さて白壁と舟板塀で囲まれた五箇荘の町は「近江商人の町」として有名ですが、地元のボランティアガイドさんの話では近江商人にも3種類あるそうです。
最初は近江八幡出身の商人が多く、この人たちは江戸時代初期に活躍されたそうです。
その後、江戸時代中期になると日野(もう少し三重県より)の商人が活躍し、そして江戸時代にはここ五箇荘の商人が活躍したそうです。
近江商人は初期には京都や伊勢などの近隣を巡っていたそうですが、鎖国後は大阪や江戸にも進出したり、蝦夷や海外にまで行って商売をした人もいたそうです。
彼らは絹織物、木綿、麻布などの繊維商品などを売るために全国各地を行商していたのですが、荷物を持っていたわけではなく、品物は別に馬や船で送っておき、下の写真のような身軽な姿で出かけたそうです。持ち物は今でいうサンプルのようなものだけでした。
このように天秤をかついでいたので、「てんびんの里」ともいわれるのですね。
その商売の基本方針は「三方よし」ということでした。
つまり、売ってよし、買ってよし、世間よし、ということです。
これは旅先で商品を売買するのですから、いかに人々の信頼が大切だということを示しているのでしょうね。
こちらはその商人がつけていた「大福帳」です。
ものすごく分厚いですね。
ここの商人たちはすでに複式簿記のようなもので計算をしていたそうですよ。
彼らは地元では商売をしませんでしたが、その住むお屋敷は素晴らしく、家族はきっとご主人の帰りをこのおうちで待っていたのでしょうね。
お庭も素晴らしかったですね。
今は冬なので枯れ木になっていましたが、四季折々の花が咲くそうです。
お部屋には尾形乾山の屏風がさりげなく置いてあったりして、豪商ぶりがうかがえます。
こちらの振り袖も素晴らしいですね。お嬢様が着たのでしょうか。
こちらは商人の妻のための心得。
旦那さんを立てて、使用人をうまく使い、節約に励み、気配りをせよ、というものでした。
な~るほどね。
お屋敷の中にある台所や風呂場も見学しました。
「五右衛門風呂」です。
また五箇荘の商人は昭和の初期にも大活躍をして、三中井商店というところは朝鮮半島や中国にたくさんの百貨店を持っていたそうです。
当時の写真やポスターも展示してありましたが、大陸にまで進出した近江商人というのはすごい力を持っていたのですね。
現在では西武デパートの堤さん、高島屋の創業者、ワコール創業者の塚本さん、ヤンマーの創業者などもみなこの近くの出身者だそうで、近江商人の血を引いているのですね。
こんな感じで昔の五箇荘の豪商の生活を見学することができました。
また外村繁さんという私小説作家はこの外村家の出身だそうで、その人の資料も展示してありましたが、なんと杉並区阿佐ヶ谷に住んでいたそうで、杉並出身の私としては親近感が湧いてきました。
この方は第1回の芥川賞受賞候補作品を書いたそうです。
たくさんのためになるお話をしてくださり、寒い中、案内していただいたボランティア・ガイドさん、ありがとうございました。
「五箇荘」については、こちらの「ぶらり五箇荘」▼に分かりやすく説明されています。
これまで滋賀県には4回出かけましたが、こんどはもう一か所の「近江商人の町」日野にも行かないとならないですね。
(この項、続く)
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