私の読書傾向はというと、古今の女性作家の小説がほとんどで、それも大河小説が好きなのです。
そのような小説は、膨大な資料をもとに時代背景もきちんと描かれているけれど、登場人物の会話などは小説家が考え出したものであり、作家の希望や願望や想像力の結果であるわけです。
「見てきたような嘘」が書かれているのですけれど、そこが面白いところなのです。
そのような小説が好きな私は、吉村昭という作家はあまりにも記録主義的で、この人の書いた本はあまり面白いと思ったことはありませんでした。
ところが、この「三陸海岸大津波」という本を読んで、吉村さんの記録主義がこんなにすごい重要な文学になるのだとと改めて感じました。
この本はブログ仲間のHさんから教えてもらったのですが、タイトルでも分かる通り、三陸海岸に起きた津波を取り上げたものです。
吉村さんはご自分の小説の取材のために何回も青森・岩手・宮城県には足を運び、そして津波のことを知ってからは資料を調べ、生き残っている人たちの証言を聞いて、この本にまとめました。
この本には彼の主観や意見はほとんどありません。
淡々と事実や数字が重ねられているだけです。
東日本大震災の津波の被害がどれほど大きかったものであるかは、テレビや新聞で報道されていて、「未曾有の大災害」とか「想定外の大津波」という修飾語で語られていますが、この本を読むと、それは事実ではなかったと思われるのです。
高さ50メートルの大津波というのは、かつて、この地方では実際に起こっていました。
三陸海岸に起きた災害を辿ると、明治29年、昭和8年、そして昭和35年にも大津波が来ていたのです。
私は昭和35年のチリ地震による大津波のことは、まだ子どもでしたが少しだけ記憶があります。ものすごく怖いものだと教えられました。
そして平成23年のこの大津波。
100年くらいの間に4回も被害を受けていたとは、私はこの本を読むまで知りませんでした。
この地方の人にとって、言い伝えはあったと思うのですが、津波のことを忘れかけていたのでしょうか。
漁業を営む人にとっては、海岸のすぐ近くに住むということは大事なことなのでしょうけれど、危険性よりもやむをえない事情があったのでしょうね。
都会しか知らない私にはなんとも言えないのが辛いですね。
この本には津波の前兆のことがいろいろ書かれていました。
ものすごい大漁になってマグロやイワシがわんさか取れたこと、井戸水が濁ってしまったこと、そして大爆音が聞こえてきたこと・・・・そういう言い伝えがいつの間にか忘れ去られてしまったのかもしれませんね。
私自身は専門家ではありませんが、若い時に地震関係の職場にいましたが、こういう民間人の言い伝えなどは、あまり重要視していない風潮があったと思います。
この本には、濁流に飲まれてしまった多くの死体を残った人たちが網ですくった話や、当時の天皇や議員が弔問金を出した話なども淡々と描かれています。
吉村さんの本の中で涙を誘うのは、当時、小学生で、親や兄弟を失くしてしまった子どもたちの作文です。
子どものときに身近な人の死に接してどんな思いで大きくなったのでしょう。
日本で文字による記録が始まってから、いったい何回、地震や津波、台風などの災害を受けたことでしょう。源氏物語や鎌倉時代や江戸時代の文学にもたびたび登場しています。
平成23年の大津波のことをきちんと記録をして、そして将来も忘れ去られないような努力をしなければと思います。
今回の大震災は地震、津波、そして原発事故ということが重なってしまいましたが、そういう土地の上に私たちは住んでいるということを自覚しないといけませんね。
小学校や中学の授業でも、日本という国は自然災害の多い国だということをきちんと教えて欲しいと思います。
そして政治を司る人は、古い言葉ですけれど「治山治水」を国家の第一の基本にしてもらいたいと思いました。
吉村昭「三陸海岸大津波」文春文庫 460円
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