2016年1月の冬の寒い日に出かけた法隆寺▼ですが、その敷地のすぐ裏手に中宮寺があります。
ここには半跏思惟像の観音様がいらっしゃるというので、どうしても行ってみたいところでした。
中宮寺は、聖徳太子の母上の願いにより、太子の宮居斑鳩宮を真ん中に挟み、西の法隆寺と対照的な位置に建てられたお寺です。
境内には「もちの木」という赤い実がなっていました。
中宮寺は、その後、平安時代になると衰退してしまったそうですが、鎌倉時代に尼僧の手により再興され、そしてその後、戦国時代には後伏見天皇の皇孫尊智女王によって尼寺としてよみがえったのだとか。
女性に縁の深いお寺のようです。
そして受付にはこのような文字が書かれていました。
「貴方の喜しいこと
楽しいこと
哀しいこと
辛いこと
すべてを受けとめて下さいます
ごゆっくりお参り下さいませ」
すてきな言葉ですね。
さいわい、私にはそれほど哀しいことも辛いこともなかったので、喜しいこと、楽しいことがある状態の幸せを感謝しようと思い、中へ入っていきました。
仏像はこちらの建物の中にいらっしゃいました。
この建物は高松宮妃殿下の発願により昭和43年に建てられたそうです。
周囲が池になっていて、その中に建っていました。
シンプルですてきな建物でした。
仏像の正式名は「本尊菩薩半跏像(如意輪観世音菩薩)」というそうで、国宝です。
お顔の優しさは、「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として高く評価されているそうです。
パンフレットによれば、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれているそうです。
右足を左ひざにかけて、右手を頬に触れている優雅なお姿でした。
また日本最古の刺繍である「天寿国曼荼羅繍帳」のレプリカもありました。
(実物は奈良国立博物館にあります。)
こちらのパンフレットの右側に見えるのが、その刺繍です。
聖徳太子は48歳で亡くなりましたが、それを悲しんだ奥様が宮中の下女たちに理想郷の様子を刺繍にさせたものだそうです。
中宮寺は、尼寺だけあって、参拝者も女性ばかりでした。
仏像とゆっくり対話をしているような方もいらっしゃいました。
ほんとに優しいお顔をしていて、どんな悩みも受け止めて下さるような方でした。
私もしばし座敷に座り、ゆっくりとしたひとときを過ごしました。
そしてまた広大な敷地を歩いて、法隆寺の入り口のほうまで戻りました。
バスが来るまでちょっと時間があったので、観光センターの方に、顔出し写真を写してもらいました。
幼児対象のようで、顔を出すところがあまりにも低くて、小さいですよね。
聖徳太子のお付きのように見えますでしょうか?
法隆寺駅では、せんとくんも待っていてくれましたよ。
(この項、続きます。)
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