いろいろと見どころはあるようですが、その後に姫路城見学も待っているので、あまりあちこち行かずに、メインスポットだけを廻ってきました。
私は「大石神社」に行きたいと思っていたのですが、赤穂の町のタクシーの運転手さんに言わせると「あそこはたかだか100年前に作られたところで、たいしたことないよ」ということでした。
でも、赤穂まで来たからには大石内蔵助の住居跡は見てみたいですよね。
まずは赤穂藩のお城跡です。
真っ青な空に白いお城がくっきりと美しく立っていました。
こちらは、大手門に繋がる太鼓橋です。
お次は、お城と隣接している大石内蔵助の住居跡。
長屋門です。
立派な門構えでした。
この日はとても日差しが強くて、雨晴れ兼用の折りたたみ傘が役に立ちました。
大石神社は、討ち入り後に切腹した赤穂四十七士を弔うために、大正元年に大石内蔵助の屋敷跡に建立されました。
ですから100年くらいしか経っていないわけです。
境内には四十七士の石像も立っていました。
石像を写す仕立士さん。
こちらは、本殿をお参りした仕立士さん。
どういうわけか彼女の写真が多いですね。
何をお祈りしたのでしょうか?
境内では、みんなで九星の運勢占いを見て、わーわーきゃーきゃーと賑やかなものでした。
神社ではそれぞれお守りなどを買いました。
私は母のお土産に「健康長寿」のお守りを買いました。
もう十分、長寿なのですが。
大石邸には美しい庭園があり、そこには「子宝祈願」の石もあるということでしたが、もう子供には縁のない人が多かったので、そちらは行きませんでした。
こちらの写真の後方に見えるのは「息継ぎ井戸」。
浅野内匠頭が殿中で刃傷事件を起こし、その事件の第一報を伝えるために、江戸から赤穂まで早籠で4日昼夜走り続けた使者が、この井戸の水を飲んで一息ついたと言われるところです。
手前は、からくり時計で、1時間ごとに忠臣蔵のダイジェストが見られるそうです。
お城や神社を見物した後は、「忠臣蔵問屋わたや」というお店でお買い物。
こちらのお店の商品は、すべて忠臣蔵がらみで、シャツも鉛筆もノートも書籍も絵葉書も何から何まで忠臣蔵グッズばかりがぎっしりと埋まっていて、すごいお店でした。
みなさん、にこやかですね。
その後、姫路まで電車で移動するのですが、電車がめったに来ないので、駅の近くの喫茶店でおしゃべりをして時間をつぶしました。
私たちは、着物姿で大きな荷物を持ち、ぞろぞろと歩いていたのでかなり人目についたようです。
赤穂の方はみなさんフレンドリーなので、いろいろと話しかけられました。
それで私たちは「売れない演歌歌手の地方巡業ご一行」ということにして、周りの人を煙に巻いたのでした。
(この項、続きます)