駒井哲郎という銅版画家のことはまるで事前知識がありませんでした。
それなのにどうして展覧会に出かけたかというと、チケットが当たってしまったからなのでした。
世田谷美術館は砧公園の中にあるので、子供が小さい頃はときどき自転車で遊びに行ったり、絵を見に行っていたのですが、最近はちょっとご無沙汰。
でもまた行ってみたいなと単純に思って、インターネットで応募したらチケットが当たってしまったというわけです。
チケットが2枚送られてきたので、ご近所のブログ仲間のMさんをお誘いして、一緒に世田谷美術館に行くことにしました。
さて、駒井哲郎さんという方は1920年生まれ(大正9年)なので、私の父とちょうど同じ年に生まれた方なのでした。生きていたら92歳でしょうか。
展覧会の会場に書かれていたプロフィールによれば
日本橋の室町生まれの東京人。
中学在学中に銅版画に出会う。
東京藝術大学に入学して、その後パリに留学。
結婚して長男誕生。
その後、東名高速で車の事故に遭い、足に大怪我をした。
長女誕生。
銅版画の新境地を開き、活躍されていたところ、舌癌が見つかり、56歳で死亡。
という強烈な人生を送られた方なのでした。
会場にあった写真を拝見すると、端正なお顔をされていてかなりハンサムな方でした。
私は銅版画にはまるで知識はないのですが、銅板を何らかの方法で腐食させて、そして版画にしたもののようです。
とはいえ、その技法にはさまざまな手法があるようで、駒井さんはエッチング、モノタイプ、エンボス、ガッシュ、エンボス、リトグラフなどを巧みに組み合わせて、独特の世界を作り上げていました。
その絵は幻想的で、抽象的なものが多く見られましたが、こんな可愛いウサギちゃんもありました。
会場に展示されていた絵は、かなり小さいサイズで、たとえばコースーター程度のものや、大きくてもハンカチくらいの大きさのものがほとんどでした。
なぜそのような大きさの版画が多かったかというと、駒井さんの版画は詩集や論文集などの本の挿絵として使われることが多かったからでしょう。
とくに「新潮」の表紙に使われたり、埴谷雄高、金子光晴、福永武彦、岡本かの子などの著名人の本の挿絵になることが多かったようです。
私が今回の展覧会で嬉しかったことは、作品が年代別に展示されていた点でした。
駒井さんの作品は若かったころはモノクロの世界でしたが、それが年を取ると色鮮やかなカラーの世界になり、そしてまたがんを患った頃にはモノクロの世界へと戻って行っていました。
時系列で展示されているので、とても分かりやすくて良かったと思いました。
駒井さんは「銅版画を芸術の域にまで高めた人」と呼ばれているようですが、それまで地味であまり脚光を浴びることがなかった銅版画に光を当てた方のようだと思いました。
50代半ばという若くしてお亡くなりになったのですが、死ぬ寸前の絵は心の内面を見つめて、厳しい姿勢で作品を作られたように感じました。
なおこの展覧会は資生堂の名誉会長として有名な福原義春さんのコレクションでもあります。
駒井さんと福原さんは慶応義塾(幼稚舎)での先輩後輩に当たるそうで、小さなときから駒井さんを兄のように慕っていたのだとか。
昭和28年には資生堂画廊で初の個展が開かれています。
私の生まれ故郷である杉並区松庵にも住んでいたことがあり、父と同い年だったという駒井哲郎さんの作品に出会えたことは、嬉しい発見でした。
とても魅了された作品にたくさん出会えた展覧会でした。
(この項、続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿
最近、匿名さんからのコメントが多くなってきました。確認の設定をいたしましたので、ご協力よろしくお願いいたします。
「私はロボットではありません」にチエックを入れてください。
また、スマホでご覧の方は、「ウェブバージョンに表示」とすると、コメントを入力できるような仕組みになっています。by としちゃん