先日、千葉県の佐倉市まで出かけて見てきた「紅板締め」。そのときのブログはこちら▼。
せっかくなので、紅板締めのことをもう少し詳しく紹介してみましょう。
紅板締めというのは、江戸時代後期から明治時代ころにかけて京都で行われた生地の染め方の一種なんです。
<紅>は「紅花」が材料であったこと、そしてとても鮮やかな紅色に仕上がるので、紅という名前が付いたのではないかしら。
<板>はちょうどお盆のような薄い板を何枚も何枚も、ときには10枚以上も重ねて使うのです。
その板には細かい模様の彫刻がほどこしてあり、その板に染料をかけるのですけれど、彫刻の隙間から染料が沁み出て、そこに色が付いたので、板という文字を使ったのだろうと思います。
<締め>というのは、その板を何枚も重ねて、その板と板の間に色のついていない反物を屏風畳みにして板に挟むようにからめていたのですけれど、最後にはそれをきつく絞めていたからなのでしょうね。
と想像で書いていますけれど、というのもこの工法は「幻の」と言われるように、きちんとした方法が分かっていなくて、想像の部分が多いそうなのです。
とにかく手間のかかる技法でした。
でもとてもきれいな赤やピンクの色が出ていました。
それを何に使っていたかというと、女性の着物の下、肌襦袢の上に着ていたようです。長襦袢とはちょっと造りも違うようでしたね。
模様も何百とあり、花(菊、桜、撫子、紅葉・・・)、草、蝶、鳥などいろいろな種類があったようです。
昔はこの工法で染めていたお店も多かったのでしょうけれど、2005年に京都の「紅宇」という店が店をたたんでしまい、そこで使っていた数多くの道具がこの博物館に寄贈されたそうです。
そんなにきれいな模様なのに、どうして上着(普通の着物)として使われなかったのかですけれど、かなり薄い生地だったようで、それで下着として使われたのかもしれません。
それと江戸時代には「贅沢禁止令」のようなものがあり、庶民の着るものは木綿や麻などに限れられていて、お洒落もなかなか自由にできなかったそうです。
でもいつでもお洒落をしていたいのは、女の本心。そこで外からは見えない下着にはきれいな色で美しい文様のついた生地を使っていたのかもしれませんね。
私もこんな下着があったら是非着たかったわ。
こちらは停電のさなかに写した展示会の看板です。
こちらの博物館は停電騒ぎも大変でしたけれど、実は騒がしいおばちゃんの集団と一緒になってしまって、あまりじっくりと見られなかったのも残念だったわ。
「すいませんが、少し静かにしていただけませんか」と何回も口から出そうになったけれど、怖いのでやめておきました。
もう一度この歴史民俗博物館には行ってみたいのですけれど、やはり佐倉は遠いわね。
この博物館の近くには「川村記念美術館」というのもあり、こちらも素敵なところだそうです。
博物館と美術館を結ぶバスも1日に1回出ているそうですので、気候がよければ二つをはしごしてもいいかもね。
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