2015年2月5日木曜日

2015 冬の京都 8 ~千總460年の歴史~

京都旅行記の間が空いてしまいましたが、もう少し続きがあります。

今回の旅行では、琳派の作品を鑑賞することのほかに、もう一つ目的がありました。

それは京都文化博物館▼で開かれている企画展「千總460年の歴史」のギャラリートークに参加することでした。

「千總」▼は三条に「千總ギャラリー」というオープンギャラリーがあり、これまで何回かお邪魔していますが、今回は創業460年を記念して、近くにある京都文化博物館で展示もあるというので、是非とも行きたいと思っていました。

まずはギャラリーの方へ。


こちらは1階は伊右衛門サロン▼として賑わっています。
そこの2階に売店とギャラリーがあります。
反対側はホテルです。

ギャラリーには、いつもは千總の素晴らしい着物が展示されているのですが、今回は12代總左衛門さんの刺繍作品が展示されていました。
元になった絵画と、それを刺繍したものが並べられていましたが、見事なものでした。

 そして今度は文化博物館へ。

こちらで学芸員の方から千總のお話を伺いましたが、これがとても面白くてためになりました。

「千總460年の歴史」▼というギャラリートークでした。


千總は応仁の乱の後、室町三条でお店を開いたという老舗です。

学芸員のお話ではいろいろな発見がありましたが、その一つは、千總というのは昔から着物屋さんであったわけではないということでした。

元々は奈良で神社で使う「千切(ちきり)」という花瓶の下に敷くものを作っていたところでした。
それで「ちきり」を作っていた惣左衛門というので、「ちそう」という屋号になったというお話には驚きました。(初代とはお名前の字が違っていたようです。)

その後、お坊さんが着る法衣を取り扱うようになったそうです。
主に東本願寺のお坊さんが着る高級なものだったそうで、その法衣も展示されていました。

そして江戸時代中期ころから友禅染を扱うようになったとのことでした。

商売の対象をいろいろと変えていたのは、驚きでした。

「千總」の意外なことのもう一つは、家訓でした。

普通、家業を継ぐのはその家の長男ということになっていて、どんな愚鈍な人であっても、長男であるということだけで、次の家長となるのですが、千總は違っていました。
つまり長男がダメ人間だったときは、そこの番頭さんとか、あるいは親戚から養子として連れてきた人などに家業を任せたのです。
それが460年続いた秘訣だったそうです。

そしていろいろ商売の対象を変えてきたというのは、やはり時代を見抜く目を持っていたのでしょうね。

江戸から明治に変わったとき、お寺さんが廃仏毀釈によって下火になり、また京都にいた皇族や公家もいなくなった時、千總は対象を変えたのだろうと思います。
つまり仏法界や貴族だけではなく、一般の(といっても庶民ではありませんが)人が着る着物に目を付けたのでしょう。
その後は明治、大正時代にかけてどんどんと発展していったそうです。

特に、漢学者の息子だった直篤という人が、千總の養子となって十二代西村總左衛門となり、彼は新しいビロード友禅などの技術によって新境地を開き、海外博覧会にもたくさん出品して、千總の発展に貢献したそうです。

19世紀から20世紀にかけては、世界が狭くなってきたので、千總の海外の博覧会に出展するという商売の仕方は、効果的だったのでしょう。

ギャラリートークにはかなり大勢の方が参加していて、みなさん、熱心にお話を聞いていました。
とても貴重なお話で、これが京都旅行中に、無料で聞けたのはとてもラッキーでした。


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