2020年7月31日金曜日

最近の異常気象

日本の南の地方では梅雨明けしたところもあるようですが、東京は7月最後の日になっても、まだどんよりとした天気が続いています。
7月の31日間のうち、なんと30日は雨が降っていたそうです。

晴れていれば、正面に富士山が見えるはずの写真です。


それにしても、最近は日本全国各地が豪雨に見舞われています。

昔、社会科の時間に「日本三大急流」を習い、球磨川、最上川、富士川と覚えましたが、そのうちの二つの河川が大変なことになりました。
川が氾濫して、町や村が水に襲われ、見るも無残な風景になってしまいました。

私の住んでいるところも川が近いのですが、普通なら氾濫することはないとは思いますが、それでも昨今の目まぐるしい異常気象ではどうなるか分かりませんね。

世界には砂漠のように水がなくて苦しんでいるところもあるというのに、日本の雨を廻して上げたいくらいです。
こんなにIT技術が進んでも、AIが活躍しても、天気を変えることは不可能なのでしょうか。

このところの気象は、一日のうちに何回も強い雨が降ったり、と思ったらカンカン照りになったり、強風が吹いたり、雷が鳴ったりで、ほんとうに目まぐるしい。

こちらは最近のある日の明け方です。
5時半くらいだったかしら。
とても美しい風景でした。


お昼過ぎには清々しい天気になりました。


ところが夕方になったらザーザーぶり。

一日のうちに、雨が何回も降ったり止んだりした日もありました。
運がよければ、濡れずにすみますが、運が悪い時は外出の度に濡れてばかり。

こちらはたまたま良く晴れていた時間の、北側の風景です。
遠くに味の素スタジアムも見えます。


最近の毎日のニュースは、水害とコロナばかりで、本当にどうなっているのでしょうか。

お天気は人の気持ちを左右するものです。
できれば暑くもなく、寒くもなく、穏やかな天気が続いてほしいものです。

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「一日一句」

雨ばかり夏はほんとに来るのかな





2020年7月30日木曜日

武生というところ

武生と聞いて、その位置関係や特徴が分かる人は、悪いけれどあまり多くはないのでしょうか。
武生は「たけふ」と読みます。
かつては、福井県中央部にあり、県内では福井市に次ぐ2番目の市だったそうです。


ただし武生市は、2005年に越前市に合併したという経過があります。
その当時は、人口が約7万人だったそうです。

その武生ですが、以前は、越前の国の国府であり、「越前府中」とも呼ばれたいました。

「武生」という名前の由来については、「生」が植物群落を意味することから、竹やぶの意味である「竹生」からきているとも言われているそうです。
草深いところだったのでしょうか。

さて、どうして急に武生のことを書いてみたかというと、ここは紫式部と縁があるところなのです。
彼女のお父さんの藤原為時さんという人が、かつて越前の受領(今でいう知事のような役職)をしていて、彼女も父親に付き添って、若い頃、一時は越前に住んでいたことがあるのです。

ちなみに為時さんは和歌や漢文に造詣が深く、文化人だったのですが、どうもあまり世渡りはうまくなかった人だったようです。
花山天皇の時代には、文部省のようなところでよい地位まで登っていたのですが、藤原一族の事件にまきぞいを食って、無職になってしまい、10年間は浪人生活を送った人です。
その後、一条天皇に申し文を作成して、時の権力者である道長の手引きにより、越前国守になれたという話が伝わっています。
紫式部のちょっと根暗な性格は、この父親の血筋を引いているような気がします。

ということで武生にある紫式部公園には、寝殿造りの中に、紫式部の銅像が立っているということを知り、びっくりしました。
金ぴかの十二単姿です。


こちらは彼の地で、紫式部が作ったという和歌です。
「春なれど 白嶺の深雪 いや積り 解くべきほどの いつとなきかな」
雪が深いところなのでしょうか。

武生の人々にとっては、紫式部や源氏物語は身近な存在なのかもしれませんね。

ちなみにウィキペディアで調べてみたら、武生生まれの有名人は意外と多いのです。
いわさきちひろ
加古里子
俵万智
などなど。

またこの地方の名産である越前和紙ですが、かなり昔から作られていて、その後、鎌倉時代にはかなり普及していたそうです。

「源氏物語」の当時は、まだ紙が高価でしたが、紫式部は越前の和紙を使用していたかもしれませんね。

「武生の観光スポット」▼というところを見ると、なかなか良さそうなところです。

コロナが終息したら、是非、足を向けてみたいところです。

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「一日一句」
(季語無し)

行ってみたいコロナ明けたら越前へ


2020年7月29日水曜日

源氏物語を楽しむ会 2020年7月

私たちが細々と続けている「源氏物語を楽しむ会」ですが、数えてみるとちょうど今回は20回目となりました。
以前の「源氏物語を原文で読む会」は主宰者がいらっしゃり、私たちはただ参加して、解釈を聞くだけの受け身でしたが、まがりなりにも私たち自身が開催している集まりが、20回も続いたのは、おめでたいというか、ちょっと信じられないですね。
「継続は力なり」となれるようにしたいと思っています。


さて、今回は久しぶりにface to faceの集まりでした。
以前、集会所を使用した最後の集まりは2020年3月のこと▼でした。
その後、コロナのために会場が閉鎖されていたので、オンラインで行っていました。
先月は近くの喫茶店で行った▼ので、再び、集会所に集まれたのは嬉しいことです。

とはいえ、ここは世田谷区の施設なので、コロナ対策はとてもしっかりとしていました。
入館するときに受付でコロナ対策説明書を渡されて、それに従って行動しました。
消毒液とティッシュ、ごみ袋も渡されました。
部屋の使用前と使用後には、机やいす、電気やクーラーのスイッチの消毒をして、換気に注意して、参加者の名簿提出などを行ったのです。
そして私たちもそれぞれ2メートルほどの間隔をとって座るようにしました。
こういう広い和室を使わせてもらっています。


ここまで対策をしていて、それでコロナにかかってしまったら、本当に運が悪いのでしょうね。

さて源氏物語ですが、今回は「絵合(えあわせ)」の巻でした。
ここは物語の中では、有名で、そして華やかな場面が繰り広げられるところです。
いつもは悩み多き登場人物も、今回ばかりは明るく楽しく集っていました。

宮中の女性たちが、左右のチームに分かれて、それぞれが持っている絵画を自慢するという場面でした。

この頃の絵画は、物語を元にしたのが多かったようで、たとえば「竹取物語」「伊勢物語」などのお話がありました。

私はよく知らなかったのですが、「宇津保物語」「正三位物語」というのもありました。
宇津保物語は20巻もある長いお話だそうで、源俊蔭という人が主人公の物語で、この物語は源氏物語の原型でもあるそうです。
正三位物語は、兵衛の官人の長女がヒロインの物語だそうです。

「絵合」の場面には、絵を描く紙や巻物など、いろいろな道具が登場しました。
こういうものを使用できたのは、きっと貴族だけだったと思います。
今は私たち庶民でも、紙や筆が自由に使えるのは、幸せなことなのでしょうね。
こちらはいつもの参考書です。


久しぶりに対面できたので、オンラインではなかなかできなかった話も弾みました。
源氏物語や紫式部に関連した小説などの話もできました。
また紫式部の父親が滞在していた舞台となった北陸の雑談などもできて、楽しめました。

とはいえ、コロナがまだまだ続いている現在です。
いつになったら、自由に振る舞えるようになるのでしょうか。

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この日の装い。

骨董市で購入した、小千谷縮の浴衣です。
クーラーの効いた電車の中では涼しすぎるくらいでした。


帯は半巾帯。
「吉弥結び」というのにしてみました。


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「一日一句」

半巾や梅雨明けの日が待ち遠しい



2020年7月28日火曜日

1日50グラムのダイエット

コロナのせいにはしたくないのですが、コロナ感染が広がってから、私の体重は比例するように増加してきました。

それまではお年寄りのおうちでホームヘルプをしていたので、けっこう身体を動かしていたのですが、現在はコロナのためにお休みをいただいているため、運動量はかなり減りました。
また、夫が休みだった期間は、いつも家で食事を作ってくれていたので、三食ともしっかりといただいていました。
その結果、ベストより2キロくらい増えてしまっています。


体重が100キロの人なら、2キロくらい増えてもなんともないでしょうけれど、私はその半分もないので、2キロというと大変なことなのです。
なんとかせねば、顔も体もまん丸になってしまいます。

それで来月に予定されている誕生日検診の時までには、なんとか1.5キロは減らしたいのです。
1か月あれば戻れるでしょうか。
単純に計算すると、1日約50グラム減らすと、30日だと1.5キロです。

とはいえ、増やすのは簡単ですけど、減らすのは大変です。


食べる量よりも、動く量の方が多ければ、自然と減ることは分かっていますが、つい食後のアイスとかに手が出てしまいます。

なんとか頑張ります。

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「一日一句」

八月には変身できるかお楽しみ




2020年7月27日月曜日

三田誠広「源氏物語を反体制文学として読んでみる」

三田誠広さんは、私とほぼ同世代の作家さんで、団塊世代の小説家と言われています。
お若い頃「僕って何」で芥川賞を受賞され、「いちご同盟」などの青春もの、「パパは塾長さん」などのニューファミリー小説を書いていらっしゃいました。
その後、「西行」とか「清盛」「空海」などの歴史小説を書くようになり、とても面白くて好きな作家さんです。
でも最近は宗教をテーマとした難しい内容のものが多く、おまけにものすごく分厚いものばかりを発表されるので、ちょっと距離をおいていました。

たまたま図書館の古典コーナーで見つけたのがこちら。
「源氏物語を反体制文学として読んでみる」です。


反体制というと、共産主義とか、左翼とかいう言葉が思い浮かびますが、源氏物語の時代にそういう思想的な勢力はなかったので、気になって借りてきました。

実はこの場合の反体制というのは、藤原一族の摂政関白体制側に対しての勢力を指すようでした。
たとえば摂政関白を置かなかった天皇(宇多天皇、醍醐天皇)の親政も反体制になるし、また皇族から臣籍降下した源氏一族も反体制、の仲間としてみているようです。

また実際に勢力を持っていた藤原道長は、藤原一族ではありますが、彼は長男ではなく、また奥さんの家(土御門殿)に婿養子のような形で入って結婚しているので、いわゆる体制側とはみなしていないのでした。

なるほど、そういう意味での「反体制」なのですね。

ところで摂政関白の時代というのは、天皇に嫁いだ娘が生んだ男の子が次の天皇になり、そしてその祖父が権力を握った時代です。

これに対して、「源氏物語」は平安時代の摂政関白が勢力を持っていた時代に書かれたものではありますが、物語の中には摂政関白は登場しません。
登場するのは、天皇、源氏、そして左大臣、右大臣です。

それで「源氏物語は反体制の文学なのだ」ということになるのですね。

なるほどね、小説家の分析は面白いものだと思いました。

また源氏物語の成り立ちについても、持論を展開されています。
実際に源氏物語の原稿(?)を読んでいた宮廷の女房達の反応を見みながら、紫式部は物語を展開したのではないか、という説にも、なるほどね、と思いました。

たとえばあまりにヒロインが美人ばかり続くと、現実はそれほどでもない普通のレベルの女房達がつまらなそうな顔になるので、適当に不美人のヒロインや、あまり地位やお金とは縁のなさそうなヒロインも用意してみた、ということも書いてありました。


 (こちらの写真は無料サイトから拝借しました)

そして三田さんはすごい想像力の持ち主だと思ったのは、作者の紫式部の娘(賢子)は、夫の藤原宣孝との間にできた子供ではなくて、道長との間にできた子供だという説でした。

その理由として、もともと紫式部の実家と道長(の奥さんの倫子)の家は道を挟んだ近いところにあり、紫式部は以前から倫子の家に遊びに顔を出していて、そのときに道長と知り合って、できてしまったのではないかというのです。
そのことを年上妻の倫子に知られるとまずいので、たまたま出入りしていた宣孝に紫式部を押し付けてしまったのではないかという、なんとも大胆な説を書いていました。

いやー、小説家というのはすごい想像力があるのですね。

そして三田さんが普通の源氏物語研究者と異なる点は、実在する女性たちの名前についてです。
たとえば中宮彰子は普通は「しょうし」と振り仮名がつきますが、三田さんは「あきらこ」と書いています。
「倫子」は「りんし」ではなくて「ともこ」です。
こちらの呼び方の方が、女性らしくて、私は納得がいきますね。

また道長の性格については、「彼はマザコンだっただろう」という説をとっていました。
そして「シスターコンプレックス」もあっただろうと書いていました。
年の離れた姉は、円融天皇に嫁ぎ、一条天皇の母となっています。
それほど力のあった姉には、道長は頭が上らなかったのではないか、と想像していました。

実は三田さんのお姉さまは、三田和代さんという有名な女優さんですが、道長のことを思い出してしまいました。

というスタンスの内容で、普通の解説本とはまるで違った立場からの本でした。
面白かったです。

ただし私がここに書いたことは、ほんの一部であり、実際はものすごく込み入ったたくさんの家系図とその解説が延々と続くので、興味のない方にはおススメしません。

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「一日一句」

長梅雨にサスペンス解く源氏もの





2020年7月26日日曜日

二夜続けての花火

コロナ終息祈願のためでしょうか、二日続けて、花火が打ち上げられました。

一昨日の夜は、本来なら東京オリンピックが開催されるはずだった7月24日の夜、全国各地の青年会議所が主催した花火でした。
我が家のあたりでは、狛江市の青年会議所が主催した花火が見られました。
1分間だけでした。
ただし、ちょうどマンションの陰になってしまって、ほんの少ししか見られませんでした。
ショボい写真です。


昨夜は隅田川を初め、全国で花火が打ち上げられたようです。
事前に場所が知らされると人が集まってしまうというので、打ち上げ場所はシークレットでしたが、きっと多摩川では行われると確信していました。

予想通り、花火会場はちょうど我が家から南東方向に当たり、遮るものがなくて、よく見えました。


シンプルな形の花火ばかりでしたが、それがかえって良かったですね。


私は事前に花火のことを聞いていたので、8時になるとベランダに出てまっていましたが、
知らない方にとってはサプライズ花火だったことでしょう。


空の上の方に雲がかかってしまいましたが、それがまた幻想的で素敵でした。


マンションの下の道を行く人も花火の美しさに感動する声が聞こえました。
そして終わると、自然にみんな拍手をしていました。


昨日は朝から午後まで何回も大雨が降っていて、どうなることかと思いましたが、実現できてよかったです。

通常の花火大会も、やはり我が家からは良く見えます。
その時は約1時間、1万発くらい打ち上げられます。
今回5分間、100発だけだったそうですが、それで十分でした。

美しいものを眺めて、気持ちも晴れ晴れとなりました。


花火師さん、関係者のみなさま、ありがとうございました。

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「一日一句」

梅雨末期連日夜空に花開く








多摩川希望の花火〟花火師:有志一同

2020年7月25日土曜日

ワンコイン!絹の夏着物

たんすやの着物クーポン券が1枚(ワンコイン分)だけ残っていて、使用期限は7月末まででした。

それで何か着物の小物でも買おうかと思って、新宿に行ったついでに、たんすやさんを覗いて見ました。
たんすやさんは春に倒産したというので、どうなったのかと思っていましたが、引き継いだ会社があったようで、今まで通りの場所で今まで通りの営業をしていました。

何かあるかなと思っていたら、なんと千円の絽の着物が目につきました。
ポリエステルではありません。
濃い紫色のシックな絹の着物でした。
丈も裄も寸法はかなり小さくて、ということは私にぴったり。

ちょっと羽織らせてもらいましたが、どこかの女将さんのようになりましたが、アザミのようなお花が可愛くて、訪問着の割には仰々しくないので、普通に着られそうです。

お店の人は私と同じように小柄な方でしたが、
「私が買いたいほどだわ」とのこと。

それでクーポン券を使って、残りは現金で支払いました。
ということでワンコイン(プラス税金)でいただいてきました。

家に帰宅して、着てみたのがこちら。


目つきが悪くてすいません。


いったいいつ着るのか、と言われそうですけど、まぁ何かの時に役立つかもしれません。

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「一日一句」

絽の着物安物買いと言われそう


2020年7月24日金曜日

東西自由通路@新宿

東京都民には「お出かけは自粛期間」の最中ですが、今日のblogはこの4連休がスタートする以前のお出かけレポートなので、記録として残しておきます。

鉄道関係の新しい施設には興味があるのです。
それで「高輪ゲートウェイ駅」▼「虎ノ門ヒルズ駅」▼にも行ってみたいのですが、不要不急のお出かけになりそうなので、それはまたの機会にとっておきます。
今回は新宿編です。

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先日、SOMPO美術館まで行った▼ので、最近開通したという「東西自由通路」を見てきました。
床や壁や天井がまだ新しいですね。


こんなポスターが貼られていました。


私は、新宿駅は普段は主に西口を利用しているのですが、東口に行くためには、
1.JRのコンコースを通る
2.メトロのある地下通路を通る
3.大ガードを通る
という方法がありましたが、今回の東西自由通路開通により、2分ほど短縮できるようになったのだそうです。

それでいったいどこにその新しい道を作ったのだろうと疑問に思っていましたが、なんのことはない、上の1の方法を改良したのでした。

今までJRのコンコースだったところから改札口を数か所なくして、そこを自由に通過できるようにしたといいうことでした。

この方法にすると、今までは改札口でスイカやパスモなどをタッチしないとならなかったのですが、その必要がなくなったということです。

それでもこの通路ができるまでは、かなりの年月がかかったということでした。


せっかく東口まで行ったので、伊勢丹の呉服売り場に行ってみました。
平日だったからでしょうか、店員さんばかりで、お客さんは全然いなくて、かえって恥ずかしい感じがしました。
新しい雰囲気の浴衣がいろいろと飾られていました。
ユニークな半巾帯の結び方など見てきました。

また西口に戻って、ランチ代わりのかき氷。
シンプルにあずきだけの「氷あずき」を頼みましたが、氷が固めてあって、まるで雪国のかまくらのようでした。


それでいて1200円もしたのです。
やはり地元の和菓子屋さんのかき氷が、安くておいしくていちばんだな。

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この日の装い。

綿麻の着物。
赤ワイン色です。
実際の色は、もう少し黒っぽいですけど。


帯はネットで購入したリサイクルの麻帯。
900円だったか800円だったか。
安物の割には、役に立っています。


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「一日一句」

梅雨の日は自由通路をくぐり抜け





2020年7月23日木曜日

時空を超えて

2020年のカレンダーでは、7月23日からは4連休となっています。
23日は「海の日」、また24日は「スポーツの日」という祝日なので、土日と合わせて4連休なんだそうです。
オリンピックに合わせて連休を設定したのでしょうけれど、オリンピックが今年は延期となった今、連休には何の意味があるのでしょうね。


この連休に合わせて、世間では「GO TO トラベル」なるキャンペーンが前倒しで行われているようですが、私はその恩恵の対象とならない都民です。

私は旅行が好きで、知らない町を歩くのが一番の楽しみでしたので、もう半年近くどこへも出かけていないのはすごく辛いのです。
ただしこのキャンペーンが都民に適応されたとしても、コロナ禍の現在、どこか旅行に行きたいとは思いませんが。


さて、トラベルは、空間を移動する楽しみですが、現在はその移動はできません。
ということで、空間ではなく、時間を移動する楽しみを追求しようと思います。

つまり場所の移動(よこ)ではなく、時代の移動(たて)です。
私の場合、時代の移動は未来への移動ではなく、過去への移動ということで、それは少し寂しい感じもしますが、しかしこの移動にはウィルスの移動もなく、当然、感染の心配はありません。
行先は幕末だったり、江戸時代だったり、平安時代だったりしますが、長い歴史を持つ日本なので、選択肢はたくさんあります。

ということで、何だか意味不明の4連休ですが、時を超えた楽しみを見つける旅をしたいと思います。

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「一日一句」

七月や時を超えて旅をする


2020年7月22日水曜日

SOMP美術館@新宿

SOMP美術館▼は2020年春にリニューアルオープンしたのですが、コロナのため、ずっと閉鎖されていました。
ようやく公開されたので、出かけてみました。


場所は新宿西口の高層ビル街です。
ここはかつて、安田火災が「ひまわり購入のために○○億円」ということで大いに話題になった美術館です。
私も昔に一度行ったことがありましたっけ。


Eプラスの事前予約で日時を予約して、その画面をスマホで見せて入館しました。
料金もカードで前払いしてあるので、この方が楽で良いですね。


一階の入り口にはヒマワリの造花がたっぷりと咲いていました。


今回は開館記念展ということで、「珠玉のコレクションから命の輝き・つくる喜び」というタイトルです。

エレベータに乗ってまずは5階に向かいました。
慌てて自撮りしたところ。


ゴッホと、東郷青児の両方が見られるということでしたが、それ以外に日本画や洋画も展示されていて、そちらのほうも良かったですよ。

まずは5階から。
岸田劉生の娘という岸田夏子さんの「桜花」は、淡い紫色の桜の花がぼわーっとしていてとても美しく、身にまとってみたいくらいでした。

大正から昭和にかけて活躍した山口華楊という人の絵も、自然で良かったですね。
キツネが二匹いた「幻化」がとくに気に入りました。

奥村土牛の「朝顔」はすっきりとしていて美しくて、浴衣にしたいくらいでした。

他にも東山魁夷や平山郁夫の作品もありました。

やはり日本画はいいなと思いました。

4階に降りると、そこは東郷青児のコーナーでした。
この方は、1871年~1978年まで生きたそうですが、私が子供の頃は彼の絵はよく見かけました。
とにかく東郷青児は、子ども心に素敵な絵を描く人だと思っていました。
子供の頃は、近くにある新宿余丁町小学校に通っていたそうなので、新宿とは何かとご縁がある方のようでした。
娘さんの東郷たまみさんという歌手の方も有名でしたね。
たまみさんは最近お亡くなりになったようです。

東郷青児は魅惑的な女性の絵が多く、妖精のようで可愛い女性がお好みだったのでしょうか。


「セシルカット」という、ショートヘアの女性像、現代的で良かったです。
きっと今の時代でも、イラストレーターとしても人気を得る方だと思いました。
この方は、昔、安田生命のカレンダーに挿絵を描いたのがきっかけで、保険会社と縁ができ、お亡くなりになってからはご遺族が多くの遺品を寄贈して、「東郷青児美術館」という名前まで付けられるようになったそうです。

3階まで降りましたが、最後は西洋の絵のコーナーでした。
セザンヌやルノアールなどの有名画家の絵は、写真撮影OKでした。




ゴッホのヒマワリは1枚だけ別格のように展示されていましたけど、貫禄がありましたね。
こちらは美術館の外に飾られていたポスターを写したものです。


下のゴッホ風に描いた美術館のポスター、なかなかうまくできていました。

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「一日一句」

新宿でひまわりが咲くオフィス街


2020年7月21日火曜日

カンナの思い出

私は両親とも東京生まれの東京育ちなので、いわゆる「田舎」というものを知りません。
夏休みなどに、友達がおじいちゃん、おばあちゃんちに行く、というのを羨ましく思っていました。

母はそんな子供を可哀想に思ったのかどうか、自分の女子大(当時は専門学校?)のクラスメイトが三浦半島の久里浜に住んでいたので、夏休みにはよくその友人の家に連れて行ってくれました。
そこは田舎を知らない私にとっては、とても楽しい場所でした。
オレンジ色と緑色の湘南電車に乗って行ったのでしょう。

その家が久里浜のどのあたりにあったのか、まるで覚えていませんが、家から数分歩くと砂山があり、そこを下ると海辺に到着するところでした。

その道の途中に、カンナの花がたくさん咲いていました。


私たちは午前中は海で泳いで、お昼ご飯を食べて、昼寝をして、そして午後にはまた海に行く、という幸せな夏休みを過ごさせてもらっていました。

母の友人という人は、書道の先生をしている人で、独身の方でした。
当時は妙齢の男性は戦争にとられてしまったので、相手が見つからない女性が多かったと聞いています。
その方は、たぶん、高齢のご両親と一緒に住んでいらっしゃったのだろうと思います。

それにしても、いくら女子大の友だちとはいえ、小さな子供連れで泊りにきて、迷惑だったかもしれませんね。
そして私や妹だけではなく、時にはいとこたちも一緒に泊まって遊んでいた記憶があります。
きっと田舎の広い家だったのでしょう。

どんな家だったかは覚えていませんが、和室に大きな蚊帳を吊って、その中でみんなでゴロゴロと寝た思い出があります。
雷が鳴ると、おへそを押さえて、縮こまっていました。

毎日のおやつは、スイカやトマトでした。
たぶん、その家の畑で育てていたのだろうと思います。

ビスケットが好物の「ビス」という名前の犬もいましたね。


そして家の周囲には、真っ赤や黄色のカンナが暑苦しいほど咲いていました。

カンナを見ると、60年ほど前のことを思い出します。


写真のカンナは、どれも今住んでいるところの近くに咲いているカンナです。


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「一日一句」

遠い日を思い出させるカンナかな


2020年7月18日土曜日

山本淳子編 「紫式部日記」

また山本淳子さんの著書を手に取りました。
この方、平安文学の研究者ですが、とても平易で分かりやすい解説をされています。

今回読んだのは、ずばり「紫式部日記」です。


角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックスというシリーズに入っている文庫本です。

この前、「紫式部日記解読」▼を読みましたが、2冊の雰囲気が違うのは、両方の著者の年齢の差かしら。
前者の著者は後期高齢者ですが、山本さんはほぼ私より10歳ほど年下の研究者です。

この「日記」は、宮廷に女房として勤めた紫式部の感想や、中宮彰子の出産の様子、彰子の実家である土御門邸での出来事などを記録したものです。

そしてまた同僚の女房たちの様子や、彼女たちの服装なども細かく記録されています。

とくにライバル(時代は違うけれども)として活躍した清少納言への批判や、和泉式部の行動などにも厳しい目で見ています。

とはいえ、紫式部も最初からバリバリの宮廷ウーマンだったわけではなく、同僚とうまくなじめず、自宅に戻って引きこもっていた時代もありました。
そこに藤原道長や中宮彰子・一条天皇のサポートがあり、次第に宮廷で重きを置かれる存在になって行ったわけです。

同僚たちのことを「センスが良い」とか「センスが悪い」と決めていますが、彰子の女房達はどちらかというと大人しくてあまりぱっとしない人の方が多かったようですね。
そして何かと言うと、華やかでウイットに満ちた女官たちがひしめいていた定子の時代を引き合いに出されて、比較されることも多かったので、紫式部ははっぱをかけたかったのかもしれませんね。

それにしても杉本苑子さんの「散華」▼は、「紫式部日記」を土台として書かれているのですけど、このような昔の文献から、あんな長い小説を生み出してしまうというのは、作家というのはすごい想像力があるものだと思いました。

普通なら古典を読むだけでヒーコラしてしまうのに、それを小説に仕立ててしまうというのは、さすがです。

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「一日一句」

梅雨空や読書のうちに日が過ぎる




黄色い帯揚げ

先日、沿線の仙川駅近くにある美術館に行った時▼、お隣の駅にリサイクル着物屋さんがあるのを見つけました。
それならと、一駅歩いて行ってみました。

夏の帯揚げを探していたのです。
それもちょっと変わった色のが欲しいと思っていたのです。

夏の帯揚げはなんだかどれも似たような色合いで、少し飽きてきてしまっていました。

お店でいろいろ見せてもらいました。


お店の人が言うには、「持っていない色を探すのもいいけれど、でも、そうやって買ったものは、なかなか使うことがないのですよね」とのこと。

そうなんですよね、無難な方が良いのは分かっています。
でも淡い紫とか、淡いブルーは何枚か持っているし、何だかインパクトに欠けるな・・・。

と思っていたら、きれいなクリーム色の帯揚げが目につきました。
とても光沢のある生地で、キラキラしている部分もあります。

というので、こちらをいただいてきました。
(残念ながら、写真は色が飛んでしまっています)


出番があるかどうか分かりませんけど、ちょっと目新しいものがあると、気分が上りますね。
うっとおしい梅雨どきのお買い物、安いものです。

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「一日一句」

いつ使う?夏の帯揚げ胸に当て