2009年8月24日月曜日

上野めぐりん 7 <上野のお山>

私の父が生きていたころ、昔話をする時によく聞かされていたのが、「子供のころは上野のお山でよく遊んだ」ということだったの。

でもその時は、「上野のお山」と聞いても、どうして上野が山なのか分からなかったし、どうせ、適当なことを言っているんだろうと、あまり深く考えていなかったのよね。

ところが、今回の上野めぐりんで、私は父の言っていたことが本当だと分かったのでした。

つまり、上野は本当に小さな山だったの。

それを一番痛感したのは、清水観音堂というお寺をお参りに行ったとき。
ここは不忍池の近くにあるのだけれど、池から行くと、すごく急な階段を何段も登るの。つまり、そのお寺は上野のお山の上にあるお寺なのです。


「舞台作り」というそうで、とても見晴らしがいいの。

すごく日本的な感じがするでしょ。そのせいか、外国の人が写真をばちばち写していました。

あら、どこかで見たようなお寺、と思ったら、ここは京都の清水寺をまねて作ったお寺なんですって。当時、京都まで行くことのできない江戸庶民のために京都を思い起こすようにして作ったそうよ。
それで京都に感じが似ているのね。

不忍池を琵琶湖に見立てるくらいだから、当時の人も関西にあこがれていたのでしょうね。


本堂には千手観音という古い観音様がいらっしゃいました。

ここは人形供養のお寺としても有名だそうよ。

◆◆◆◆◆◆

上野の山といえば、かつて江戸が明治に代わる頃、彰義隊の戦というのがあったけれど、きっとこのあたり一帯の山で戦い、たくさんの犠牲者が出たのだと思うわ。

私の父は生きていたら今は90歳くらいだけれど、その頃はまだ明治の名残もあっただろうし、子供たちは彰義隊を真似て、上野の山でちゃんばらごっこなどして遊んでいたのではないかしら。

それと上野のお山には、面白い大仏がありました。なんと顔しかないの。
というのも、この大仏は何度も災害にあって、そのたびに頭が落っこちてしまったんですって。
それで、顔だけの大仏にしたそうです。
「もう、これ以上は落ちない」というので、受験の神様となったとか。


こちらは五條神社といったかしら。縁結びの神様らしいわ。


こちらは薬師如来がいらっしゃったところ。


上野は、かつては徳川幕府の象徴的なところだったので、五重塔はあるし、神社もあるのに、今では動物園や美術館、アメ横、演芸場、デパート、パチンコ屋さん、ほんといろんな施設がごっちゃになっていて、新しいものばかりの繁華街とは違って面白いところです。

おまけにお山もあるし、池もあるし、緑も多くてほっとできるところ。


上野をお散歩して、美しいピンクの蓮の花も見られたし、おいしいランチもいただけたし、ちょっぴり父を偲ぶこともできました。

父が生まれてから住んでいた上野の家は、戦災でなくなってしまいましたが、上野のお山はまだちゃんと健在でした。それが分かっただけでも良かったわ。

上野公園の公式ホームページはこちら

2 件のコメント:

  1. 僕も写真を見ていて京都に似ている印象を受けました。でも、それは京都に住む人間の贔屓目かなと思いましたが、京都に似せて作られたとの事、非常に興味深いです。ますます上野に行ってみたくなりました。

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  2. 日々是写真日和さん、お寺や神社、蓮の花と京都と共通点は多いですよね。江戸から明治になるころ、京都とはいろんな交流があったのだと思います。
    私は上野というと何となくダサいイメージがあったのですが、粋で洗練されたところも発見できて、嬉しかったですね。
    日々是写真日和さんならどんな写真を写されるのか興味がありますよ。

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