2011年2月16日水曜日

日舞と脳科学

今日のタイトルは一見、正反対というかあまり関連がないように思えるでしょ。

日舞は趣味の世界だし、脳科学はサイエンスの世界ですものね。
でも、私には意外と関連があるのかもしれないな、と思った一日でした。

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今日の日舞は、体験見学を入れると3回目のお稽古でした。

お稽古の時には浴衣を着て踊ります。
セルフタイマーで写していますけれど、立ち方がダサいわね。もうちょっとポーズを取ればよかったわ。


お稽古は2週間に1回なので、前回教えていただいた振りなどすっかり忘れてしまいました。

今日のお稽古は、主に扇の持ち方の練習。

こういう大きな扇を持って踊るのですけれど、持ち方にも何種類かあって、なかなか思うように動かせないんですよ。開くだけでも難しいのよ。「扇の先までが自分の手であるように」と教えられるんですけどね。


言い訳ではないのですけれど、どうも私は空間的要素が必要な学習能力に疎いと思うんですよ。
文字や形のあるものなどは割と理解できるんですけれど、それに動作が加わるとよく分からなくなってしまうの。

扇の持ち方にしても、持つだけならなんとかできても、持ちながらクルッと身体を一回りする動作が入ると、もう手と足の動きがばらばらになってしまい、我ながらぎこちない動きで、サマにならないなーと思っているのです。
目では先生の動きを見ているつもりなのに、自分がやる段になるとよく分からなくなってしまうのです。右足を出すのか、左足を出すのか・・・・。

これって昔からからそういう体質で、テニスはボールの動きについていけないのでサーブは空振りばかりだったし、鉄棒で回ったりするのが不得意だったし、車の車庫入れなんて距離感がまるで分かりませんでしたもの。自分とモノの位置感覚が把握できないのです。

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さてさて、踊りのお稽古の後は、夜は久しぶりに情報学研究所の市民講座に参加してきました。

会場は神保町から少し歩いたところにあります。

テーマは「脳でモノを見る~脳の中に創られる世界とは?~」というテーマでした。
なにやら難しそうなタイトルのお話でしたけれど、この講座を聞いて、先ほどの日舞の謎が少しは解けました。


講師の先生は国際的に活躍されていて、また国内各地の研究会などでもたくさん講演をされているこの業界では長老という立場の方なんですけれど、その先生が一般向きの講演をするというので、会場には300人くらいの人が集まっていました。

視覚関係のいろいろなお話があり、人間の視覚というのは、いかに神秘的で不思議で素晴らしいことなのだという説明がありました。

中でも人間の視覚能力で優れているのは、「手ぶれ」がないことだそうで、カメラには「手ぶれ防止」機能がついていますけれど、人間にはもともと「手ぶれ防止機能」がついているのだそうです。
よくビデオ撮影が下手な人の画像を見ると、風景が流れてしまったりぶれたりしていますけれど、人間の目はそういうことは起こらずにスムーズに見えるというのは、人間に備わった能力なんだそうです。

「なぜこの薔薇が赤く見えるのか?」
そんなお話もありました。


さて、目の中の構造の話や盲点の話、色の識別方法の話などもありましたけれど、視覚と脳の関係の話を聞いていた時、私はふと、日舞のことを思い出したのです。

どうして私は空間的な動きの学習が苦手なのかと! それが分かりました。

つまり脳の中で視覚に関係しているところにも、色や形などを理解する分野と空間を把握する二つの分野があるというのですよ。
色や形の情報を処理するところは「腹側視覚経路」といって頭の横のところにあり、動きや空間の情報を処理するところは「背側視覚経路」という名前で頭の上のほうにあるそうです。(ネーミングが難しいですけどね)

私の脳は多分、この頭の上の方のところがうまく働かないのだろうと理解しました。
つまり自分ではちゃんと先生の動きを見ているつもりでも、型は覚えても動作は覚えにくいというわけが。

なーんて、日舞の動きがすぐに習得できないのを脳のせいにしてしまっています。

講座ではさまざまな錯視(だまし絵?)を見せてもらったり、ぐるぐる回って見えるような幻覚のような図を見せてもらいましたけれど、そういうふうに見えるのは、その人の経験やら学習が投影されている結果のようです。つまり人間って「今までの例からすると、これならこう見えるはずだ」という思い込みが強いのでしょうね。

私は夜道を歩いて帰るとき、いつもある一定の場所で、そこに人間が立っているように見えるところがあるのです。
でもその影は本当はただの木だということはそこを何回も通って知っているのに、そこを歩くたびに私は「あ、誰かいる!」と思って、はっとしてしまうの。それってきっと「ああ、こんな暗い所に誰か人がいたら嫌だなー」と思っている私の心の反映なんでしょうか?

それと常々思っていることなんですけれど、ブログ用に写真を写す時、いつも「あー、自分が感じている通りの写真を写したい」と思っているのに、カメラに写った映像はまるで違っていて、ショックを受けることがあるのです。
「こんなんじゃないの、私が写したいのは!」と思って何回シャッターを切っても、いつも結果には違和感があるんです。
それってむしろ当然のことのようです。
つまり3次元で見ているものを2次元にするのだから違っていて当然なのだとか。

うーむ、今日の講座は1時間のあいだにカラフルなスライドが60枚くらいあって、お話がかなり急ぎ足だったので私の能力ではなかなかついていけないところもありました。専門家の立場からしたら、一般人にいろいろ伝えたいことはたくさんあるのだろうと思いました。

講演の詳細を知りたい方は、情報学研究所のHPに講演のビデオと質問回答コーナーが近日中にアップされると思いますので、そちらをどうぞ。


私にとって印象的だったのは、講師の先生が最後に「いい絵を見て素敵だと思い、おいしい料理を食べてよい味だと思えるような感動できるかどうかは、あなた次第です」と言われたことでした。

自分の感覚を磨くためにはいろいろな体験をしたほうがいい、それが幸せになれることだ、と勝手に理解してしまいましたけれど。

2 件のコメント:

  1. マサ2/17/2011

    まぁ、としちゃん、日舞を既に正式に習っているんですね。すぐ行動に移すんだなぁ~って、感心しています。
    一見優雅に見えますが、なかなか大変なのね。体力も、けっこう使うでしょ?

    ふむふむ、今日の話は、ちょっと難しいですね。空間的要素ね。
    私は、テニスや鉄棒はもちろん、車の運転も自転車に乗ることも、運動と名のつくものは、ほとんど出来ません。エアロビも、手の動きがつくと、もうダメなの。
    私のように極端に運動能力の劣る場合は、「小脳に異常があるかも」と、娘が言います。だから、何でも「小脳のせい」にしています。
    裁縫ができないのも、「小脳のせい」だと思うの。

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  2. マサさん、正式に習っているというほどではないんですけどね。先生がとても素敵な方で、おまけに生徒はみんなごくごく初心者なので気軽に習えます。マサさんのお母様のように続けられるといいな。
    私の場合は道具がうまく使えないんですよ。とくにボールやポールなどが必要な競技は駄目だわ。
    マサさんは運動能力の代わりに、作文能力が優れているからいいじゃないですか。読んだ後に人をほろりとさせるような文章など、誰にでも書けるものじゃないですよ。大脳の言語中枢が発達していると自慢してくださいな。

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