関西着物旅行記が長々と続いているので、葛飾北斎の市民カレッジ報告がたまってしまいました。
3回目が11月8日にあり、その後11月20日に4回目、12月4日に5回目の講義がありました。
3回目の報告はこちら▼。
4回目の時は「波に乗る北斎」として、北斎の6つの名前を追いながら作品を紹介していただきました。
北斎の時代には、多くの浮世絵師や戯作者が筆禍事件に巻き込まれ、筆を置いた人もいました。
たとえば喜多川歌麿などは、将軍のことを絵にしてしまい、手鎖50日という処分を受けてしまったそうです。
また山東京伝も寛政の改革で手鎖の処罰を受けたそうです。
「手鎖」という表現、なんとも江戸時代的で恐ろしい響きですね。
ところが北斎という人は、そのような分野の絵は描かなかったので、絵を続けることができました。
また彼は非常に勉強家で、もともとは狩野派でしたが、いろいろな派の絵を取り入れたことでも有名だそうです。
この立体的な絵は、今までの浮世絵師にはないものだと思います。
多分、西洋の画家の絵から構造を真似したのではないでしょうか。
三角形の直線がぱっと目を引きますね。
遠近法も取り入れました。
一番下の絵が顕著です。天井と床の部分は、まさしく遠近法になっていますね。
また清の画家の描く緻密な花鳥画も勉強したそうです。
北斎が年を取ってからの肉筆画は、その花鳥画の影響が大きいと思いました。
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12月に入ってからの講義の時は、会場にはクリスマス・ツリーが飾られていました。
5回目は、「挿絵師」としての北斎が取り上げられました。
北斎といえば浮世絵で有名なのですが、小説の挿絵もずいぶんと描いていたそうです。
当時、江戸では勧善懲悪・因果応報を説く「読み本」が流行していましたが、その挿絵をたくさん描いていました。
とくに曲亭(滝沢)馬琴とのコンビで描いたものは多くありました。
馬琴は北斎の絵を高く評価していたそうです。
この挿絵はまだ若いときのもののようですね。
グロテスクな化け物を退治しているところ、面白いですね。
これらの挿絵はモノクロの作品ばかりですが、やはり本に絵があるのと、ないのではきっと売れ行きも違ったことだろうと思います。
この時の私の装いですが、「北斎ブルー」に合わせて、いただき物の藍色の紬にしてみました。
無地にちょっとだけ模様が織られているので、便利です。
写真ではシルバーの帯をしめていますが、この帯、すごくまとまりが悪くて、何回締めなおしても変な格好になってしまうのです。写真では分かりませんが、お太鼓がグズグズ。
かなり長いこと格闘しましたが、やはりダメったので、いつものさとさんから頂いた龍村の万能帯に締めなおしました。
帯にも相性があるのか、目をつぶっていても締められるくらいの「いい子帯」と、
何回やり直しても駄目な「悪い子帯」があるようです。
この講座は、次回は来年です。
若いちょっと変わり者の講師の先生とは暫くお会いできなくなり、残念です。
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