2016年9月30日金曜日

アロマ教室 4

ちょっと前のことになりますが、市民カレッジ「アロマ教室」が終了しました。

この日はちょうど市内の中学生が社会体験学習で、市民会館のお手伝いに来ていました。
中学生たちはパンフレットを渡したり、授業風景を写真をカメラで写したりしていました。

最終回になるので、自分の好きな香りのアロマオイルを作るということになりました。


先生が用意されたたくさんの香りの中から、自分が好きな香りを3種類あるいは4種類選んでブレンドするのです。


私はこのところ体調のせいか、いわゆるアロマの香りは苦手になってしまいました。
本物の花の香りならよいのですが、瓶に詰まった香りはだめでした。
どれを嗅いでも、なんだか胸がもたれるような気がしていました。

ところがこの回は、どういうわけかそういう不具合は起こりませんでした。

良かった!

ホホバオイルをベースにして作ります。

私はオレンジスイートをメインにして、ネロリとイランイランを混ぜ合わせてみました。

香りは、それぞれの効能から選びました。

肌に弾力を与え、しわやたるみを防ぐというネロリ。
血圧を降下させ、ストレスを和らげるというイランイランを合わせました。
オレンジは私には安心できる香りで、またネロリやイランイランとも相性がよい、という理由で選びました。


そしてその後は二人一組になって、自分で作ったオイルで、マッサージの練習をしました。


小さな手でしょ。


手の甲を広げるようにしてもらうと、気持ちが良かったです。

その後はハーブティーとお菓子で一休み。


市民カレッジのアロマ教室に通ったのは、2009年に引き続いて2度目でした。

今回は、上にも書いたように、香りに対してあまりいい気分になれずに、教室に入るとなんだかムカついていたのですが、最終回はリラックスできて良かったです。

どうしてだか分かりませんが。

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この日の装い。

まだ9月上旬だったので、叔母の遺品の夏着物です。


この着物だけだとちょっと寂しいので、黒のストライプの半襟やブルーの水玉模様の帯揚げをプラスして遊んでみました。

帯留は水引でできたピンバッチです。




2016年9月29日木曜日

トヨタ産業技術記念館

福井旅行▼の帰り道は、さすがに深夜バスではなく、特急「白鷺」で名古屋に戻りました。

こちらは「大名古屋ビルヂング」です。
最近、建て替えられましたが、古いビルも新しいビルも大好きです。
このビルを見ると、名古屋に来た!という気がします。


さて、名古屋駅から一駅行った「栄生」の近くに、「トヨタ産業技術記念館」▼があります。


以前から一度行きたいと思っていたのですが、ここは、想像以上に面白いところでした。

トヨタの前身は言わずと知れた豊田織機ですが、この記念館のある場所は、豊田佐吉が明治44年に豊田自動織機の研究開発のために作った試験工場の跡地だそうです。

織機の発明に一生を捧げた豊田佐吉。
そして彼の長男としてトヨタ自動車工業を創業した豊田喜一郎。
ここでは二人の足跡と、そしてトヨタ繁栄の歴史と、その技術の発展を知ることができます。


一般は入場料が500円ですが、シニアだったので、無料で入館できましたよ。

正面ロビーにはは環状織機という大きな機械が置かれていました。
これは、1906年(明治39年)に発明された織機で、回転によって布が織れるのは「夢の織機」とも言われ、画期的なものだったそうです。


この記念館は「繊維機械館」と「自動車館」に分かれています。

まずは繊維記念館のご紹介です。

最初のコーナーでは、いろいろな種類の反物が展示されていました。
こういった反物になるまでは、織機がなくてはなりません。
着物好きにはワクワクするコーナーでした。


ガイドさんが、綿から織物になるまでの手作業の工程を説明してくれました。


糸車をクルクルと回して、糸を紡いでいるところを実演していました。


私は以前、箱根エコビレッジの「衣おはなし会」▼でこの作業をしたことがあるので、このデモンストレーションはよく分かりました。

こちらは初期の織機です。
豊田佐吉が1890年(明治23年)に発明したもので、片手で操作ができるので、生産性がぐんと向上しました。


その後は、木綿の塊が、どのようにしてしなやかなコットン糸になるかの説明がありました。
原糸はものすごい固い大きな塊でした。


ガイドさんが、織機を実際に動かしながら、その発明の歴史を説明してくれました。


豊田佐吉さんという人は若くして会社を興し、いろいろと工夫を重ねた人なのでした。
どうしたら効率よく、たくさんの布が作れるかを研究していました。
また停電になった時に対応できるような織機も作っていました。

これはG型自動織機といって、1924年(大正13年)に完成したものです。


こちらはだいぶ時代が進んで、多色織ができるようになった織機。


さまざまな織機がありました。

水で動かすもの(コボウォータジェットルーム)はチェコで開発され、1960年代には実用化されたそうです。
噴射水流というのを使用するために、高速化することができ、また騒音や振動も減少されるようになりました。
昔ながらの「ぎったん、ばったん」という機織りの音は今では懐かしい音となりましたね。


すごいのは、空気でも織物を織ってしまうという織機です。
空気噴射をコンピュータで行い、ジャガード織が織れるようになりました。


こちらは最新式の、写真のような精密な柄を織り出すことのできる織機。


機織りの発展はすごいものだと感心しました。

手織りでしか味わえない貴重な織物もありますが、このようにして省力化、高速化されて、高度な技術の必要な織物も、安価になれば良いですね。

そして次は車の部です。

漫画や人形で説明されるコーナーです。
トヨタ初のエンジンを試作している様子です。


こちらは、金属加工の技術を説明しているところ。
何トンもの鉄が、あっというまにぺたんこな形になりました。


こちらは現代の部ですが、プレスをしたり、組み立てをするのも、ほとんどがコンピュータで制御されていて、昔のような職人の技はあまり必要とされていないようでした。


トヨタスタンダードセダンAA型というトヨタ初の乗用車の前で。
1936年(昭和11年)に完成されたそうです。


私は車のことはあまりよく分からないのですが、ものすごく大きな機械がたくさんあり、機械好きの人にはたまらない展示だろうと思いました。

この記念館には、他にも図書室や子供のコーナー、蒸気機関車のコーナーなどもあるそうで、全部見ようと思うと、1日いても足りないくらいです。

お土産品もいろいろ販売されていましたが、カナダに住む妹の夫がトヨタファンで、ツールが大好きなので、こちらのスパナのスプーンを購入。


ここは英語のガイドもあるので、外国人観光客もたくさん来ていました。
今度、妹たちが来日するときには、是非、ここに連れて行ってあげようと思いました。

トヨタ産業技術記念館は、着物好きの人、車好きの人、どちらも楽しめるところです。


2016年9月28日水曜日

「明日の記憶」 「白愁のとき」

ちょっと前に読んだ小説ですが、似たような内容だったので、まとめて感想を書いてみます。

一冊目は、今回の直木賞受賞者・荻原浩さんの「明日の記憶」です。


これは2004年に出版されて、渡辺謙主演の映画でも有名になりました。
有能な広告代理店の男性が、若年性アルツハイマーになって、仕事や生活に支障をきたすようになりましたが、最後では彼は陶芸に自分の命をかけるようになったというお話です。

2冊目は、先日お亡くなりになられた夏樹静子さんの「白愁のとき」で、こちらは1992年の出版です。


造園設計家として数々の受賞もした有能な男性が、会議の途中で言葉を失ってしまい、病院で検査の結果、やはりアルツハイマーと診断されました。
たまたま出会った若い女性に魅かれたり、絶望のあまり自殺をしようと試みますが、最終的には生まれ故郷の田舎町の造園開発に捧げるところで終わっています。

両方とも50歳代の優秀な男性の記憶が薄れていくという設定は同じです。
そしてどちらも悲惨な結果とはなっていません。

こういう小説を読むと、どうしても自分のことと置き換えてしまうのは仕方ないのですが、登場人物があまりに優れていて、物忘れをする場面も、「そんなこと、私はしょっちゅうだわ」と思えてしまいます。
この程度でアルツハイマーなら、私はとっくに患者だろうと思わざるを得ません。

ところで若年性アルツハイマーというのは、65歳未満で発症した場合をいうのですが、実は私のいとこも63歳で発症しました。
とても元気でイキの良い女性でした。
発症直後はあまり私たちと会うこともありませんでしたが、今は介護施設でディケアサービスをうけているようです。
聞くところによると、穏やかに過ごしているようですが、家族の支えは本当に大変だろうと思います。

私もいずれは記憶が途切れ、周りに迷惑をかける存在となると思いますが、その時のことを考えても仕方ないですね。

記憶がなくなってしまった母を見ていると、昔のことも、ちょっと前のことも、みんな忘れてしまって、今のことだけ分かっていれば、それはそれで幸せなのかもしれません。

それでも花の名前は憶えているし、読み書き計算はちゃんとできるし、字も書ける。

人間の脳の不可解さですね。




2016年9月27日火曜日

また行きたい福井 6

一昨日・昨日はバスツアーに出かけていたので間が空いてしまいましたが、福井旅行の続きです。

福井は想像以上に面白いところがたくさんある町でした。

お土産をちょっとご紹介しますが、駅前の「ハピリン」で調達したものが多いですね。

こちらは福井特産の和紙ですが、ランチョンマット用に買いました。
5枚入りで300円だったかしら。
安くて、可愛らしくて、色々な柄があって、迷いました。


お酒は永平寺町で買った「一本義」。
「黒龍」というお酒が有名なのだそうですが、夫の性格も考えて、「一本義」にしました。


それと玉村先生のおばさまに教えていただいた「三年ラッキョウ」。
これは年と共に大きさが小さくなるという、不思議なラッキョウです。

もう一つは、ソースカツ用のソース。
甘くておいしいのです。

福井のお食事はB級グルメともいうべき、ソースカツ丼にしました。
ご飯の上に、薄いトンカツを乗せて、そこに先ほどのソースがかかっているだけ、というシンプルなものですが、とてもおいしかったです。


ちなみに旅行から戻ってから、吉祥寺でも似たような薄いトンカツのお店を見つけました。
「タレかつ丼」というそうで、こちらは新潟の特産品と書いてありましたが。
親戚のようなものだと思いますよ。


福井のホテルでの朝ごはんは、「福」の刻印がドーンと押されていたあんパン。
食べごたえがありましたよ。


ホテルはネットで探して、駅から1分というこちらのホテルにしました。
今年、建て替えたばかりだそうで、新しくて気持ちの良いホテルでした。


お部屋も一人部屋にしては広々としていました。
ベッドも幅が広くて、ゆったり。
枕は6種類の中から、好きなものを選べるというシステムでした。


何といっても嬉しかったのは、お部屋のお風呂とは別に、大浴場があったことです。
とても気持ちよく入れました。

受付のお姉さんもとても良い感じでいうことなし。

敷いて欠点をいえば、おトイレが狭かったことぐらいで、あとは本当に満点なホテルでした。

翌日は朝のお散歩をして、福井から名古屋へと向かいました。

福井駅には「サンダーバード」の顔出しがありました。
この電車は本当は大阪行きで、私が実際に乗ったのは「白鷺号」だったのですが、まぁ、お遊びだからいいでしょう。


福井はもう一度、是非行ってみたいところです。
歴史博物館や、一乗谷朝倉氏遺跡にも行ってみたいと思いました。

(この項、おしまい。)

また行きたい福井 1▼ 深夜バスで福井へ

また行きたい福井 2▼ 永平寺

また行きたい福井 3▼ 福井城址から養浩館へ

また行きたい福井 4▼ 恐竜広場から福井市立美術館「二人展」へ

また行きたい福井 5▼ 柴田神社やグリフィス記念館などのご紹介

また行きたい福井 6▼ お土産品とホテルのご紹介


2016年9月25日日曜日

また行きたい福井 5

福井旅行の続きです。

市内を散歩して、他にもちょっと気になった場所をご紹介してみます。
お城や養浩館以外にも、なかなか良いところがありましたよ。

福井駅から少し歩いたところに柴田神社▼というのがありました。
柴田勝家とお市の方が祀られています。

ここは柴田勝家のかつての北ノ庄城の本丸跡でした。

神社となったのは、明治になってからだそうです。
その後、空襲や福井地震などで被害を受けましたが、そのたびに立て直されているそうです。
平成になって建て直しをしたところ、北ノ庄城の跡が見つかったということでした。

私は北ノ庄城というともっと山奥にあるものだとばかり思い込んでいたのですが、こういう平地にあったとは驚きでした。


ここで勝家がお市の方と共に自害したのですね。


ということで、今は「流星」というお市の方の生涯を描いた永井路子さんの小説を読んでいます。

こちらも駅の近くにあります。
グリフィス記念館▼です。


ここは福井初の洋風建築であるグリフィス邸(明治6年に焼失)を再現したおうちです。
明治初期に活躍したアメリカ人宣教師が住んでいたそうです。

ベランダ・コロニアル様式という洋風建築と、日本の伝統的な海鼠壁がミックスされて、独特な雰囲気を醸し出していました。
「異人館」と呼ばれていたそうで、内部も見学できます。

足羽川沿いには、そのグリフィスさんと日下部太郎さんの銅像が立っていました。

日下部太郎さんは、福井からアメリカに留学した最初の人です。
太郎さんとグリフィスさんはその当時、交流があったそうです。
成績優秀な方だったのですが、卒業の1年前に若くして亡くなってしまったそうです。

その後、グリフィスさんは太郎さんの思いを胸に来日して、牧師として活躍しただけではなく、語学教師、科学教師としても福井で活躍されたそうです。

二人で足羽川を眺めているところが良いですね。


こうして歩いてみると、福井の歴史はとても面白いものだと思いました。
次回は是非、歴史博物館にも行ってみたいですね。

お次は新しいところです。

福井駅西口の新しいビル「ハピリン」▼


今年の4月にオープンしたばかりのきれいなビルです。
1階、2階には飲食店やお土産屋さんが入って、また県内の特産品が一堂に揃っていました。


上の方は分譲マンションだそうですが、地元の高齢者がすぐに入居されたとか。
駅前の一等地に家を買えるとは、お金持ちの老人が多いのでしょうか。

福井は駅前は立派な近代的な建物が並んでいましたが、ちょっと離れるとシャッター街のようなところもありました。


お店の後継ぎがいないのでしょうか。
私が歩いたのは、金曜日の夕方と土曜日の朝でしたが、かなりのお店が閉まっていて、ちょっと残念でした。

でも市電も走っていて、住むのにはちょうどよい規模の町かもしれません。
市電はさーっと走り去ってしまって、写真はうまく撮れませんでしたが、こんな可愛い電車でした。



(この項、もう少し続きます)

2016年9月24日土曜日

また行きたい福井 4

福井旅行の続きです。

駅前には大きな恐竜がいました。

ここは、「恐竜広場」というのだそうです。
フクイティタンという恐竜は、高さが6メートルあり、実物大とのことでした。


ガホーガホーという唸り声もして、首や胴体が動くのですよ。
けっこう、迫力がありました。

こちらは左はフクイラプトル、右はフクイサウルス。
睨み合っています。


駅前に恐竜がいるなんて、びっくりですよね。

「福井県立恐竜博物館」▼というのが少し離れたところにあるのですが、私としてはこの3匹の恐竜を見ただけで十分でした。

さて、今回の旅行の目的である福井市立美術館▼に行くことにしました。

こちらの「フレンドリーバス」という無料のバスに乗って行きます。


この美術館は黒川紀章さんが建てたもので、遠くからでもかなり目立ちました。


ガラスのお城のような美術館です。
以前、見学したことのある埼玉県立近代美術館▼とそっくりな感じでした。


お目当ては、染色家の玉村咏先生の個展です。

「二人展」と銘打った展覧会でしたが、それは、30歳でお亡くなりになられた画家のお父様との二人での展覧会という意味でした。


玉村先生は、現在は京都・西陣を拠点に活動されていらっしゃいますが、お生まれは福井でいらっしゃいます。

私は先生が作り出す美しい色は、先生の生まれ故郷と何かの関係があるのだろうかと思いつつ、福井にやってきました。


会場はお父様の作品のコーナー、インテリアのコーナー、着物のコーナーに分かれていました。
お父様が描かれた自画像にとても魅力を感じました。
デッサンなども残されていましたが、お若くしてお亡くなりになられたのは、本当に惜しいことだと思いました。

こちらは玉村先生のお若い頃の作品だったと思います。
モノトーンのグラデーションも素敵でした。


こちらは着物や帯揚げなどのコーナーです。
美しい色の反物が揃っていて、夢見心地になりそうです。

左にあるショールですが、これと色違いの着物を以前、誂えたことがあるのですが、どなたからも素敵な着物とお褒めの言葉をいただいています。


こちらは、10センチ角くらいの大きさの布がグラデーションになって並んでいますが、一枚一枚ばらばらにすることができるのです。
微妙な色の違いを説明されている玉村先生です。


気さくに写真に並んでいただきました。


福井美術館は福井市の中心街からは少し離れたところにあり、交通の便も悪いのですが、玉村先生の個展には多くの方がお見えになっていました。

福井は戦国時代からの歴史もあり、都との繋がりもあり、また町中には美しい川が流れているところでした。
そういった環境も、先生の美しい染色と何か関係があるのかもしれないと、勝手に思ってしまいました。

私は先生のおばさまともお話をすることができました。
生まれも育ちも福井というおばさまのお話はとても面白く、福井の名物なども教えていただいたので、さっそくその土産物を買うことにしたのでした。

(この項、続きます)