2014年2月17日月曜日

「それぞれの忠臣蔵」

雪の季節になると、忠臣蔵を思い出します。

といっても、「雪の日の討ち入り」とは関連性はないのです。

今からウン十年前の雪の季節に、まだ高校生だった私が、高校の予餞会で「忠臣蔵」に出演したからなのです。

当時、高校2年生だった私たちのクラスでは、3年生を送りだすため、みんなで「忠臣蔵」を演じることになりました。
台本、衣装、鬘、小道具など、すべて自分たちの手で作りました。
浅野内匠頭、大石内蔵助、吉良上野介などの出演者ももちろんクラスメイトです。

私は京都の一力で内蔵助が遊び呆ける場面での芸者役でした。
着物を着て、舞台で「鬼さんこちら」をしたことを覚えています。

というわけで、井川香四郎の「それぞれの忠臣蔵」を読みました。


時は元禄14年、江戸城の松の廊下で、浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷沙汰を起こしました。
その日以降、赤穂の武士たちは人生が大きく変わることになったのでした。
そして彼らの妻や恋人や両親たちも、その人生が変わりました。

殿の仇を討つために吉良を殺すべきだと主張する者、いやいや恭順してお家の継続を願う者。
それぞれの思いは違っても、みな、武士として生きることの誇りがありました。

世間の人には赤穂浪士であることを分かってはならないので、偽名を使って生き延びます。
また身分も偽り、小間物屋になって町娘から好意を寄せられたり、そしてそれが本気になってしまったりします。

この小説は、大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士と呼ばれる12人の男たちの「誇り」と「友情」そして「愛」が溢れる物語です。

各章にはひとりの主人公しか登場しないので、短時間ずつでも読むことができます。
そのひとりひとりが、愛情や友情を背負って悩む姿を綴っています。

今の世の中、討ち入りをして切腹するなんてことは、想像出ませんが、当時の武士の世界では、それが当然だったのでしょうか。

最後には内蔵助の奥さんである「りく」さんが、「今でも夫は日の本一のもののふであり、最愛の人だった」と語っています。

愛する人をなくすというのは、平時であっても辛いことなのです。
ましてや戦争や討ち入りなどで愛する人をなくしてしまうという理不尽なことには、今の平和な世の中しかしらない私たちには耐えられないことかもしれませんね。

これからも戦争によって愛する人と離れ離れになってしまうことがありませんように。






2 件のコメント:

  1. ずんこ2/17/2014

    大石内蔵助についてはテレビなどでもやっていましたが、一人一人が主人公になっているのは興味深いですね。
    家族は討ち入りについて事前に知っていたのでしょうか。
    送り出す時の気持ちを考えると辛いですね。

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  2. ずんこさん、そうですね、内蔵助とか堀部安兵衛とか有名な人は映画などにも登場しますが、ひとりひとりに焦点を当てたのはあまりないですね。
    家族にも隠していた人が多かったようですが、やはり隠し通せるものではなかったようですね。お互いに辛い気持ちでいっぱいだったと思いますよ。

    返信削除

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