下の地図は見づらいかもしれませんが、左の中央あたりが船の着く元町港です。
外側をぐるっと道路が通っています。
中央の茶色いところが三原山ですね。薄い部分は砂漠のようになっています。
前回の「その1」▼では、主に大島の自然について書いてみましたが、今回は、ちょっと文化的側面から書いてみようと思います。
こちらは島の南側にある波浮の港地域です。
狭い路地を入って、「踊子の里」という古い建物に行ってみました。
ここは、川端康成の小説「伊豆の踊り子」の舞台となった場所だそうです。
そのモデルとなった旅芸人の一座は、大島で生活している間は、このあたりの旅館で演芸を披露していたそうです。
それで「踊子の里」というのですね。
そして、こちらの甚之丸邸の客の接待に呼ばれたりしたそうです。
明治時代の網元のお屋敷でした。
かなり立派な建物でしたよ。
石造りの2階建で外壁はなまこ壁になっていました。
こういう木が生えているのを見ると、南国らしいですね。
お庭には、ツツジの花がもう咲いていました。
この辺りはくねくねとした坂道になっています。
昔は情緒漂うところだったでしょうが、今はコンクリートで固められて、おまけに階段は赤く着色されていました。
こちらは波浮の港。
波浮港はかつては遠洋漁業の中心基地だったそうです。
ここではゆっくりと時間が取れたので、みんなでのんびりとしました。
というか、お店などはまるでなくて、ボーっとする以外にありませんでした。
一軒だけ小さなコロッケ屋さんがあり、食べた人に聞いてみたら、おいしいということでした。
「波浮の港」の歌碑がありましたが、今の若い人には、この歌はほとんど知られていないのではないかしら?
ちなみに作詞は野口雨情、作曲は中山晋平です。
こちらは「波浮の港」の曲を奏でるもの。
ポールを右側から順番に叩いて行くと、波浮の港の音が聞こえてきました。
船を背にして、はいポーズ。
漁業市場もありましたが、このあたりではアワビやイセエビ、サザエなどが取れるようです。
昔の文学者は大島にはよく訪れていたようで、歌碑などがたくさん立っていました。
これは幸田露伴ですが、他にも与謝野晶子、林芙美子や巌谷小波などもありました。
そのころの船は、時間がかかったのだろうなと思いました。
お昼ご飯は、明日葉やエビの天ぷら、明日葉入りのお蕎麦が付いてきました。
魚はさざえのつぼ焼きと、ちょっと小ぶりの太刀魚。
大島はどこにいっても椿のマークが使われていたのが印象的でした。
そうそう、大島は快晴でしたが、意外と気温は低くて、ひんやりとしていました。
東京の方が暑いかもしれませんね。
この日は、着物嫌いの夫と一緒だったので、私はジーパンでした。
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