2014年4月25日金曜日

三田誠広 「空海」

私の好きな作家 三田誠広さんの「空海」をようやく読み終えました。
明日が図書館に返却する期限ですので、ぎりぎりとなってしまいましたが、読み切ったという充足感でいっぱいです。


主人公はもちろん、空海さん。
私など、空海と聞いても、「最澄・空海 天台宗・真言宗」という程度の知識しかなくて、あとは弘法大師として日本全国あちこちを行脚した人、というくらいの認識しかありませんでした。

空海さんは生まれは四国・讃岐の田舎。
幼名は真魚(まお)と呼ばれていました。
彼は子供のころから山の中を走り回っていたので、体力もすぐれていたようです。
そして初恋の相手ともいうべき光明さんという女性との恋愛が、彼の一生を導いたように描かれていました。

でも彼女は水銀のためか、若くして亡くなってしまうのよね。

この水銀というのは、金を作る時には無くてはならないものだそうで、そのために空海は奥州まで水銀を運ぶ役割もしていました。

空海さんはとにかく記憶力に優れていて、難しい仏教の経典も一度読むとすぐに頭に入ってしまうほど。

その彼が苦難の末、遣唐船に乗って、唐へ行きます。

空海の才能は語学の面でも際立っていて、通訳なして唐語をすらすらと話せたそうです。
それで唐の人たちからも注目されたようです。

こんな伝説もありました。
唐の皇帝の前で書をかくことになったとき、空海さんは筆を5本用意しました。
そのうち1本は口にくわえ、2本は左右の手に持ち、残りの2本は足でつかんで、それぞれ5種類の書体(行書、草書、など)で五行詩を書いたというからただ者ではありませんね。
書の名人と言われる所以です。

空海さんの生きた時代は奈良時代から平安時代への移行期でした。
この本には空海さんの数奇な運命と、彼を支える多くの人物が登場します。
昔、日本史の教科書で習った歴史上の有名人物がこれでもかと登場するので驚きです。
桓武天皇、和気清麻呂、坂上田村麻呂、橘逸勢、藤原冬嗣・・・。
えー、みんな知り合いだったの!という感じです。
私は情けないことに「薬子の乱」の薬子は「乱を起こしたのだから男性」だとばかり思い込んでいたのに、薬子はなんと尚侍(ないしのかみという天皇の秘書役)だった、つまり女性だったのですね。
恥ずかしい!

そして空海さんのライバルともいえる最澄と対する場面では、空海さんの素晴らしさが際立っていました。
最澄という人は唐に行く以前から日本国内でも有名な高僧だったのに対して、空海さんはただの留学生(僧)でした。
唐では、空海さんは密教を学んでいましたが、それを聞きつけた最澄が「俺にも短期間で教えてくれ」と依頼してきたので、空海は丁重な理由を付けて辞退したところなど、胸がすくっとしました。つまり、これはそんなに簡単に習得できるもんじゃないよ、ということを言いたかったのでしょうね。

このころの帝やその取り巻きたちの政治状況や、仏教の経典のことなど、あまりに難解すぎて、かなり読み飛ばしてしまいました。
でも空海さんのパワーのすごさと、信仰の力はよく伝わってきました。

空海さんもすごいけれど、そのような偉大な人の物語を描いた三田さんの力量に感服しました。
すごい本です。

これまで何回か行ったことのある京都の東寺も、空海さんが建てた真言宗のお寺だったんですね。

うーむ、こうなると一度、高野山に行ってみないとね。




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