「源氏物語を楽しむ」という本を読んでいるの。
サブタイトルは「恋のかけひき」。
山口仲美さんという埼玉大学教授の著書です。
源氏物語の主人公、光源氏が付き合ってきた様々な女性との恋のかけひきを、彼らの会話(といっても和歌から取った手紙のやりとりなどが多いのだけど)からいろいろと推察している本です。
たとえば、正妻の葵の上、愛人の六条御息所、永遠の理想の女性・藤壺、最愛の妻の紫の上、仕方なくもらった女三宮などとの間の会話から、源氏物語の本質をついているの。
つまり光源氏がまだ若くてばりばりだったころから、中年を過ぎて老年になるころまでの彼の考え方が、いろいろ変化してくる様子が面白いのよ。
その中でね、私が気に入ったセリフがあるの。
それは「然るべき(さるべき)」という言葉。
つまり、「あなたと私は前世からこうなるように宿縁があった」というような意味なんでしょうね。
だから初めて出会った空蝉をくどくときにも、「然るべき」と言って、いかにも前々からそういう縁があったようにして、言い寄ってくるわけ。
そうすると、当時の仏教思想では、前世の縁の思想が強かったから、そういうふうに口説かれると、嫌でも拒否できなくなるわけよ。
それで、「然るべき」と言って、ものにしてしまう。
そういうことをなんなくと言えてしまうところが、彼のプレイボーイたる所以なんでしょうね。
この本の著者によると、「然るべき」という言葉は、深い関係があっても結婚できない関係の時とか、愛し合っているのに別れなくてはならない関係の時とか、どうしようもない運命に出会った時も使われていたそうよ。
大きな力には逆らうことができないということでしょうね。
私も、そういう考え方って、意外と好きなんです。
あまりしょっちゅう使うのもおかしいとは思うけれど、でも私も長く生きていると、自分だけの力ではなく、周りの人との出会いや、さまざまなできごとって、こうなることが決まっていたのかな、と思えることも時々あるわけ。
西洋の人にはこういう思想があるかどうか分からないけれど、私は千年前に源氏物語で使われた言葉が、今も日本人の考え方に大きく影響しているというのが、すごいなと思ったのでした。
こんばんは。学生時代の古文が苦手で、源氏物語は遠い遠い存在でしたが、身近に感じました。『私は千年前に源氏物語で使われた言葉が、今も日本人の考え方に大きく影響しているというのが、すごいなと思ったのでした。』とは、僕も凄い事だと思います。
返信削除昨日偶然、モナカのことを調べていたんですけれど、モナカの名前の由来は平安期の宮中、お米の粉で出来た丸いお菓子を、あるひとが、「もなか(最中)の月(満月?)のようだ」と言ったのが始まりなんですって。
返信削除それが「モナカ」になった経緯は今度書きますけれど、平安の風雅が今も同じお菓子の名前として残っているのは、すごいことだな、と思ったばかりです。
モナカと聞いてあたしが思い出すのは、コンビニで売っているアイスモナカなんですけれど(笑)
日本語はそれだけで豊な文化ですね。
外国語には訳せない言葉が多いのは、誇りだと思っています。
源氏物語のサブタイトル、これも素敵ですよね。
いつかとしちゃんさんの訳で読みたいです♪
日々是写真日和さん、古典というとちょっと苦手意識が生まれますけれど、でも書かれている内容は現代に通じることが多いですよ。
返信削除とくに男女のやきもちなどは、今も昔も同じ。
特に昔は一夫多妻だったから、女性はいつも男性の訪れを待っていなければならなかったので、辛かっただろうと思いますよ。
史子さん、もなかの写真、見ましたよ。
返信削除本当にもなかなの? と思っちゃいました。
色も形もかわいいわね。
そのもなかが平安時代からあったとはね。
私は懐中最中というのかしら、壺のような形のもなかの中に粉末の小豆が入っていて、お湯をかけてお汁粉にするお菓子が大好きなの。あれは日本人の知恵だと思いますよ。
勉強になりました。
返信削除「然るべき」ってさるべきと読むのですね。
私しかるべきだとばっかり思ってました・・・
またこの解説も奥深いこと。
でも世の中にはこうしたことは沢山あります。としちゃんの文章に頷く私(笑)
ははは、さとさん、そんなうなずかないで~。これは私の説ではなくて、この本を書いた方の説明なのですから。
返信削除いまでは、「然るべき」はしかるべきと読みますよね。そうなって当然というような意味なんでしょうけれど、昔は「運命にはさからえない」とか「もとから決まっている」というような意味が強かったのかもね。