2016年7月31日日曜日

2016年夏 カナダ 1 ~ちょいと留守にします~

今日から2週間、ちょいと留守にします。

行先はカナダのトロントです。


妹一家が住んでいるので、そこでのんびりしてきます。

滞在中は涼しいと嬉しいのですが、トロントはオンタリオ湖に近いので、意外と暑いのですよ。

この前、カナダに行ったのは、2012年6月、姪の結婚式の時でした。
その姪もすでに二人の子持ち。2歳と、半年です。
「妹の孫」になるのですが、そういうのは、なんと呼ぶのでしょうね。
このチビちゃんたちの、お世話でもしてきます。

帰国までしばらくお待ちください。





2016年7月30日土曜日

梅雨明け初日のお出かけ

関東地方に梅雨明け宣言があった日は、すごいカンカン照りでしたが、一週間ぶりに着物に着替えて、横浜にあるトウキョウジョウさんにお邪魔してきました。

『蔵開き★キモノ骨董市@トウキョウジョウ』▼で、帯を見つけたいと思ったからです。

トウキョウジョウは、ずっと行きたいと思っていたのですが、電車を乗り換えていくのがネックになっていました。

今回は、途中の乗換駅の駅ビルで、かき氷をいただいてから行くことにしました。

抹茶がたっぷりでおいしかったのですが、アイスと練乳は私には邪道です。
それでも、しっかりといただいて、猛暑の中、身体を冷やしてから次の電車に乗ることにしました。


東横線の大倉山の駅を降りて、坂を上ったり下りたりして、こちらに到着。
トウキョウジョウさんです。


イベント初日の早い時間だったので、まだどなたもお客様はいらっしゃらず、お部屋の中で、一人ゆっくりと選ばせていただきました。

私が選んだのは、こちらの淡いピンクの名古屋帯と、黒×赤の博多帯。
城主さんに持っていただきました。


その後、だんだんとお客様が増えてきました。
Yさんご夫妻、I子さん親子など、知り合いの方たちもいらっしゃって、ワイワイガヤガヤと着物や帯選びを楽しむことができました。


おまけに500円の夏の羽織も持ち帰ることにしました。
かなり小さなサイズなので、私にはぴったりでした。

にんまりとしながら、帰宅しました。

家に戻ってもう一度、確認してみました。

名古屋帯はお太鼓とタレの模様がうまくつながりそうです。
濃い色の着物に合わせるつもりです。
未使用品だったので、儲けもの!


半巾帯は長さがちょっと短めですが、幅が狭いので、私にはぴったり。
今の半巾帯は幅が広すぎて、私には締めづらいのです。


さぁ、これで今年の夏の買い物はおしまいです。

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この日の装い。

叔母の遺品の夏着物です。


帯は同系色の絽の帯にしました。
今年はよく活躍していますね。





2016年7月29日金曜日

脂肪買取りの結果

今年の5月から、いつも行っているスポーツジムの「脂肪買取り作戦」▼に参加していました。


そして5月、6月、7月と3ヵ月、ほぼ1週間に2回ほどジムに通って、ふだんのエアロビなどに加えて、筋トレをしていました。

その結果です。

脂肪は600グラムのマイナス。
ということで、1キロ減ったら商品券をもらえたのですが、その条件には達成しませんでした。

ちなみに体重は5月から1.3キロ減っているのに、脂肪はそれほど減らなくて、どうやら水分が減ったようです。

でも、私の場合、理想的には体重はあと3キロ増加、脂肪はあと1キロ増加、筋肉はあと2キロ増加させるのが、適正だという指摘でした。

となると、この「脂肪買取り」キャンペーンは意味がないわね。

なんだか損をしたような気持ちになりましたが、それでもこういうことがないと、筋トレはなかなか続きませんね。




2016年7月28日木曜日

自転車置き場

朝の早い時間に用事があって、自転車で出かけました。
駐輪場はまだどこもガラガラした。


(これは私の自転車の写真ではありません)

私が置き場所を探していると、シルバーセンターのおじさん(おじいさん)が、
「はい、こちら」と指さすのです。

その場所は、「障害者、高齢者、幼児専用」の駐輪場でした。

えっ、私は高齢者なの?とびっくり。

どうも、その場所に自転車を置くようにということです。

そして、そのおじいさんは「70歳以上の人は、高齢者の置き場へ」と言うのです。

その時、私はジーンズ姿。
いくらなんでも70歳には見えないでしょうに!

失礼しちゃうわ。

「でも75歳くらいでも若く見える人もいるし」と余計なことも言うのですよ。
というのは私はいったいいくつだと思ったのかしら?

自転車の置き場所くらい、自分で判断したいわ。

朝から気分が悪くなった日でした。
プンプン。



2016年7月27日水曜日

夫のスペイン旅行

実は先週、夫はスペインに観光旅行に行っていました。


今年の3月までは、仕事の関係上、なかなか長い休みを取れなかったのですが、定年退職後の第二の職場では休みがたんまりとあるので、出かけたようです。

私も誘われたのですが、私は若い時に2度、スペインに行ったし、団体旅行が嫌なので、一人で行ってもらいました。

でも団体といっても、若い新婚カップルなど10名の団体だったそうで、とても雰囲気は良かったそうです。

また長年、見たいと言っていた闘牛も見ることができ、満足だったようです。

写真を見せてもらいましたが、アルハンブラ宮殿、グラナダなど懐かしく思い出しました。
ただし、私はサクラダファミリアは行ったことがないので、ちょっと羨ましかったですね。


我が家ではお互いの趣味が違うので、一緒に旅行に出かけることはあまりありません。

夫がこれまで出かけたところは、モンゴルでの乗馬、ノルウェーでのオーロラ、中国の兵馬俑など、私にはあまり興味のないところばかりでした。

でもスペインには興味が湧いたようで、また行ってみたいと言いますので、次回は一緒に行ってもいいかなと思いました。

まぁ、健康なうちは、別々に好きなところに行って、好きな時間を過ごすのも良いのではと思っています。

それに私も一人で留守番して、一人住まいの心地よさを味わいました。

いずれにせよ、世界各地でテロなどの事件が起きている現在、無事に帰国しただけで、ホッとしました。




2016年7月26日火曜日

諸田玲子 「ともえ」

久しぶりの読書案内は「ともえ」です。


「ともえ」といえば、「巴御前」を思い出しますね。
「日本のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれた女性です。

そう、この小説は巴御前にまつわる時代小説です。

巴御前は木曽義仲の愛妾でしたが、義仲の眠る大津の義仲寺の隣には、巴塚があるということです。

そして義仲の大ファンだったという芭蕉が、この巴塚に登場して、智月という年配の尼さんと出会うことからこの物語は始まります。

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実は私は数年前、大津に出かけた時、散歩をしていたら、たまたまこの義仲寺を見つけました。



その時はまだ早朝だったので、お寺は開いていませんでした。

義仲寺に行ったときのブログ▼

このお寺に芭蕉の墓もあったのですが、その時はどうして江戸時代の俳人のお墓があるのかということについて、あまり深く考えませんでした。

でもこの小説を読むと、芭蕉が義仲にほれ込んでいたのがよく分かるのです。

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さて物語に戻りますが、ここで出会った芭蕉と尼さんですが、ふたりは義仲と巴御前の関係を間に置くことによって、男女の仲を超えた相思相愛関係になります。

お互いに尊敬しあい、愛し合うのですが、その時、芭蕉は50歳近く、そして尼さんは10歳も年上でした。

この二人がいつ男女の仲になるのかと、はらはらしながら読んでいきましたが、結局、プラトニックのままに終わりました。
病気の看病をしていて、同じふとんで寝てしまっても、それ以上にならなかったというのは、ちょっと気になりましたが。

二人は俳句の話をしたり、義仲と巴御前の話をするだけで、魂が繋がっていたのでしょう。
「老いらくの恋」と言っても良いと思います。

とはいえ、芭蕉といえば、当時は俳諧の世界では非常に有名人で、おまけに全国を旅していて、各地で歓迎されては俳句の指導をしていたので、尼さんのいる大津にはなかなか戻ってくることはできませんでした。

それでも「私の最後はあなたに面倒を見てもらいたい」という芭蕉の言葉だけを頼りに、尼さんは待ち続けていたのでした。

この尼さん、実は若い頃は宮中に使えていて、若き天皇の子供を身ごもったという秘密を持っている人でした。

そういう話や、巴御前が義仲が亡きあとは、源氏の中の敵方の武将の妻としても生きていたという話も織り込まれていて、さすがに諸田さんは女性の描き方がうまく、ワクワクしながら読みました。

この小説では、義仲や巴御前が生きた時代と、江戸時代が交互に現れますが、読む上ではそれほど混乱はしません。
それは作者の力量によるものでしょう。

かなりロマンチックな物語なのですが、ひとつだけがっくりするのは、芭蕉は実は痔持ちだったということです。
痔があまりに痛くて、寝込んでしまうほどだったというのは、ラブストーリーとしてはちょっと、という気がしましたが、きっと事実なのでしょうね。

なんとなく、おじさんというかおじいさんのイメージが強かった芭蕉ですが、こういう側面もあったと思うと、結構面白い人だったのか、と思います。

旅する歌人という意味では、西行さんはハンサムで非常に色っぽいムードがある方ですが、芭蕉さんも、きっとときめきのある人だったのでしょうね。

巴御前や芭蕉などの歴史上の人物に対して、どんどんと興味が湧いてきた小説でした。
そして叶うことなら、大津の義仲寺にもう一度行ってみたいと思いました。

諸田さんの小説の中では、ベスト5に入るのではないでしょうか。






2016年7月25日月曜日

藤山寛美27回忌追善 松竹新喜劇

今月の新橋演舞場は、松竹新喜劇の「七夕公演」でした。

それも藤山寛美の27回忌追善というもの。
もう亡くなって27年も経つのですね。


今回は、初めて、夕方からの部に行ってみました。
午後4時半から開幕して、終わったのは夜の8時半でした。

そういう時間帯だと、普通の勤め人にはちょっと難しいですね。
ということで、会場にはリタイアしたようなご夫婦とか、中年のお友達同士という人が多かったようです。


初めは「夜明けのスモッグ」という喜劇で、親子の愛情を描いたものでした。
あまりにベタすぎて、ちょっと眠くなってしまいましたが。
途中、寛美の孫にあたる藤山扇治郎がご挨拶。
話し方が、だんだんと寛美さんに似てきたような感じです。


次のお芝居は「はるかなり道頓堀」というもの。
最初のシーンが昭和初期で、次のシーンが昭和32年という設定で、古い大阪・道頓堀が舞台でした。
それぞれの俳優さんが年寄りになった場面を演じるのが、見モノでしたね。
水谷八重子はさすがでした。

演舞場の裏には、こんなお稲荷さんもありましたよ。


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この日の装い。

雨で、かなり涼しい日でした。

それで無地のセオアルファー着物にしてみました。


ところが半襟などの組み合わせが悪かったのか、仲居さんのようにみえてしまいました。

もうちょっと小物にこだわればよかったですね。

「こういうときは、帽子などをかぶっても良い」というアドバイスもいただきました。

無地着物の真面目さとは反対に、遊んでみる装いも必要だなと思った次第です。





2016年7月24日日曜日

「サウンド・ドラマ体験講座」 7

「サウンド・ドラマ体験講座」は、市の文化施設で行われています。

こちらはスタジオの天井を見上げたところです。
どうやって使用するのかはよく分かりませんが、市の施設にこういうものがあるということは、あまり知られていないかもしれませんね。


さて、この講座も7回目になり、ようやく他の受講生たちとも気楽に交流できるようになりました。

それというのも、これまでは座席が教室スタイルになっていて、全員、前を向いて座っていたので、誰が誰だか分からずにいました。

五十音順のため、私は最前列だったので、後ろの人のことは全然分かりませんでした。

それが今回は円陣を組んで座るようになったので、ようやく他の人のお顔やお名前も分かってきました。

受講生は女性が多いので、女性は二つのグループに分けて、出演することになります。
男性は少ないので、二回とも登場しています。

いつもながら先生のおしゃべりが長いので、ちょいとうんざりすることもありますが、それでも長年、声優のプロをされていらっしゃるので、大切なことも教えていただきます。

それは「ラジオドラマ」でしゃべるというのは、朗読劇とは違う、ということです。
またテレビや舞台とも違うということです。

つまりラジオ劇は日常会話であり、また視覚に訴えることができないので、状況は台詞で説明しなければならないので、多少はくどくなる、ということでした。

「私たちはふだんはこんな理論的な話し方はしない」と思っていても、それはラジオドラマであるということを考えると、そうなるのも仕方ないのだな、と思いました。

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この日の装い。

叔母の遺品の小千谷縮み。
竹の模様です。


帯は京都の錦市場で購入したモノ。

錦市場というと野菜やら漬物やらのお店が並んでいるところですが、そこにどういうわけか、リサイクル着物や帯を売っているお店がありました。

去年の冬でしたが、夏の麻帯が千円で売っているのを目にして、京都土産に買ったもの▼です。

この日は、あまり暑くない日でしたが、スタジオにいると、着物でも寒くなりました。
これが洋服だったら凍えてしまうだろう、と思いました。





2016年7月23日土曜日

「昭和な家」2周年記念

コラムニストさんとカメラマンのお二人の女性コンビで運営されている「昭和な家」▼ですが、2周年を迎えたイベントをされるというので、出かけてみました。


築60年のおうち(以前は小料理屋さん兼住宅だったところ)をうまく利用されていて、1階ではかき氷を振る舞ったり、和小物の販売をしたり、おしゃべり会場になっていました。

こちらのかき氷作り器ですが、氷を削るときに取っ手をぐるぐる回すと、それに合わせてクマちゃんの眼が左右にキョロキョロとするので、人気でした。


牛皮や小豆、シロップなどをトッピングしてもらって、いただきました。


以前は小料理屋さんだったときのカウンターが、ちょうどうまい具合に利用されていました。


一番暑い時間帯に出かけたので、熱気がすごかったですね。
みなさん、扇子や団扇でパタパタとあおぎまくり。


2階には、昔懐かしい蚊帳が吊ってありました。
今どき、本当に珍しいですね。
子どものころはお世話になりました。


実家の蚊帳は青のグラデーションだったような気がします。
でも今は、蚊帳があっても、吊るす鴨居がないですね。

カメラマンさんに写していただきました。

とてもリラックスしています。


「夜目、遠目、傘のうち」という言葉がありますが、「蚊帳のうち」もありですね。


他にも子供向きに、ミニプールでボールすくいも用意されていたりして、お祭り気分も上がったようでした。

「昭和な家」のお二人は、すでに多方面で活躍されていらっしゃいますが、今回はNPO法人ZEROキッズの「日本文化おもしろ体験塾」▼というDVD制作に関わっていらっしゃいました。


日本の文化を伝えるためのDVDで、子どもゆめ基金の助成金の交付を受けて制作されています。

私は、海外に暮らしている妹の家族のためにも、このDVDに興味があったので、ありがたく受け取ることにしました。

どうもありがとうございました。

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この日の装い。

昭和時代のかなりレトロな夏着物です。
叔母からのいただきもの。
矢絣は、いつも見てもいいですね。


私は叔母とは寸法がほとんど同じなので、どこも直さずに着られます。

帯は地元の骨董市で見つけたもの。


団扇の絵柄が珍しくて、即決でした。
でもほんのわずかな間しか、着用できませんね。






2016年7月22日金曜日

「UKINE」 浮世絵+長唄+日本舞踊の世界

先日、浮世絵+長唄+日本舞踊という素敵な世界を体験してきました。


場所は六本木のサロン。
なんてかっこいいでしょ。


「UKINE」というのは、【浮世絵と三味線の音色=浮き音】という意味です。

ゆったりと浮世絵を眺めることができ、長唄のお唄と三味線を聞いて、そして美しい踊りを堪能できました。

浮世絵は、国際浮世絵学会▼の理事でいらっしゃる國學院大學の横山實先生が丁寧に解説してくださいました。
「横山コレクション」からの展示でした。

サロンの廊下に展示してありましたが、こんなに間近で見られるなんてラッキーでした。


右にいらっしゃるのが横山先生です。


今回は、夏らしい浮世絵を集められたようで、蚊帳の中に入る親子や美女などの浮世絵もありました。

歌麿の「団扇売り」というのは、細長い浮世絵でしたが、お洒落な感じがしました。

こちらは豊国の「月見の舟遊び」です。
着物も帯もぞろりとして、いい感じ。


他にも広重の作品や、昭和になっての伊東深水の女性像などがあって、どれも美しい風景や風俗が描かれていました。

長唄の演奏は、「菖蒲浴衣」と「多摩川」。
どちらも私の好きな曲目でした。

演奏中は写せないので、準備中のところをちらりと。
左は「ひなの会」でもお馴染みの今藤美知央さんです。助演されていらっしゃいました。


とても暑い日でしたが、涼しい風を感じたようでした。


こちらはおまけですが、休憩の間、近くにあるテレビ局でドラえもんのフェスティバルが見えました。
ものすごくたくさんのドラえもんが集合していて、びっくり。



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この日の装い。

「菖蒲浴衣」(あやめゆかた)という曲が演奏されるということだったので、浴衣にしました。
とはいえ、六本木まで浴衣そのもので出かけるのは気が引けたので、半襟にお太鼓帯です。


これは、初めて誂えた浴衣です。
八王子にある「坂本呉服店」▼さんで、選んだ浴衣です。

後ろ姿はこんな感じ。

紺色の夏帯ですが、銀色の丸がお月様に見えたり、お団子に見えたりします。

同系色でまとめてみました。






2016年7月21日木曜日

麹教室@もえぎ家

地元のワークショップ「もえぎ家」さん▼にまた伺ってきました。


前回は、こちらでよもぎ染め体験▼をしたのですが、その名残でしょうか、お部屋の廊下にはいろいろな野菜などで染めた布がすてきに掛けられていました。


今回のテーマは「麹」と「味噌玉作り」でした。

教えていただいたのは、「発酵マイスター」であるHARAMIRAIさん。

HARAMIRAIさんは若い女性なのですが、10年ほど和食の職人として修業されて、そして麹に興味を持たれていくうちに、今では発酵マイスターとして、食に関わる仕事を幅広く活動していらっしゃいます。

ちなみに、発酵マイスターとは、発酵の正しい知識と日本の発酵食文化の普及・継承を目的とした、「日本発酵文化協会」▼の資格だそうです。

最初に、麹についてのレクチャーを受けました。
こちらが米麹です。


麹とは、米、麦、大豆などの穀物を蒸したものに、麹菌を加えて、発酵させたものです。

麹菌は、たんぱく質などを分解する酵素を生み出します。
そしてその酵素を利用して、日本酒やお味噌、醤油などの発酵食品が製造されるのです。

麹のお話はなかなか難しくて、すぐには理解ができなかったのですが、たまたまこちらの「千年こうじや」▼というサイトを見ていたら、分かりやすく説明されていました。

単純に言えば、麹とはカビの仲間だそうです。
そのカビが働いて、おいしい食品ができるのですから、不思議なものですね。

HARAMIRAIさんのお話によれば、麹の元である菌を作る人のことを、昔は「もやしや」と呼んでいたそうです。

また発酵食品の代表である味噌ですが、これは中国から伝わってきたもので、昔は「ひしお」と呼んで、おかずとして食べられていたそうです。今の「なめみそ」のようなものだったのかもしれません。
それが現在のように味噌汁として飲むようになったのは、鎌倉時代からのことだそうです。

麹については、いろいろと興味深い話もあり、また麹の歴史についても学びたいと思いました。

*****

まずは甘酒の試食(試飲?)をしましたが、これがとても甘くておいしかったですね。
ただ麹と水を混ぜただけだそうですが、癖になりそうな味でした。

次は自分たちで醤油麹を作りました。
材料はこちら。
醤油と麹だけです。


消毒された瓶に麹を入れて、醤油を注ぎました。
ピンボケですいません。


これを50℃くらいにして数時間置くと、醤油麹ができます。

その次は、味噌玉作りです。

ネギやみょうがなどの薬味や、のり・ごま・切干大根などの食材から、好きなものを選んでお味噌に混ぜてみました。


ここで鰹節を自分で削るという作業をしたのですが、これは一緒に作業をした、若いママさんたちには受けましたね。

「あー、こういう道具、おばあちゃんちにあった!」と大はしゃぎでした。
私などは子供のころ、母に頼まれて削り節を作っていたので、それほど目新しくは思いませんが、やはり今のママ達にはこういうことも「遠い昔の出来事」になるのでしょうね。


ということで、好きな材料と、削りたての削り節を混ぜて、味噌玉を作りました。


下の写真は「もえぎ家」さんから拝借しました。
みんなで味噌玉を作っているところです。


この後は、HARAMIRAIさんが用意してくださったランチをいただくことになりました。
私はランチは自分たちで調理するのかと思い込んでいて、割烹着まで持参してきたのですが、今回は調理実習はなしで、お呼ばれでした。

野菜中心のメニューでした。
どれも麹を利用したもので、優しいお味がしました。


写真の左にあるご飯には、自分で混ぜ合わせた味噌を乗せてみました。
これにキュウリの薄切りと、豆腐を乗せてお出しを加えると、宮崎名物の「冷汁」になりました。

HARAMIRAIさんのランチを堪能した後は、廊下にかかっている手作りハンモックに乗ってゆらりゆらりと腹ごなしです。

ハンモックは、着物でも問題はありませんでしたよ。


ご一緒した若いママたち。
古いおうちや、手作り食品に興味津々のお二人でした。
「こういう家に住みたいな」と言って、名残惜しそうに、もえぎ家を眺めていました。


ザーザーぶりの雨の中を、お味噌を手にして、帰宅しました。

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この日の装い。

雨で濡れても構わない着物です。


着物はしじら→八王子娘のバザー▼で千円。
帯は麻の名古屋帯→地元の骨董市で千円。
帯締め→こちらも地元の骨董市。舞踊家の方のものだったそうです。同じく千円。

どれも千円のものばかりでしたが、半襟は若い紅型作家の紅若菜▼先生のご指導のもと、自分で染めた紅型でしたよ。