2015年11月1日日曜日

2015 秋の関西きもの旅 5 ~姫路城~

赤穂の町を見物した▼後は、山陽本線に乗って、姫路まで。

姫路駅に降りたとたん、目の前にお城がドーンと見えました。
本当に町のシンボルですね。


姫路城のおかげで街には観光客が急上昇。
というわけで、私はスーツケースを預けるコインロッカーを探すのに大わらわでした。どこも満員で、本当に困りましたよ。

なんとかスーツケースをしまって、手ぶらで街歩きをスタートしました。

大手前通りをまっすぐ行けばお城に着きますが、その前にランチをして、あれこれと商店街を物色しました。

「みゆき通り商店街」と「おみぞ商店街」という二大ストリートがあり、たくさんのお店が入り組んでいました。
ほかにも昔ながらの商店街も横に走っていたようです。

着物セミナーご一行の皆様の中には、素敵な姫路みやげを大人買いされた方もいらっしゃったようです。

それにしても、赤穂には申し訳ないけれど、姫路は大都会ですね。

アーケードには、こんな洒落た天井もありました。
周囲にはお城の絵が描かれていました。
レトロな雰囲気がとても素敵。


ぶらぶら歩いて、だんだんお城に近づいてきました。
白鷺城は、「白すぎ城」という言葉がぴったりでした。

白いお城、ほんのり紅葉した木々、真っ青な空とのコントラストが絵のようでした。


ここでちょっとお城の歴史を振り返ってみます。

姫路城は正平元年(1346年)に誕生しましたが、当時は小さなお城だったそうです。
応仁の乱が起きて、山名氏、赤松氏が城主になったこともありました。
その後、黒田官兵衛のおじいさんが第12代城主となったそうです。
そして、官兵衛が16歳で城主となりました。

その後、官兵衛は秀吉に城を献上。秀吉は城を立派なものに築いて、3年間、ここの城主をつとめました。
その後、関ヶ原の合戦で功績を収めた池田輝政が城主に変わります。そのころは5重7階の立派な城になったそうです。

その後、城主の本多忠刻が千姫(家康の孫娘)と結婚したので、千姫用に西の丸を造営したそうです。


そして時代は経て明治維新となり、姫路藩は廃止され、姫路城も国有化されました。

昭和になり大規模な修理が行われ、その後、平成5年(1993年)には日本初の世界文化遺産に登録され、世界に認めらるようになりました。

その後、「平成の大修理」が行われ、5年半の歳月を経て、しろすぎ城となったのです。


それにしてもあまりに観光客が多すぎて、歩くのも、写真を写すのも一苦労。
日本人、外国人、老若男女がひしめいていました。

他の方は天守閣まで登るということでしたが、私はお城の途中で失礼して、ひとりで街をぶらぶらしたのでした。

(この項、続きます)





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