実は今回、車の運転をしていただいたSさんは埼玉県民なのですが、お子さんが小さい頃は、この古墳の近くでよく凧揚げをして遊んでいた思い出があるそうです。
この辺りはのどかな平野に、あちこちにこんもりとして小山が見えましたが、それが古墳だったのですね。
こちらは「二子山古墳」です。
古墳だと言われないと、ちょっと気づかないほど、平和な風景でした。
まずは古墳の中が見渡せるという「将軍山古墳展示館」▼に行ってみました。
こちらの「将軍山古墳展示館」と、「さきたま史跡の博物館」は少し離れていますが、鑑賞券は1枚あると、両方の博物館の見学ができます。
横穴式石室からは、馬の道具や、はにわなどが発見されています。
2階の展示室には、偉い方(?)の亡骸や、はにわなどが置かれていました。
こちらは、そういう地位の方の生前の様子ですね。
当時の馬具はとても立派なもので、ちょっと驚きました。
また私が見たかった石田三成が忍城を水攻めにした際の拠点は、こちらの丸墓山古墳だったそうです。
丸い形としては、日本最大の大きさの古墳だそうです。
(写真はウィキペディアより拝借しました)
当時はまだここが古墳であるということは分からなかったとは思いますが、「丸墓山」と呼んでいたので、三成たちも、お墓のようだ、という認識はあったようです。
もう少し離れたところの「さきたま史跡の博物館」▼に移動しました。
ここは市民が憩う公園になっていて、シニアたちの姿も多くみられました。
緑の並木道がきれいなところでした。
さきたま古墳公園は、こちらのホームページ▼をご覧いただくと分かりますが、広い範囲に古墳が点在しています。
このように上空から見ると、古墳だということが分かりますね。
教科書で習った形をしています。
こちらには、稲佐山古墳からの出土品のはにわなどが展示されていました。
ここには「国宝」▼がありました。剣です。
正式な名称は「金錯銘鉄剣」というそうです。
ちなみに刀と剣との違いは、刀は片刃だけ、剣は両刃ということだそうです。
ガラスのケースに収められていました。
剣の中央に浅い溝を掘り、その中に金を埋め込んだそうなので、文字がいまだにはっきりと読み取ることができました。
文字は全部で115文字あるそうです。
5世紀ごろのものと言われています。
ボランティアの方が説明をしてくれました。
さて、この後は忍城の中にある、郷土博物館へと向かいました。
そこは前回、行田市駅から歩いて行ったところですが、見つけるのは簡単でした。
(この項、続きます)
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