その高貴な方のお名前は「璋子(たまこ)さん」。
彼女は白河上皇の養女として育てられていました。
養母は「祇園女御」と呼ばれた女性です。
愛らしく育った彼女は、そのうち義父と関係ができてしまいます。
義理の父とは年齢が50歳くらいも違うのですが、10歳くらいの時に、璋子さんは彼に女にさせられしまい、そしてその後も、ずっとその関係が続きました。
ところがこの義父という人は普通の感覚の持ち主ではなく、その愛する女性をなんと自分の孫の嫁さんにさせてしまうのです。
息子はすでに亡くなっているとはいえ、自分の彼女を孫(鳥羽上皇)の妻にさせるなんて信じられませんよね。
そして璋子さんが孫の妻となってからも、まだ二人の男女の関係は続いたので、璋子さんの産んだ子供はどちらの男の子供なのか分からなくなったほどでした。
上皇が75歳くらいになるまでそういう関係が続いたというのは信じられないのですが、どうも本当のことらしいのです。
そんな二人から愛された、(実は他にもまだ男はいたのですが)女性ってどんな人なのでしょう。
よく「魔性の女」という言葉が聞かれますが、まさに璋子さんは魔性の人だったのでしょう。
彼女の生涯を見てみると、どうしても源氏物語の紫の上を思い起こしてしまいます。
やさしいお兄様だと思っていた光源氏から女にされてしまい、彼好みの女に育てられるのだけれど、それと似ていますね。
でも紫の上は、光源氏一筋に一生を終えますが、璋子さんのほうは、もっと自由奔放に生きていました。
その後、上皇が77歳くらいで亡くなった後は、璋子さんも仏教に熱心になり、結局45歳で出家してその生涯を閉じるのですが、それに影響を受けたのがあの西行さんだったのです。
若き西行さんは彼女のことをずっと忘れられなかったようです。
その璋子さんのことを研究した人がいました。
それは源氏物語研究でも有名な角田文衛(つのだぶんえい)さんという方です。
彼の書いた「待賢門院璋子の生涯 椒庭秘抄」という本に、璋子さんのことが詳しく書かれているそうです。
ところがこの本は研究書のような内容で、ちょいと難しそうなので、読むのを躊躇していたのですが、この本を元にして、渡辺淳一が「天上紅蓮(てんじょうぐれん)」という本を書いたことを知り、図書館で見つけてきて読んでみました。
渡辺淳一の小説では、二人の愛欲場面はまことにことこまかく、エロチックに描かれています。
そのへんのところはさすがに本領を発揮しているようだけれど、後半は同じ人が書いたとは思えないほどつまらなくなってきて、読み飛ばしてしまいました。
つまり璋子さんが何を考え、何を悩んでいたのかがよく分からないのです。
ひたすら御簾の陰での肉体関係ばかり。
あとは角田先生の研究のコピペばかりだという噂もありました。
せっかく小説家なら、もう少し想像を広げたり、お話を面白くしてもらいたかったですね。
ここで角田先生のことを紹介してみますが、ウィキペディアによれば角田先生は福島県のご出身とのこと。
そして京都帝国大学に進まれて、考古学を学ばれました。
ただしご専門は広範囲にわたり、平安時代の研究、ヨーロッパ・ユーラシアの考古学などまでにわたっていたそうです。
私が角田先生のお名前を知ったのは、2008年の源氏物語千年のときです。
源氏物語の舞台を地図上に再現した資料「京都 源氏物語地図」を拝見した時からです。
その資料は、当時、京都に住んでいて角田先生とお知り合いだったさとさんからいただいたもので、源氏物語の時代の空間を知るための、ほんとうに貴重な資料でした。
きっとご自分の足で歩いて、作り上げた資料だと思います。
その精神が、「待賢門院璋子の生涯 椒庭秘抄」にも発揮されているようで、たとえば璋子さんの月の障りがいつだったかを克明に調べて、排卵日を探し出して、そして生まれた子供はそのころに関係していた二人の男のどちらの種であるかを研究されていたようです。
すごい執着力ですね。
ただし惜しいことに、角田先生はその年の5月にお亡くなりになられました。
ちょいと難しそうですが、璋子さんがどんなふうに描かれているか、期待しています。
西行さんも璋子さんも、どちらも魅力的な人だっただろうな、と思いながら読んでいます。
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