下の地図、ちょっと見づらくてすいません。
赤い線が、今回私たちが歩くコースです。
中央線の荻窪駅の北側を通り、阿佐ヶ谷まで行く予定です。
さて、都立六本木高校から荻窪まで着いた私たちは、雨の中、青梅街道を歩き出しました。
この辺りは、私もかつては良く歩いた道ですが、周囲の風景はまるで違ってしまっていました。
こぎれいなお店が並んでいて、びっくり。
杉並公会堂もガラス張りのきれいな建物になっていました。
そして四面道の少し手前で、右側に折れました。
太宰治が昭和12年6月から13年9月まで住んでいた「鎌滝」という下宿の跡を見つけました。
朝から晩まで、彼の友人たちがいつもここに集まっていたそうです。
現在はこんな洒落たアパートになっていました。
この近くには井伏鱒二が住んでいた家が残っていました。
昭和2年から平成5年に亡くなるまで、ここに住んでいたそうです。
そこは清水町にあたるので、井伏鱒二は「清水町の先生」と呼ばれたそうです。
現在は、親戚の方が住んでいるようでした。
この近くには天沼教会▼があります。
井伏鱒二はこの教会で密葬されました。
ここの隣にはキリスト教の理念に基づいた東京衛生病院▼があります。
井伏鱒二の奥さんは、こちらの病院に入院していました。
この辺りは教会通りと呼ばれていて、太宰治や徳川夢声なども住んでいたそうです。
もう少し歩くと、天沼八幡神社がありました。
ここは井伏鱒二の散歩道コースだったようです。
この近くには天沼弁天池公園がありますが、ここはもともとは八幡神社の敷地だったそうです。
かつては池があったそうですが、現在は枯渇してしまっています。
この「弁天池」が「天沼」の名前の由来とされているのだとか。
現在は、杉並区郷土博物館が併設されています。
この辺りは完全な住宅街ですが、時々面白いものが残っていました。
これはなんだったか、忘れてしまいましたが、この隣には「東京市」と彫られた石碑も立っていました。
近くには上林暁という小説家の家もありました。
現在はかなり古くなっていて、蔦の絡まる家でした。
アーケードの中を歩きます。
西荻窪の雰囲気と似ていますね。
こちらは現在はイトーヨーカ堂がありますが、かつては「ピノチオ」という中華料理屋さんがあり、井伏鱒二を初めとして、文学者たちが多く集ったところだったそうです。
昭和31年まで営業されていたそうですが、今は跡形もありません。
終点が見えてきました。
阿佐ヶ谷駅は、土日は快速が止まらず、ちょっと不便な駅です。
私は阿佐ヶ谷というと、南口のパールセンターの七夕を思い出しますが、北口も面白いところでした。
案内していただいた六本木高校の先生たちに感謝いたします。
この日は雨降りでしたので、さすがに着物はやめて、こんな格好で歩きました。
次回は林芙美子の家がある中井を散策予定です。
その時は晴れてほしいですね。
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