2019年4月12日金曜日

長唄の本

私が長唄三味線を習い始めたきっかけは、前にも書きました▼が、母をホームに入れるとき、母の部屋の天袋から三味線がでてきた、という極めて単純な理由からです。

その三味線が何用の三味線であるのかも知らず、和楽器屋さんから「これは長唄の三味線」と言われても、長唄がどんな種類の音楽であるかもよく分からないほどでした。

それでも「長唄は、歌舞伎の時に伴奏される曲」と言われて、なんとなくお稽古を始めたものでした。

その後、母の姉(私の伯母)が長唄三味線や常磐津もやっていたことが分かり、今はその伯母が弾いていたという三味線を使っています。


私はこういう教本(通称 赤本)で習っています。
これには歌詞と楽譜が書かれています。
ちなみに楽譜は見かけは五線譜のようで、5本の線の代わりに3本の線になっています。


長唄三味線を習っていて、リズミカルに弾けたときなどは楽しいのですが、それでも曲の内容がよく分からないことがあります。

先生から三味線全般の歴史を教えていただいたり、また演奏会でいただくパンフレットの説明を読んだりするうちに、「この曲は、○○時代に、○○という人が作った曲で、こういうストーリー」程度のことは部分的は分かるようになりましたが、それでも長唄の歌詞は難しく、また歌い方によっては何を言っているのかよくわからないところがあります。
またその曲が何となく分かっても、長唄三味線の全体像というのがよく分かりませんでした。
曲の歌詞の意味だけでしたら、ネットにも出ていますが、細かい内容や、特別の言い回しや、他にも全体の流れというか、どうしてそういう曲が生まれたか、どんな場面で演奏されたのか、作曲者はどういう人だったのか、などが分かったら面白いだろうな、と思っていました。

そんな時、図書館で見つけたのが、こちらの2冊です。


左の白い本は、七代目杵屋勝三郎さんという三味線演奏家(すでにお亡くなりになっています)が、三味線音楽の歴史から、長唄の歴史を語り、そして杵勝会という団体の方との三味線の今後についてのお話や、息子さんとの親子トークなどが含まれています。

「長唄」は日本の音楽である、ととらえている点が私には目に鱗でしたね。
西洋音楽については、中学校の音楽の時間でもその歴史などを習った記憶があるのですが、日本の音楽については、歴史の時間にざっと習ったくらいで、系統的に学んだことはありませんでした。
(音楽系の学校に行けば学ぶのかもしれまえせんが、私は普通の公立校でした)

まだ本を全部きちんと読んでいないのですが、長唄三味線について、ちょっとかいつまんでみますね。
(私の独断ですので、正解ではありません)

三味線自体は、16世紀に、琉球から堺に入った三弦が元になっています。
そして浄瑠璃に三味線の伴奏が加わるようになりました。
江戸時代半ばになると、三味線音楽が民族音楽として大成するようになりました。
その後、歌舞伎が登場しますが、当初の芝居の歌は、今の長唄とは違っていたそうです。
その後、歌舞伎にも演奏曲として三味線が使われるようになり、そこから大きく発展して、その後、いろいろなジャンルの曲を取り入れて発展していきました。
大名や金持ちなどが自宅で宴会をするときのための長唄も発展して、つまり部屋の中でするので、技を披露するのが目的の繊細な曲も作られるようになりました。そのようにして江戸時代には長唄は発展しました。
ところが、明治維新の時、西洋化の風潮のために長唄は下火になったが、能楽と結びついた格調高い曲も生まれました。
その後、明治の後半になると、日本らしさを前面に出すような曲が作られるようになり、それまではどちらかというと花柳界のものだった三味線が、良家の子女の趣味として、三味線は素人にも広がって行きました。
そして戦後は現代曲といわれるジャンルの三味線音楽も登場してきました。
というような流れになっているそうです。(←およその流れです)
なるほど、三味線の歴史も、社会の歴史と関連しているのですね。

勝三郎さんの内容の中で、すごいなと思ったのは、
「三味線のプロというのは無本で(←暗譜という意味だと思います)50曲は弾けないとダメだ」とおっしゃっていたことです。
すごいですね。
私など楽譜を見ても、そんなにたくさんの曲は知りませんもの。

また勝三郎さんは、いわゆる家元制度ではなくて、財団法人としての組織運営にも重点を置いてきた方のようです。


上の右側の赤い本は、細谷朋子さんという方の「長唄の世界へようこそ 読んで味わう、長唄入門」です。
細谷さんは、近世日本文学を専攻された国語の教師であり、趣味で長唄三味線を習っているという方お若い方ですが、これがとにかく分かりやすい。
一番素晴らしいと思ったのは、長唄の曲ごとに歌詞、現代語訳、難しい単語の説明、一口メモなどが紹介されているのです。
さすが、国語の先生、だと思いました。
細谷さんによれば、長唄の歌詞は、とくに意味がなかったり、掛け言葉が多かったりするので、なかなか分かりにくいのだそうです。

この方のプロフィールを見ると、先月、神田明神でお話を伺った立教大学の渡辺先生▼の教え子さんでもいらっしゃるそうです。

細谷さんの訳は、ネット上でも見ることができます。
それは松永鉄九郎さんの「TEAM TETSUKURO」▼の中にある「長唄メモ」▼に掲載されています。
というか、そのメモが書籍になったということです。
非常な労作だと思います。

どちらの本もまだ読みかけですので、まとまった内容ではなく、私のまとめ方が不正確なところもあるかと思いますが、こういう本はとても参考になります。



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