2018年8月8日水曜日

「ふぉん・しいほるとの娘」上・下

吉村昭の「ふぉん・しいほるとの娘」は、実は少し前に2回ほど読んでいて、内容もすごくて感動した本だったので、すぐにブログにアップしようと思っていました。

ところがその後、西日本を襲った豪雨があり、土砂崩れや河川の氾濫により多くの被害が出ました。
その地域は、この小説の舞台にもなっていたところなので、テレビや新聞で被害の状況を目にするたびに、読後感想を気楽に書けなくなってしまいました。


ところが、最近、東京医科大学の不正(汚職事件や不正入試)が続き、女性差別がいまだに続いていること目にするたび、こういう状況は「しいほるとの娘」の時代とまるで変っていないのではないかと、愕然として、やはり今のうちに読書感想をまとめておきたい気持ちになったのでした。


この本を読むことになったきっかけは、「先生のお庭番」▼を読んだからでした。

「ふぉん・しいほるとの娘」上巻は、主にシーボルトの妻のことが描かれているので、「先生のお庭番」とだいたい同じような時代の話です。
上巻の後半あたり(文政10年 1827年)に、彼らの娘「おいね」が生まれますが、それが題名である「ふぉん・しいほるとの娘」です。

彼女は外国人との娘である、ということで特別視され、それから逃れるようにして医学の道に進むことになります。
その受け入れ先は、シーボルトの弟子であった宇和島の外科医でした。
幕末の頃に、長崎からはるか遠くの宇和島へ行くまでの旅が、詳しく描かれています。

その後、彼女は産婦人科の医者になることを決心して、今度は岡山に研修に行くのですが、恩師と思っていた男から、舟の中で犯されてしまい、妊娠してしまう。
美しすぎる容貌があだとなったのでしょうか。
望まない妊娠でしたが、いねはたったひとりで自分の手で子どもを産み落とす。
産みたくもない子供だったので、名前は「ただの人間」という意味で「ただ」と名付けました。
今でいう「未婚の母」です。

いねは医学の勉強を望んでいたのに、男はいねを性の対象と考えていた。
これって、今のセクハラとまるで同じですね。

その後、いねは娘を長崎の母のもとに置いて、本格的に医学の道に進むのですが、立ちふさがる男社会に絶望しながらも、目の青い女医として技術をつけていき、名実ともに実力者になり、皇室にも一目置かれるほどの立場の女医となります。
日本初の産科の女医として有名になりました。

病院も繁盛しますが、また悲劇が起こります。
それは彼女が一人で産んだ娘が美しい女性に育った時、母と同様に舟の中で男に襲われて、これも妊娠してしまう。
なんという因果か。

「ふぉん・しいほるとの娘」上・下巻は、この三世代の女性の物語ですが、吉村昭は莫大な資料に忠実に物語をまとめています。
そのため、登場人物も、実在人物が多数登場して、(ちょっと煩わしいくらいに)、幕末の話としても理解が広がります。

それにしても「いね」は、幕末、明治維新、明治、大正を生きた数奇な運命の女性でした。
彼女は「シーボルトの娘」であるということで名前も知られていましたが、父親とは2歳の頃に分かれていて、偉大な父のことは周囲から聞くだけでした。
30年ぶりくらいに父と再会したり、異母兄弟との付き合いもありましたが、古い医学知識しかなかったシーボルトの栄光が剥がされてしまうところは、なんとなく厳しい感じがしますが、それも時代の流れだったのかもしれません。

この中で救われたのは、当時の宇和島藩主の殿さまは非常に庶民のことを考えていて、また西欧の技術を取り入れるなど、新進的な発想を持っていた、ということでした。女性に対する差別もあまりない人のように思いました。
今の愛媛県知事も、ニュースなどで見る限りは、筋を通していて、権力に立ち向かう人のように思われますが、これが愛媛県の特徴であるかは分かりませんが。

いずれにせよ、今回の災害、医大の入試にしても、政治は何をやっているのだろう、昔とまるで変っていないじゃないか、と呆れたり、怒ったりしています。
私は、政治家が第一にすべきは、治山治水であると思っています。
日本のような自然環境のところ(国土が狭い、森林が多くて平野が少ない、地震が多い、台風も多いなど)では、治山治水をして、国民の生活を守るのが政治のつとめなのに。

また女性蔑視という日本人の意識は、幕末の頃から何も変わっていないのではないのか、と感じました。
情けないけどね。

「ふぉん・しいほるとの娘」上・下は、読みごたえのある小説でした。
歴史小説ということだけではなく、現代の問題にもつながりのある小説でした。



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