緒に写真を撮らせていただきましたが、師匠のポーズのお美しいこと。匂い立つような美しさでした。
(私の写真は出したくなくらいドブスです!)


名取さんになった若静雪さん。雪のように白く透明な感じのお名前がぴったり。
舞のお姿は真剣さが伝わってきて、お見事でした。


大阪教室の若静奈さん。
本当に素敵でうっとり。
一緒に並ぶと、まるで「白子さん黒子さん」の世界でした。どうしてこんなにお肌が白くて美しいのでしょう。
右端は先週、向島で常磐津の初舞台を踏んだY子さん。
ちょっと恥ずかしがり屋さんなので、お顔を隠しています。


舞姫たちのあまりの美しさに圧倒された神楽坂でした。

弁解するつもりはありませんが、この日は私鉄が人身事故のため不通となり、仕方なく炎天下をバス停まで歩き、そこから満員バスでもみくちゃにされてJRの駅まで行く、というハプニングがありました。
それで髪は乱れ、着物や帯もバスのドアに挟まれたままシワシワ、ということだったので、絶世のブスになってしまった、というわけです。

この日の様子は、タカオさんのブログ▼に詳しく紹介されていますので、そちらもご覧くださいね。



2015年7月27日月曜日

小型飛行機墜落事故

昨日の昼間、調布飛行場を飛び立った小型飛行機が、近くの民家に墜落して、乗員と住民の3名の方が死亡、10棟あまりが火災の被害に遭われました。

私はここの近くには15年ほど住んでいました。
今の住いからも見えるところです。

新聞やテレビでも報道されている通り、この近くには中学校があります。
娘が通っていた中学でした。
そして、その校庭は35年前にも飛行機が墜落したことがある場所です。

またこの近くには幼稚園・保育園・小学校・大学・警察学校・老人介護施設・身体障碍者施設・授産所・病院・味の素スタジアムなどの多くの施設があり、どこもよく知っているところです。
またユーミンの歌にもあるように、近くには中央高速道路も走っていますし、京王線も遠くはありません。

この飛行場は以前は日本空軍が使用していたようですが、その後、米軍のものとなりました。
そして戦後もだいぶ経ってから日本に返還されて、東京都の管轄となりました。

私が覚えているのは、まだ米軍の住宅地が残っていて、「旧関東村」と呼ばれていたことです。
この辺りは緑も多かったので、よくサイクリングにも出かけていました。

飛行場の敷地内にはオシャレな「プロペラカフェ」もあり、目の前で飛行機が飛び立つところを見ながら、お茶を飲めるところもできています。

今では伊豆七島に行く便の発着空港となっています。

そのようになじみの深いところでした。
娘も母も私も利用した施設ばかりなので、知人も住んでいるところです。

飛行機が上空を飛んでいることに出会うこともありましたが、まさか落ちるとは、誰も思っていなかったことでしょう。

墜落されたおうちの方のことを思うと、本当に言葉もありません。
逃げる間もなく、上空から飛行機が落ちてくるなんて。

飛行機の整備不良だったのか、パイロットの操縦ミスだったのか、あるいは何か避けられない緊急な事情があったのか分かりませんが、事故に遭われた人に罪はありません。

市長が都に自家用機の飛行制限を求めるということですが、中央高速や京王線に墜落して大事故になる前に、なんとかしてもらいたいと思います。

他の内容のブログを用意していたのですが、今日はショックが続いているので、差し替えました。

猛烈な暑さと、この事故、忘れられない夏となりそうです。






2015年7月26日日曜日

迷った挙句・・・・

去年の夏前、ある呉服屋さんで、初めて夏の着物を仕立ててもらいました。
淡いピンクの小千谷縮で、反物を巻き付けてもらい、とても気に入ったので、仕立てをお願いしました。

ところが何を間違えたのか、身幅がものすごく大きく出来上がってきて、ブカブカ。
作り直してもらったら、こんどは出来上がりが遅くて、結局、去年は陽の目を見なかったといういわくつきの着物があります。

こちら。
(実物はもう少しはっきりした色合いです。)


1年間しまっておいたので、頭の中では「ピンクと水色の横段」だと思い込んでいたのですが、しばらくぶりに開けてみたら、オレンジ色とグレーのような感じでした。

イメージって怖いですね。

それで今になって、どの帯をしようかと考えてしまいました。

暇な時に帯を合わせてみましたが、どうもピンときません。

ラメ入りの白い百合の帯。
これだと帯がちょっと分厚い感じ。


黒の波模様。
カモメが飛んでいますが、なんだか喪の帯みたい?


麻のブルーの紅葉。
好きな帯なのですが、ちょっと合わないかな?


アンティークの白い絽の帯。
ちょいと古臭いか。
というか、柄出しがものすごく大変なので、使い道に困っている帯です。


お気に入りのナデシコですが、少し飽きてきました。


白に赤とブルーの模様入り。(シワシワになっています。)
これだと無難すぎるか。


麻の葉模様の半巾帯。
ちょっと強烈すぎるかな。


迷っています。


夏帯って、なかなか「これだ」というものに行き当たりませんね。

*****

さて、実際に締めたのはこちらの帯でした。

白地にブルーの濃淡の模様入り。
少しは涼しそうに見えたでしょうか。


本来なら絽や羅の帯がよいのでしょうが、手持ちのものは色が合わずに残念でした。



2015年7月25日土曜日

東京の次のオリンピック?

私の母は、近くのグループホームで生活しています。
優しいスタッフのみなさんと、おいしい食事のため、いたって平和に穏やかに暮らして、もう数年になります。

ホームのお隣の病院には、夏の花、サルスベリがきれいに咲いています。


母は新聞が大好きで、私がホームに訪れたときも新聞を広げていました。
一面には、「東京五輪まであと5年」という見出しが出ていました。

母は、現在91歳なのですが、いつも口癖のように「私は100まで生きるかもしれないね」と言っています。

それで私が、
「お母さん、100まで生きるのなら、次の東京オリンピックも見られるし、そのまた次のオリンピックも見られることになるわね」と話しました。

「ふーん、そうかい?」という返事でしたが、1924年生まれ(大正13年)なので、2024年のオリンピックには100歳になる計算です。


ただし、母は元気で長生きをしていますが、記憶はまるでありません。

「昔、東京でオリンピックがあったの、覚えている?」と聞いても、「忘れたよ」とのこと。
「お母さんがまだ40歳頃のことだったわよ」と伝えても、「みんな、忘れた」と言うばかり。

長生きするのがいいことなのか、どうなのか、私には分かりません。
楽しかった思い出も、嫌な経験もすべて忘れて、平穏に暮らしているように見えます。

私が小さかった時には、「2・26事件の時は大雪が降って、女学校から帰るのが大変だった」と話してくれましたが、そういうことも忘れてしまったでしょうね。
戦争で防空壕に入って、目の前に焼夷弾が落とされたことも覚えていないのでしょうか。
子供を二人育てたことも、うっすらとしか分かっていないようです。

娘としては、思い出が何も共有できないというのは、非常に残念なことです。

それでも、「今日は何月何日だか分かる?」と聞くと、新聞の日付を見て、返答する知恵はあるのです。
この日も、「今日は土用の丑の日」と正解を答えていました。









2015年7月24日金曜日

夏季限定ショップ最終日@原宿ラフォーレ

インターナショナルな商品を展開している「ろっこや」さん▼の夏季限定ショップ「SUMMER SHOP」に出会えるのは、7月22日が最終でした。

この日はあれこれ野暮用が重なり、「もう行けないかな」と思っていました。
それでも4時に家を出ればなんとかお店の空いている時間に間に合うと計算していたところ、3時50分くらいに用事が終わり、10分弱で着替えて、着姿の写真だけ写して、電車に飛び乗りました。

夏休みの夕方の原宿は若い子がひしめき合っていて、高齢者のおばさんは浮いているように見えましたが、そんなことは気にせずに、ろっこやさんのSUMMER SHOPに滑り込みました。

ここは、先週もお邪魔したのですが、未練がましく再度の訪問でした。
今回は店主のろっこさんもいらっしゃいました。

半巾帯や名古屋帯をあれこれ見せていただいたのですが、「あの着物には合うかしら?」「あっちの着物にも合うといいな」などと考えているうちに、優柔不断になってしまいました。
よくよく反省してみれば、私はお太鼓派で、半巾帯や兵児帯はめったに着用しなことに気付いたのです。
なんというおバカさんでしょうね。
いろいろと商品を出していただき、申し訳ないくらいでした。

それと前回はMサイズの浴衣を羽織ってみた▼のですが、今回はSサイズがどれくらいの大きさなのか、試してみました。

「イカット」という模様の浴衣です。
かなり個性的。
着物の上に着たので白い半襟が出ていますが、ちょっと生地が分厚いので、黒っぽい半襟を付けて秋ごろに着たら良いかもね。


グリーンや茶色や水色の大胆な配色でしたが、なんとなく銘仙を思い出すような模様でした。
これはニューヨークで見つけた生地なんだとか。
私のようなチビには、大柄は似合わないと言われてますが、昔っぽいところが意外と合うかも?

柄はユニークで面白かったのですが、いかんせん、サイズが問題でした。
Sなのに、裄が手首の先までかぶさってしまい、いったいどれほど私は腕が短いのだろうと、悲しくなりました。

それでも若くてスタイルの良いオシャレな人がたくさん集まる人気のお店で、チビで高齢者の私でも楽しませていただくことができて、良かったですよ。

またお店のスタッフのNさんやTさんも押しつけがましいところが全然なくて、「焦って買わなくてもいいですよ」と言われて、ちょっと安心しました。

記念にこちらの腰ひもを買ってきました。
この前、締めていただいた時に、いいなと思っていたのです。


黄色に黒の水玉模様です。
元気が出そうですね。

着物でも帯でもこのような小物でも、身に着けていて、楽しくなるものが良いですね。

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この日の装い。

ピンクの花模様の小千谷ちじみ。
(前回と同じ着物でした。)


帯はFUNNY COCOさんの兵児帯。
いい加減な結び方でお恥ずかしい。










2015年7月23日木曜日

これが健康の秘訣?

ズンバ(ラテン風のエアロダンス)を1時間ぶっ通しで踊っても、まだまだ大丈夫な私です。
娘からは年寄り扱いされていますが、高齢者になっても、風邪もひかず、骨折もせずに暮らしていられるのは、ありがたいことです。

さて、ここ2年ほど、毎朝かかさずに飲んでいるのが、手製のジュース。
としちゃん特製です。

中味は、その日によって少し違いますが、こんなものを入れています。

りんご
人参
パセリ
大根
プルーン
きな粉
粉末青汁
牛乳

そして欠かせないのが、こちらのゼラチン。
本来は火を通して使うものですが、少量ならそのまま使っても大丈夫だろうと思い、加えています。
タンパク質だから身体にも良いでしょう。


5グラムずつ袋に入っているのですが、1回に使うのはその3分の1くらいかしら。
パラパラと加えます。

これらの材料をミキサーに入れて混ぜ合わせます。
青汁の緑と、リンゴの皮の赤、プルーンの黒、きな粉の黄色が混じって、あまりきれいな色ではありませんが・・・・。

ゼラチンのおかげで、適度なとろみがついて飲みやすくなります。

毎朝、かかさず飲んでいるので、旅行などで飲めない時は、なんとなく物足りないですね。

やはりこれが健康の秘訣かな?







2015年7月22日水曜日

最近、読んだ本

最近読んだ本の覚え書きですが、私の独断と偏見による感想です。
というか、自分でどの本を読んだかを忘れないために書き留めておいたものです。

「喋々喃々」 小川 糸 ポプラ文庫


題名の「喋々喃々」とは、男女が打ち解けて小声で楽しげに語り合う様子という意味だそうです。
いちゃいちゃというわけではなく、ひそひそとも違うし、ふんわりとしていて、これから良いムードになりそうなことかしら?
現代のお話です。
東京の谷中で小さな古着さんを営む若い女性が主人公で、その彼女の恋愛と複雑な家族を取り巻く物語です。
場所の設定も、主人公が着物好きという点も、いろいろおいそしうな食べものが出てくる点も、感覚的には私の好きなシチュエーションなのですが、なんとなく小説っぽくなくて、雑誌の「谷根千散歩特集」を読んでいるように感じられてしまいます。
恋愛の相手となる男性は、妻子持ちなのですが、うーん、なんだかよく分からない男でした。町田に住んでいるという設定でしたが、根津までは千代田線で1時間以上かかるのに、仕事帰りによくやってくるなー、と妙なところに違和感を感じてしまいました。
それと過去のボーイフレンドの話などはカットして、今のことだけに絞った方が良かったと思いました。
でも実在するお店なども描かれているので、若い女性には受けるお話かもしれないですね。
この作家さんはあちこちでエッセイとか短編を見かけますし、グラビアなどでお顔も拝見します。着物好きということもよく伝わってきます。
ということでもう少し年をとってからの小説が、楽しみのような気がします。

「千姫 おんなの城」 植松三十里 PHP文芸文庫


家康の孫にして、秀吉と淀君の息子である秀頼に嫁いだ千姫のお話。
波乱万丈な生き方をせざるを得なかった女性ですが、夫につくか、実家につくか、というのは現代にもありそうですね。
彼女は夫の子供は産めなかったのですが、側室に産ませた娘(養女とした)がその後、鎌倉東慶寺の尼になったというあたりの話は、知らなかったので面白かったです。

「それぞれの忠臣蔵」 井川香四郎 ハルキ文庫


忠臣蔵の裏話的なお話がいくつか書かれていますが、断片的なので、やはりみんなが知っている普通の忠臣蔵のほうが、面白いですね。
せっかく書いているのに申し訳ないのですが。

「日本橋本石町やさぐれ長屋」 宇江佐真理 講談社


貧乏長屋に住む職人やその妻たちの日常生活のあれこれ。
長屋の本当の名まえは、「弥三郎店」というのだけれど、「やさぐれ長屋」と呼ばれるように、ちょいと問題ありの人々が住んでいて、けんかしたり助け合いながら生きています。
最後にこの長屋が取り壊されるということになった時、そこに住んでいる人たちが行ったことは、とても人情味あふれていて、嬉しくなるほどでした。
ただし、いつもの宇江佐さんのレベルから見るとちょっと物足りないかな。
やはり町人だけの世界よりも、武士が混じって、あれこれ問題を起こしながらも解決していく、という状況のほうが、読みごたえがありますね。

「徳川秀忠の妻」 吉屋信子 河出文庫


文句なしに面白かったです。
吉屋さんは「徳川の夫人たち」や「女人平家」という歴史小説も面白かったので、安心して読めました。
独特の言い回しや、人物を類型的に描いていることなどが気になる人がいるとは思いますが、私は吉屋さんの世界観(というと大げさですが)は、大好きです。
秀忠の妻というのは、お市の方が産んだ美人三姉妹の三女のお話です(大河ドラマにもなりましたね)が、この小説では息子に対する恐ろしいまでの愛情があふれていて、それは三回も強制的に結婚させられた挙句の反動だったのかとも思われました。
彼女が愛情掛けて育てた息子(忠長)は、次の小説(十兵衛の話)では大変なことになっています。

「風雲伝 十兵衛の影」 秋山香乃 幻冬舎文庫


三代将軍・家光の命令によって、駿府に赴き、弟の忠長の動向を調べることになった柳生十兵衛のお話。
秋山さんの本だから面白そうと思って読みだしたのだけど、なんだか途中で挫折。
そういえば大昔、まだ小学生の頃、「柳生十兵衛 独眼竜参上」というテレビドラマがありました。
たしか外山高士三という人が演じていたはず。子供心に覚えています。
もう一度、ちゃんと読み直す予定です。

*****

ちょっとバタバタと急いで書いてしまったので、あまり納得のいくブログではありませんが、とりあえず記録しておきました。





2015年7月21日火曜日

私のかき氷考

夏と言えば、かき氷。

今まで、あちこちでかき氷を食べてきましたが、ちょっとまとめてみました。

宇治でいただいたホントの「宇治」金時。
宇治茶のシロップがついていて、これをかけていただきます。
とても大きなかき氷で、満腹になりました。


鎌倉の隠れ家風カフェでいただいたかき氷。
抹茶と栗と小豆が絶妙でした。
器も美しく、素敵なおもてなしを受けました。


神楽坂でいただいたアイス乗せのかき氷。
普通はアイス乗せは頼まないのですが、この時はおなかが空いていたので、つい頼んでしまいましたが、やはりかき氷にアイスは邪道だと思います。
溶けたアイスと氷はやはり相性が悪いのではないかしら?


目白の老舗甘味処でいただいた断崖絶壁のかき氷。
名物の名前に負けないほど、巨大でしたね。


去年のちょうど今頃は、新宿の喫茶店でこのかき氷をいただいていました。
お昼ご飯代わりだったので、あれこれトッピング付きを選びましたが、まぁまぁ。


他にもいろいろなお店でかき氷をいただいていますが、先日、浅草でいただいたのは、ちょいと残念なかき氷でした。

お店の面構えは良かったのですけどね。
こんなふうに入り口には植物の鉢植えが置いてあり、ちょっと気になったので、入ってみました。


抹茶かき氷というのを頼みました。
ベージュに見えるのは、きなこです。
本当はこれに練乳もかかっているようですが、掛けないようにお願いしました。
私は練乳は苦手なのです。


私はかき氷はいつもは最後の汁まで飲み干してしまうほど好物なのです。
ところがこのかき氷は、氷がフワフワしすぎていて、べちゃっとして、おまけにシロップが甘すぎて、なんだかおいしくなくて、残してしまいました。
私としては珍しいことでした。

後で「浅草でかき氷のおいしいお店」というのを見たら、これがランキングされていて、えっ?と思いました。

私のおススメは、こちらの地元の和菓子屋さんのかき氷。
和菓子屋さんだけあって、小豆がとてもおいしくて、おまけにすごく安いのです。


Sサイズでもこれだけあります。
たしか500円でおつりがきたと思います。
下まで小豆がたっぷりです。
氷も削った感じがして、サクサクしています。


店内はお食事も出しているので、ちょっと洋風ですが、あまり混雑していなくて落ち着けます。


さて、今年の夏は、何回、かき氷を食べられるでしょうか?

やはり氷と、小豆のおいしさが重要ですね。