ようやく2日目のメイン訪問地となりました。
「会津武家屋敷」▼です。
ちょうど菊祭りの開催中でした。
菊の花を見ることが事前にいただいた日程表で分かっていたので、菊の模様の羽織を着て行きました。
お天気も良くてラッキーでした。
このお屋敷は会津藩の代々家老であった西郷家のお屋敷です。
とても広くて、敷地は2400坪、建築面積は280坪、部屋数は38あるそうです。
屋敷は御成り御殿(殿さまが通される部屋)、家臣の部屋、家族の部屋、女中や使用人などの部屋に分かれていました。
こちらは玄関に当たります。
偉い人はここから入りました。
いろいろなお部屋を見ましたが、こちらは家族のお部屋。
奥方と子供たちがいました。
奥方のためには専用の化粧の間もありました。
屋敷のいたるところに菊の展示がありました。
あちこちに良い香りが漂っていました。
西郷頼母(さいごうたも)という人は会津藩の最後の家老に当たり、9代目藩主・松平容保に仕えました。
ところが藩主の考えに反対したため、容保からは家老職を解かれて、蟄居の身となりました。
その後、明治維新後は数奇な運命をたどり、各地を転々として、明治36年まで生きたそうです。
こちらはお屋敷の隣にあった資料館。
最初の保科正之から松平容保まで、会津の殿様がずらりと並んでいました。
会津というと明治維新の頃は逆賊ということになりますが、松平容保の孫にあたる勢津子さんが大正天皇の息子である秩父宮に嫁いで秩父宮妃となったことは、会津の人たちにとっては感激だったそうです。
歴史資料館はゆっくりと見たかったのですが、時間が限られていて残念でした。
こちらは「姿三四郎」のモデルとなった西郷四郎という人が背負い投げ(?)をしているところです。
この人は元は志田四郎と言いましたが、西郷家の養子となって講道館柔道で活躍し、大技山嵐をあみだし、有名になった人です。
会津の人だったとは知りませんでした。
お蕎麦やわっぱめしがありました。
団体用の料理というとあまりおいしくないことが多いのですが、これはお味も良くておいしかったです。
この後は、最後の訪問地となる酒蔵へと行きました。
(この項、続きます)
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