2016年7月26日火曜日

諸田玲子 「ともえ」

久しぶりの読書案内は「ともえ」です。


「ともえ」といえば、「巴御前」を思い出しますね。
「日本のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれた女性です。

そう、この小説は巴御前にまつわる時代小説です。

巴御前は木曽義仲の愛妾でしたが、義仲の眠る大津の義仲寺の隣には、巴塚があるということです。

そして義仲の大ファンだったという芭蕉が、この巴塚に登場して、智月という年配の尼さんと出会うことからこの物語は始まります。

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実は私は数年前、大津に出かけた時、散歩をしていたら、たまたまこの義仲寺を見つけました。



その時はまだ早朝だったので、お寺は開いていませんでした。

義仲寺に行ったときのブログ▼

このお寺に芭蕉の墓もあったのですが、その時はどうして江戸時代の俳人のお墓があるのかということについて、あまり深く考えませんでした。

でもこの小説を読むと、芭蕉が義仲にほれ込んでいたのがよく分かるのです。

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さて物語に戻りますが、ここで出会った芭蕉と尼さんですが、ふたりは義仲と巴御前の関係を間に置くことによって、男女の仲を超えた相思相愛関係になります。

お互いに尊敬しあい、愛し合うのですが、その時、芭蕉は50歳近く、そして尼さんは10歳も年上でした。

この二人がいつ男女の仲になるのかと、はらはらしながら読んでいきましたが、結局、プラトニックのままに終わりました。
病気の看病をしていて、同じふとんで寝てしまっても、それ以上にならなかったというのは、ちょっと気になりましたが。

二人は俳句の話をしたり、義仲と巴御前の話をするだけで、魂が繋がっていたのでしょう。
「老いらくの恋」と言っても良いと思います。

とはいえ、芭蕉といえば、当時は俳諧の世界では非常に有名人で、おまけに全国を旅していて、各地で歓迎されては俳句の指導をしていたので、尼さんのいる大津にはなかなか戻ってくることはできませんでした。

それでも「私の最後はあなたに面倒を見てもらいたい」という芭蕉の言葉だけを頼りに、尼さんは待ち続けていたのでした。

この尼さん、実は若い頃は宮中に使えていて、若き天皇の子供を身ごもったという秘密を持っている人でした。

そういう話や、巴御前が義仲が亡きあとは、源氏の中の敵方の武将の妻としても生きていたという話も織り込まれていて、さすがに諸田さんは女性の描き方がうまく、ワクワクしながら読みました。

この小説では、義仲や巴御前が生きた時代と、江戸時代が交互に現れますが、読む上ではそれほど混乱はしません。
それは作者の力量によるものでしょう。

かなりロマンチックな物語なのですが、ひとつだけがっくりするのは、芭蕉は実は痔持ちだったということです。
痔があまりに痛くて、寝込んでしまうほどだったというのは、ラブストーリーとしてはちょっと、という気がしましたが、きっと事実なのでしょうね。

なんとなく、おじさんというかおじいさんのイメージが強かった芭蕉ですが、こういう側面もあったと思うと、結構面白い人だったのか、と思います。

旅する歌人という意味では、西行さんはハンサムで非常に色っぽいムードがある方ですが、芭蕉さんも、きっとときめきのある人だったのでしょうね。

巴御前や芭蕉などの歴史上の人物に対して、どんどんと興味が湧いてきた小説でした。
そして叶うことなら、大津の義仲寺にもう一度行ってみたいと思いました。

諸田さんの小説の中では、ベスト5に入るのではないでしょうか。






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