2017年7月15日土曜日

変貌する街・渋谷

渋谷駅の周辺が変わってきていますね。


(こちらは無料写真を拝借しました)

渋谷の一番最初の思い出といえば、傷痍軍人のことでしょうか。
戦後10年も経たないころだったと思いますが、渋谷駅には白装束を着て、カーキ色の兵隊の帽子をかぶった傷痍軍人がいました。
義足や義手をしているので、子どもにとってはかなり怖い存在でした。
でも嫌な思い出ばかりではなく、お出かけの時、東横デパートの食堂で食べたお子様ランチは嬉しかったですね。

その後、少し大きくなり、中学生の頃、初めて友達同士で映画を見に行ったのは、渋谷の東急文化会館だったと思います。
「エデンの東」だったか「ウエストサイド物語」だったか覚えていませんが、親と別行動で映画に行ったのは渋谷の映画館でした。
その後、「風邪と共に去りぬ」も渋谷で見たと思います。

もう少し大人になり、デートで訪れたのはやはりこれも東急文化会館にある五島プラネタリウムでした。
真っ暗になり、星だけが見えている空間で、なんだかドキドキした思い出があります。

その後、20歳代の終わりごろには、渋谷の桜が丘に住むスペイン人のアパートまで、毎週1回、夜にスペイン語を習いに行っていました。
その人はコスタリカ大使館に勤めるスペイン人でしたが、日本人以上に日本的な繊細な人だったと覚えています。
スペイン語はどのくら習ったのでしょうか、2年くらいだったかしら。
英語に比べて、動詞の変化が難しくて、なかなか上達しませんでしたが。

スペイン語の先生のおうちに行く前には、友人と一緒に東急プラザの地下にある「ラケル」でよく夕食を取っていました。

30歳代の中ごろには、宮益坂のほうにあるベターホームにパン作りやお惣菜作りを習いに行っていました。

その頃までは渋谷も普通の繁華街だったと思いますが、パルコや109が目立つようになると、若者中心の町となりましたね。東急ハンズができたのは、いつのことだったでしょうか。

今では渋谷は文化村くらいしか用事がありませんが、先日は、ヒカリエに行ってみました。
このあたりは昔の面影はまるでありませんね。

ヒカリエの8階に「d47食堂」▼というギャラリーのようなカフェがあり、そこから発展する渋谷の街が見えました。
この食堂は日本全国47都道府県の食材を使った一風変わったところでした。

テーブルが窓に沿って並んでいました。
なんだか図書館にいるような感じ。

目の前には、大きなビルが建設中でした。


下はバスターミナルのところでした。
右手には地下鉄銀座線が走っていました。


左手には高速道路が見えました。


中で働く人の姿が見えましたが、こういう人はいいですね。
自分の関わった仕事が目に見えるのですから。

東横デパートも、東急プラザも東急文化会館もなくなってしまった渋谷。
この街が完全に出来上がるのはいつのことか分かりませんが、乗り換えにも便利な街になってもらいたいと思います。


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