「兄いもうと」というと誰と誰を思い出すでしょうか。
私などはカーペンターズのお兄さんとカレンさんを思い出してしまいますが、ちょっと古いですね。
鳥越碧さんの「兄いもうと」はそれよりももっと古い時代の話で、兄は正岡子規、そしていもうとは律さんという人の物語です。
正岡子規は本名は升(のぼる)といいましたが、律さんはこの升にいさんのことが小さいころから大好きで、そのため、他の男性を愛することができず、常にお兄さんと比較して相手を落胆してしまい、結婚しても2回とも離婚してしまうほどでした。
兄貴コンプレックスとでもいうのでしょうか。
私は俳句の世界はほとんど未知の世界で、子規といっても
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
くらいしか知りませんでした。
ところが子規という人は生涯には何万という俳句を作っていたそうです。すごいですね。
律にとって最愛のお兄さんである子規は脊椎カリエス(骨の結核)という難病にかかり、そのお世話をすることだけが彼女の生きがいになりました。
当時、この病気というのは治療法がないくらいの大変な病気で、下の世話から食事の世話まで律は献身的に接してきました。
うみの出ている背中のガーゼを交換したり、汚れ物を洗濯したり、普通の女性では嫌気がさしてしまうような仕事にも一生懸命でした。
それはみな、兄を愛するがためでした。
それでもこの兄は、無学な妹よりも俳句の仲間たちを大事にするのですね。
とくに「ホトトギス」を主宰するようになってからは、それが子規の生きがいのようになりました。
そのことがまた彼女を苦しめてしまいます。
身内よりも仲間や仕事を大切にするというのは、子規も漱石と似たような感覚の持ち主だったのでしょうね。
子規は結局、35才という若さで亡くなるのですが、律さんはその後は共立女子職業訓練学校に入り、母校の教師となったそうです。
それまで勉強が嫌いで、兄の世話だけに明け暮れていたのですが、女性として独り立ちしたのは素晴らしいと思いました。
それにしても鳥越碧さんの描く女性像は、誰もが息苦しいまでの世界に生きている人ばかりです。
樋口一葉、漱石の妻、そして子規の妹。
明治時代というせいなのかもしれませんが、現代の女性ではこれほど耐え忍ぶことはできないでしょう。
私自身は二人姉妹の長女だったので、中学生のころまで、本当にお兄さんが欲しいと思っていたのですが、でも実際にこんな大変なお兄さんがいたら、逃げ出してしまったかもしれないなと思いました。お兄さんは憧れだけで十分でした。
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