2008年2月22日金曜日

読書室2 カハールさん


私が仕事をしている研究室のサーバーが壊れている。
そこのサーバーにつまらない駄文をあげているのだが、当分、陽の目を見ないだろう。
というので、ちょいとこのブログに引越しをしてきた。

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「脳の探求ラモン・カハール」
萬年 甫著 中公新書 1991年発行


◆この本を読むようになったきっかけ◆

脳についての子供向け絵本を読んでいた。その本は小学生と思われる少年少女3人の質問に脳博士が答えていく形式。
その博士の名前がカハールだった。 カハールWHO? ということでGOOGLEでカハールを検索すると、カハール博士は実在の人だった。
なんとカハール博士は脳学者であり、ノーベル賞受賞者であった。

研究室の助教授にカハールの名前を尋ねたところ、彼の名前を知らない研究者はもぐりの研究者であるくらいの有名人であるという。そうだったのか!
おまけにカハール博士のことを書いた本が新書であるという。新書ならすぐにでも読めそうだと思い、図書館へ出向いた。本は図書館の地下倉庫に保管されていた。そして借り出しをして読み出したというのが事の始まりである。

◆本のあらすじ◆

一言で言えば、この本はスペイン生まれのラモン・カハールSantiago Ramon y Cajalの伝記。
彼の出生から子供時代、学生時代、青年時代、博士としての82年の生涯を萬年甫という東大の脳解剖学の教授が書いた本。
伝記とはいえ、本の中には神経細胞についての学説やスペインの政治的背景も書かれていて、そういうことに興味のない人にはとっつきにくいかもしれないが、カハールのエピソードもふんだんに盛り込まれているので、意外と読み易い。
またカハールが描いた繊細な図や写真も随所に見られるので、読んでいて退屈はしない。

◆カハールの一生◆

カハールはフランス国境に近いピレネー山脈の麓にある辺鄙な村で19世紀中ごろに生まれた。
当時は日本では江戸時代の末期。ちょうどペリーが浦賀に来航した頃である。

カハールの父親は外科医だった。彼はかなりの教育パパで、カハールが4歳の頃からフランス語を教えたという。
このことはカハールが学者になって、研究論文を発表するときに、スペイン語ではなくフランス語で発表したおかげで、世界的に認知されたというから、父の教えが役立った。

カハールは小さな時から絵を描くのが大好きで、父の目を盗んでは絵を描いていた。この絵は描写が正確、かつ緻密である。
彼の描く絵は人物、岩石、樹木、野菜、動物など絵が上手であるということも、やはり後年の組織学に大いに役立った。

カハールは子供の頃はかなりの悪ガキで、11歳の頃には悪さのせいで牢屋に入れられたこともあるという。
父にはいつも鞭打ちをされていた。
外科医の父は息子を医者にさせたかったが、カハールは芸術の道に進みたかった。父はそんな息子を床屋や靴屋に見習い修行をさせた。
カハールは器用なため、靴屋でも立派に働いた。

そんなカハールだが、16歳になって化学や博物学を学ぶようになると、突然、まじめな学生になった。
その後、サラゴサの大学で勉強をはじめ、その傍らで父の手伝いとして解剖図を描くようになったが、その絵はとても美しい。
またカハールは学生の頃から哲学に関心が深く、後に書くエッセイにも自然哲学の分野がかなりあったという。
また文学にも親しみ、当時のユーゴーやジュール・ヴェルヌ(世界一周)を読みふけり、自分でもSFっぽい小説を書いたという。
スポーツで身体を鍛えることにも興味を持ち、胸囲が112センチもあったという。

その後、カハールは軍医としてスペインが戦争をしていたキューバに22歳で渡る。
そのときが生まれて初めて海を見たときであった。
しかしカハールはキューバでマラリアにかかり、帰国後もその後遺症として喀血して結核にかかった。
彼の20代半ばまでは沈んだ人生だった。

その後、カハールは故郷に帰り、健康も取り戻し、サラゴサ大学で解剖学の助教授となった。

その頃、彼の心をとりこにしたのは顕微鏡である。なんと24時間連続で顕微鏡をのぞいていたという。
顕微鏡で生物の組織を観察するときには、その対象物を染色して周囲のものから浮き立たせるのだが、彼は独自の方法で観察をした。

最初の論文を書き上げたのは28歳のときであった。一応安定した生活ができるようになったので次は結婚である。
カハールが書いた若い研究者向けのエッセイに面白いことが書いてある。
それは「学者の妻」についての意見である。

カハールによれば女性には理知型、裕福型、芸術型、勤勉型の4種類あって、学者が妻を選ぶときは「勤勉型」を選ぶべき、という。
「順境にあっても逆境にあっても、常に学者のよき伴侶である女を妻とするためには家庭的で謙虚で、肉体的にも精神的にも健康で楽天的で気立てが良く、夫を理解し、その力になるのに十分な教育があり、愛情にあふれていて、簡素な生活に満足し、社交や虚栄を望まない女性が、学問を養い育てるために好都合」と書かれている。
ずいぶん都合がいいが、彼の妻はその理想にぴったりで、生涯6人もの子供とともに幸せに暮らしたという。

さて結婚もし、32歳になると今度はバレンシア大学の教授となった。
ただし大学での給料は安いため、課外授業を行い、研究費の足しにしていた。

当時、スペイン全土にはコレラが流行して、コレラ菌の研究にも携わった。
この頃から彼はたくさんの論文を書くようになり、また"Doctor Bacteria"というペンネームで雑誌にエッセイも掲載した。
かれは細胞がいかに魅力的であるかを書いている。
その文章は非常に哲学的で、また詩のようでもある。

またカハールの論文がヨーロッパの他の国でも認められるようになると、彼の愛国心は増してきた。
当時、彼は睡眠術にも凝っていたようで、非常に趣味の広い研究者だったようだ。

さて次の任地はバルセロナ大学である。
だんだん出世をしてきて、自宅には研究室や実験動物を飼う余裕もでてきた。

その頃、神経細胞についての論争があり、神経細胞の軸策の先端には網があり、この網を通して伝達が行われるという網状説が有力であった。
しかしカハールはこれに反してニューロン説を唱えた。つまり神経の興奮は網を通して伝わるのではなく、
神経線維と神経線維の接触によって伝わるという説である。

しかし科学の後進国であるスペインでの研究はあまり重視されなかった。
それでもドイツの学会に出席することにより彼の評判は高まった。

ところで神経細胞をニューロンと呼ぶようになったのは、1891年カハールが39歳のときにドイツ人学者が広めた。
もともとニューロンとはギリシャ語で糸とかすじ状のものを示す言葉である。

ただし幸せばかりではなく、彼の長男は腸チフスになり、それがもとで知恵遅れとなった。また三女は脳膜炎で死亡した。

バルセロナに5年間いたのち、いよいよ首都のマドリッド大学教授になった。40歳のときである。
ただしそれまでの大学とは異なり、教授同士も無関心で冷淡であった。

その年、神経向性説(ニューロトロピズム)というのを発表して、これが大きな影響を与えた。
カハールの研究対象はいつも小動物であったが、とくに網膜や脳の海馬を研究対象とした。
その後、カハールはイギリスから講演者として招待された。ケンブリッジでは名誉博士号を授与された。
そして、ドイツ、イタリア、ウィーン、パリなどから次々に栄誉が訪れた。
その頃の研究は眼の交叉(左右の視神経が脳の中央で交叉すること)であった。

47歳の時にはアメリカのクラーク大学から招待を受け、初めて大西洋を渡り、大脳皮質についての講演を行い、大拍手を受けた。

またモスクワ賞も受賞してその賞金で生物学研究室を作ることができた。
彼の研究意欲はまだまだ続き、顕微鏡の新しい染色法の研究を続けた。

その後、1906年にノーベル賞生理学・医学賞を54歳で授賞した。

そのとき、二人の受賞者がいたが、もう一人は彼と全く対立する学説を唱えるのゴルジという人であった。カハールは頂点に達してからも研究意欲は衰えず、多くの研究をした。
またその頃から自伝書を書くようになった。エッセイのほかにも趣味のカメラの技術本も書いている。
また大学改革にも熱意を燃やしたという。

彼は70歳で定年退職をしたが、大学の授業はいつも彼が黒板に描く絵で説明したという。
その頃、スペインは第一次世界大戦後、王政が崩壊して共和革命があり、あまり落ち着いた時代ではなかったようだ。

大学を退職後も多くの論文を書いたが、80歳になったとき、「80歳より見た世界」が最後の著作である。
この本は老齢になった自己の体験をもとにして、老人の筋肉、目なのどの衰えが書いてあるという。

カハールは50年連れ添った妻がなくなった4年後1934年、に82歳で亡くなった。
ドイツにヒットラーが独裁を始めていた頃である。

◆感想◆

カハール博士のことはまるで知らなかったが、彼の精力的な活動を読むと、うーん、研究者というのはすごいものだと思わざるを得ない。

よくもこんなにたくさんもの論文を書いたものだと思う。
彼の生きていた時代は江戸、明治、大正、昭和と長い時代に渡るが、日本ではまだ写真というものが恐れられていたようなころに彼は写真を駆使し、顕微鏡を覗いていた。

カハールはスペインの片田舎からヨーロッパやアメリカでも認められる学者となった。
そして細胞の研究だけではなく、家族を愛し、スペインを愛する偉大な人であった。

これから学者を目指そうとする若い人たちにも読んでもらいたい本である。
また訳者の萬年甫さんという人は他にもたくさんの本を書いているようなので、それらもきっと面白そうである。

◆この本の参考ホームページ◆

こちらにも「脳の探求ラモン・カハール」を読んで感激した人の文章があります。

會澤 重勝さんの私の本棚

飛中漸さんの気まぐれ者の日記

3 件のコメント:

  1. 匿名2/22/2008

    このコメントはブログの管理者によって削除されました。

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  2. 匿名2/23/2008

    としちゃんの探究心は凄いですね。
    そしてまたまとめる能力もずば抜けていて、分かりやすくて私などが読んでも良く分かります。全然知らない分野なので面白いです。

    研究者の興味は尽きることがないのでしょうね。年齢とかには関係ないのかしら。
    ただただ驚きです。
    知らない世界を紹介してくださってありがとう。

    返信削除
  3. さとさん、つまらない作文を読んでいただき、ありがとうございます。これは2年ほど前に書いたものでしょう。

    私が面白かったのは、このカハール博士の女性観。研究者の奥さんにするなら、勤勉で家庭的で健康で教育があり、簡素な生活に満足し・・・・・という大欲張りなこと。
    そんな人はめったにいませんよね。昔の亭主関白みたいでしょ。
    そういうところばかり面白がって読んでいるの。
    そうすると、科学モノでもけっこう楽しめるのです。

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