2008年8月3日日曜日
父のルーツ・上野
(地図はクリックすると大きくなります。)
私の父は大正9年に上野で生まれたの。
今から9年前の1999年に77歳で亡くなったので、もし今も生きていれば86歳になるわけ。
本籍地は「台東区谷中真島町」というところで、現在は「台東区谷中2丁目」となっている。江戸時代は武家屋敷があったところらしいわ。
父から聞いた話では、当時は上野桜木町というところに家があり、上野動物園の近くにある上野中学(今の都立上野高校)に通っていたらしいの。そのころ、父は陸上をやっていて、100メートル走の記録保持者だったという嘘のような話も聞いたことがあるわ。
上野桜木町にあった家は戦災で焼けてしまい、その後、杉並区のほうに移ってきたらしいの。
今では上野の話を聞くこともできないのだけれど、昨日はその父の生まれ育った上野界隈を散策してきました。
といっても真夏のお散歩は暑くてたまらないので、そういう時は屋根のある場所が一番。
(これは暑い京都で学んだことよ)
というので、科学博物館で開催されている「黄金の国ジパング展」に行ってみました。
この展覧会は二部構成になっていて、一部は黄金の国ジパング、つまり日本の金の歴史などを展示しているコーナー。第二部は日本と外交関係が100年になったコロンビアの金のコーナー。
同じ金を扱うにしても、日本の場合は金閣寺や中尊寺などの建築物に使われたり、奈良の大仏に使われたりすることが多いのに、コロンビアの場合は、耳飾り、胸飾り、鼻飾りといったように装飾品に使われていたのが多いみたいね。
展示の最初のところで、いかに金は重いかということを体験できるコーナーがあったの。
ちょうどティッシュ箱くらいの大きさの金属が数種類置いてあって、最初はアルミ、これは簡単に持ち上げられるのよ。お次は銅。これもまあ、持てます。次は銀。こうなるとかなりの力持ちでないと持ち上がらないな。最後に金。もうどうにもこうにも動かせないの。
よく金塊泥棒の話があるけれど、その泥棒はきっとすごい力もちよ。
歴史物展示物のコーナーでは藤の木遺跡から発掘された飾りがすごくきれいでした。
ここからの写真は「黄金の国ジパング展」のHPからお借りしたものです。
こちらは法隆寺にある金の仏様。
こちらは秀吉が愛用した金の茶室を再現したもの。本当に金ぴかでしたよ。
これは江戸時代の大判。
金と言えば、金箔の作り方のビデオもあったのだけど、たった4グラムの金(小さじ一杯くらい?)をなんと畳一畳くらいまでの広さにまで薄くするそう。職人さんの技のすごさにびっくりよ。
さてこちらはコロンビアの金。
私はコロンビアがどこにあるかも正確には知らなかったのだけど、紀元前から金の文化が栄えていたみたいね。
昔、ペルーに旅行したとき、そこでも金の仮面やアクセサリーをたくさん見たけれど、コロンビアの金もそれに負けないくらいでした。
アクセサリーの題材もカエル、ひと型など様々で面白かったわ。
金ぴかの世界を堪能した後は、カンカンお薦めの日本館に行ってきました。
「石がいいわよ」と言われたので、まずは鉱物のコーナーへ。
私が驚いたのは、隕石の展示。
大きいものから小さいものまで、日本各地に落ちてきた隕石を展示してあるの。
これって宇宙のかけらでしょ?
よくもまあ、集めたものだと思いました。
カラフルな石もたくさんあったの。
石と言えばね、私の小学校1年生の時のクラスに「石田君」という男の子がいて、その子は今にして思えば、「石のおたく」だったの。
彼の家に遊びに行くと、ありとあらゆる石が集められていて、それはみごとなものでした。
その子と一緒に遊ぶ時は、いつもきれいな石探し。
当時、私たちは「油石」と言って、黒くてピカピカ光る石を見つけては、そのピカピカ具合を競っていたのよ。
そんなことを思い出させてくれる石の展示でした。
その後は恐竜やアンモナイトの化石を見たり、海の生き物の展示を見たり、あれこれと科学のお勉強。
本当に「科学博物館」なのね。
夏休みには子供の頃にかえって、こういうところで涼しむのもいいものよ。
カンカン、教えてくれてありがとう。
いつも特別展示もしているのですね。
返信削除日本館の鉱石のことを伝えたけど、日本館って見落としそうなので・・
地球館はどれくらい見れた?
私は1/3くらいしか見れなかったと思う。もっと見たかったわ。
脳科学者の茂木さんのブログにも博物館の月の石のことが書いてありましたね。
このあとの散歩もよかったですね。日暮里のお蕎麦屋さんおいしそう・・
ゴールド展に時間がかかったので、日本館は行けたけれど、地球館は今回はパスしました。夏休みなので子ども連れが多かったですよ。一度では全部は見られないわね。もう少し涼しい時にゆっくり行きたいわ。
返信削除お蕎麦屋さんはお勧めよ。
上野の科学博物館!大好きでした。
返信削除私ね、大学時代、博物館学実習という授業で、2週間科学博物館に通ったことがあるのです。
常設展のほうで、見かけませんでした?
同じ色のシャツを着た学生たちを。
ダイレクトメールの準備をしたり、子どもに実験をレクチャーしたり、本当に楽しい経験でした。
今でも博物館勤務が夢なのですが、京都にはコレって言う施設がないんですよねー。
そうでしたね、shiollyさんは科学者の卵だったから、こういうところには詳しいんですね。
返信削除同色のTシャツを着ていたかどうかは覚えていませんけれど、首から名札を下げた人がいたようでした。
私も日本科学未来館とかに行くと、そういう指導員たちが一生懸命に教えてくれるので、嬉しくなります。そういう方がいると、子どもも科学が好きになりますよね。
ボランティアでしている人も多いみたいですね。
京都には科学博物館のようなところはありませんでしたっけ? 文系が多いのかしら? 瀬名秀明さんの「8月の博物館」という本はよく分からないところもあったけれど、夢がありましたよ。
としちゃんのお父様は大正9年生まれ、私の父は8年生まれでした。
返信削除同じ時代を生きてきたのですね。
今思えばもっと色んな話を聞いておけばよかったと思います。今日もラジオで引揚者の話をしていました。最後の引揚者から9月で50年だと言っていました。舞鶴港です。
科学博物館も面白そうですね。
縁遠くて恥ずかしい~
さとさん、そうでしたか。大正生まれというのは、戦前、戦後、そして高度成長時代など様々なシーンを体験してきた人たちですよね。本当にもっと話を聞いておけばよかったのにと残念に思いますね。
返信削除科学博物館は子供の時よりもかえって大人になってからが楽しめますね。
海の底の生き物なんていう展示もありましたが、楽しかったですよ。
私もサイエンスは苦手なんですけれど、自分の身近なところに置き換えてみると、ははーんと思います。