2018年1月31日水曜日

母の誕生日

先日は、母の誕生日でした。
94歳になりました。


母が生まれたのは、関東大震災が起きた翌年の1924年(大正13年)1月です。
ということは、大震災が起きたときには、母は祖母のお腹の中にいたわけです。
当時は銀座の近くの京橋に住んでいたので、震災をほぼ直撃した場所だったと思います。
母にはその上に姉たちが二人いたので、祖母はその小さな娘たちと、妊娠中のお腹をかかえて震災を乗り切ったのでしょうか。
すでにみんなあの世にいってしまったし、母は記憶がまるでないので、事実を確かめることはできませんが。


その後、1936年(昭和11年)、母が12才の2月26日には2.26事件がありました。
渋谷の女学校から京橋まで帰宅したその日は、大雪で大変だった、よく分からないけれど事件を身近に感じた、と話していてくれたことがありました。

大正末期から昭和へ、戦前から戦中そして戦後、その後の平成と生きてきたわけです。


日本女性の平均年齢はだいたい87歳くらいなので、もう十分生きたことになりますが、それでもまだまだ長寿の方がいらっしゃいます。

あと1年ちょっとすると、新しい年号になります。
新しい年号が始まる時を迎えることができるでしょうか。


2018年1月30日火曜日

第8回ひなの会 2018年正月

少し前のことになりますが、「ひなの会」▼の演奏会を聞きに、紀尾井町小ホールまで出かけました。


こちらの会は、長唄三味線に携わっている若手の女流演奏家の流派を超えた集まりです。
私は「ひなの会」には、かなり前から聴きにでかけていました。
初めの頃は、メンバーの方が描いたイラストを、紙芝居のようにして曲の解説をしていて、三味線初心者には、とても親近感がありました。
演奏会場が立派になるにつれて、曲の解説も大きなスクリーンに映し出すようになったと思います。
今回は会場も格調の高いところで、曲の解説もナレーションのみになり、「ひな」というよりも、「めんどり」に変身したようで、優雅さも華やかさも、しっとり度もアップされた雰囲気での演奏会でした。

私は、昨年の1月から三味線のお稽古を再開した▼のですが、その先生が、ひなの会のメンバーの今藤政智先生なのです。

今藤政智先生の「ひなの会」についてのブログ▼

先生は、さまざまな年代のお弟子さん達の三味線指導の他、高校などの教育現場に出張して三味線の啓蒙活動をされたり、多くの演奏会活動をしていらっしゃるので、とてもお忙しい毎日だと思います。

それでも今回は、「三曲糸の調」という超難曲を披露してくださいました。
この曲は、江戸時代に作られた曲で、平家物語の「壇ノ浦」の話に出てくる、遊女阿古屋(あこや)が悲しみの中、琴、三味線、胡弓の3つの楽器を奏でる場面の曲、だそうです。
先生の演奏を聴いていると、遊女の切なさが伝わってくるようでした。
ため息がでるほど、素敵な演奏でしたよ。

私は長唄についてはあまり詳しくはありませんが、演奏の構成が良かったと思いました。
オープニングはお囃子も入って「操三番叟」、その次と3曲目は三味線と唄が二人ずつでじっくりと聴かせ、そして最後はまたお囃子も入って「紀州道成寺」で盛り上がりました。

この日は、着物友だちのKさんとご一緒したのですが、
「久しぶりに生演奏を聴くことができて、とても良かった」という感想をいただいたので、私としても鼻が高かった(?)です。

先生の演奏終了後、お疲れのところ、Kさんに先生との写真を撮ってもらいました。


美しい白い肌の先生に比べて、私のガングロが情けないのですが・・・・。

できの悪い弟子ですが、これからもよろしくご指導願います。

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この日の装い。

玉村咏先生の「白玉着物」です。
「色の魔術師」と呼ばれる染色家の先生の着物なので、とても美しい色です。


この日は、どうも締まりのない顔をしていますね。

背景は、会場のロビーに飾ってあった龍村光峯さんの錦織。
やはりバックがよいと、オシャレに見えますね。




2018年1月29日月曜日

京都 2018年1月 1 ~ラッキーな旅~

京都は冬によく出かけています。

冬の季節に京都に行くと、雪が降ったり、小雨で肌寒かったこともありましたが、今回は本当にラッキーなことに、暖かくてお天気も良く、とても楽に過ごせました。
こちらの京都タワーは、夏のお天気のようでしょ?


今回は新幹線往復+ホテル代がセットになった切符を利用しましたが、こんな特典が付いていて、かなりお得な内容の切符でした。

その1:「明治維新150年記念 冬の非公開文化財特別公開」1か所無料。
その2:京都駅⇔ホテルの荷物無料配送(手ぶらで旅行サービス、片道のみ)
その3:女性客には、和小物プレゼント
     (選択肢は多数ありましたが、和紙のコースターをいただいてきました。)


初めて出かけた伏見の町歩きも面白く、寺田屋では幕末の歴史に触れることもできました。


また奈良県在住のさとさんが、お忙しいのにも関わらず伏見まで来て下さり、伏見の酒蔵見学をご一緒できたのも、ラッキーでした。


そして京都のお洒落な着物屋さん「kaonn」のお店に再訪問して、香里さんにお会いできたのも、ラッキーでした。


一度は行ってみたかった東山にある「いもぼう」のお芋もおいしかったです。


1泊だけの京都でしたが、収穫のあったお得な旅でした。




2018年1月28日日曜日

伝統文化交流会 ~和の出会い~

私はどちらかというと、お誘いを受けると、あまり深く考えずにホイホイと乗ってしまうことが多々あります。
それでもその世界を覗いて見ると意外と楽しかったりすることがあるので、よほどのことでない限り、お誘いしていただいた場合は、わが身を顧みることなく、参加してしまうタイプです。
もちろん、すごく恥をかくこともありますし、自分ができないことに対して情けなくなることも多いのですが、何事も体験と思って楽しませていただいています。

今回は、三味線のお稽古を一緒にしているMさんからのお誘いがあり、市の「伝統文化交流会」というイベントで、ちょいと日本舞踊らしきものを踊ることになりました。


同じ踊りとはいっても、エアロビックダンスやズンバなら、長年やっているので、年の割にはなんとかサマになると思うのですが、日本舞踊は振りもなかなか身につきません。

このイベントは「和の出会い」というサブタイトルですが、去年は「智の会」のみなさまと、長唄三味線をほんのちょっぴり弾かせていただきました。

今年も生田流の箏曲、篠笛、尺八、和太鼓そして日本舞踊が発表されます。
私は踊りはまるで初心者なので、みなさんが踊る前座として、数人で「元禄花見踊り」を踊るだけですが。

こちらは、研修生として日本舞踊のお稽古に励むMさんです。
男踊りをされますが、さすがにポーズが決まっていますね。
お一人で舞台に立たれるのです。すごいな~。


私はお稽古をしていても、どちらの足を出したらよいのか、と考えているうちに次の振りになってしまっていて、焦ってばかり。

それでも皆さんと一緒に輪になって踊るのは、楽しいものです。
寒い日でしたが、けっこう汗をかきました。

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この日の装い。

世田谷ボロ市で見つけた着物です。


ボロ市の割には表も裏もきれいで、寸法がぴったり。
それで2000円だったので、即購入しました。

帯は、たんすやさんのクーポン券を利用して、ほとんどただで買ったモノ。
帯揚げは、着物友だちのSさんから譲っていただいたモノ。

帯締めは、去年、京都の大塚呉服店で購入。
これだけは新品です!


2018年1月27日土曜日

3泊4日九州旅行 15 ~梅ヶ枝餅~

2017年末の九州横断の旅も、ようやく終わりに近づいてきました。

太宰府天満宮を参拝した後は、以前、2010年に行ったとき、とても印象の良かったお店にまた行ってみました。
それは梅ヶ枝餅のお店です。
こちら▼が当時のブログです。

大宰府で有名なお菓子は梅ヶ枝餅ですね。
それは前日のブログにも書いたように、いわれのない罪で大宰府に左遷されてしまった菅原道真は食べるものもろくになかったそうです。そのことを可哀想に思った老婆が、梅の枝に栗餅を巻き付けて、道真に差し入れたのが、始まりだとか。

太宰府天満宮の参道には、たくさんの梅ヶ枝餅のお店が並んでいます。
その中でも、有名な梅ヶ枝餅のお店が「かさの家」です。
ここは売店もあるのですが、ちょっと気づかないのですが、そのお隣に素敵な茶房があるのです。

風流を絵にかいたような、お部屋です。
お庭には石灯籠がありました。


私はコーヒー付きの梅ヶ枝餅を注文しましたが、お抹茶セットもありますよ。


お部屋にはいろいろなコレクションが飾られていました。

若冲の代表的な白い鳥の絵。
トサカがハート形なので、有名ですね。


「棟方志功」の名札が立っていましたが、どれが棟方志功の作品でしょう?


照明もとても凝っていました。
古伊万里のお皿も置かれていました。


今回の旅行では、あまり甘いものは食べなかったので、私は素敵な場所で梅ヶ枝餅が食べられて、満足でした。

そして大宰府の自由観光を終えて、また団体のバスに乗り、北九州空港まで行きました。

途中に見えた博多湾の景色はとても素敵でしたよ。
4日間、トラブルに巻き込まれることもなく、安全運転をしていただいた運転手さんには感謝です。


ところが、飛行場に着いたら、帰りの飛行機がまだ到着していない、ということでかなり長時間無駄な時間を過ごしました。
それでも無事に家に戻ることができました。

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長々と続いた旅行記ですが、ようやくエンドを迎えました。

いつも思うことですが、日本は国土が狭いと言われながらも、やはり広いと思います。
知らないところが、たくさんあります。
そしてそれぞれの土地で、人々にはそれぞれの生活があるということを痛感します。

ふだん東京に住んでいると、どうしても考え方やモノの見方が東京中心になってしまいがちです。東京で起きるニュースがすべてのように思ってしまうことがあります。
でも地方に行くと、のどかな田畑や、険しい山々、広い川、古い建物や手工業、見たことのない食べ物などがあり、そして当然、人々の生活もあるのです。
それらをテレビや雑誌などではなく、自分の肌で感じてこそ得るものは、とても大きいと思います。

2018年1月25日木曜日

3泊4日九州旅行 14 ~太宰府天満宮~

太宰府天満宮は、博多の近くにあり、菅原道真を祀ってあるところです。

ちなみに、天智天皇の時代に筑前国に設置された地方行政機関は「大宰府」と「大」の文字で表し、天満宮の方は「太宰府」と「太」の文字で表すようです。
知らなかったな。

菅原道真は、平安時代の貴族であり、学者として、政治家として優秀な人で右大臣にまでなりましたが、彼のことをおもしろく思わない人たちから大宰府に左遷され、そこで亡くなり、その後の天変地異は彼の祟りだと言われている人物です。

太宰府天満宮には、2010年に仕事で博多に行った時、翌日、足を伸ばしました。
その時は11月でしたので、それほど混んでいませんでした。
その時のブログ▼

今回は年末でもあり、また海外からのお客さんがすごく増えていて、混雑していました。
7年経つと、参道もすごく賑やかに変化しているように思いました。
こんなちょっと変わった造りのスタバもありましたよ。


ただし境内は変わっていませんでした。


お太鼓橋。
「心」の形に作られた心字池にかかる橋です。


本殿の手前に見える白いものは、初詣のお賽銭用の布でした。
お正月には700万人もの人が、こちらにお参りをするのだそうです。


こちらは、楼門と呼ばれる二重の屋根がある門です。


牛は天神さまとは縁が深いですね。
菅原道真は丑年だったそうです。
実は私も丑年生まれです。


こちらの牛は、私の地元にある天神さまの牛です。


お参りした後は、7年前に見つけて、とても印象の良かったお店に行ってみたのでした。


2018年1月24日水曜日

3泊4日九州旅行 13 ~長崎からまた佐賀へ~

2017年末に出かけた3泊4日の九州旅行ですが、ようやく最終日に辿り着きました。

この日は朝早く長崎のホテル(というか、旅館)を出発して、長崎平和公園に行きました。

前にここを訪問した時は、原爆が投下された頃を思い出させるような真夏の暑いギラギラしていた日でしたが、今回は年末のきりりとした寒さの空の日でした。


いろいろと感慨はありましたが、あまりに外国人観光客が多くて、みんな自撮りに夢中で、日本人としてはちょっと違和感を覚えました。
広島と長崎を混同して、「原爆ドームはどこにありますか?」と尋ねる日本人もいるそうです。
ここは、観光地ではない、ということを伝えるのは難しいかもしれませんね。
といいつつ、私も記念撮影してもらいましたが。


永井博士のおうちも、バスの中から見て素通りしてしまいました。
団体旅行なので、まぁ仕方ないのですが、少し心苦しい感じがしました。
浦上天主堂もきれいになっていて、ここが爆心地からほんのちょっとのところだった、という面影はありませんでした。

その後はまた佐賀県を通過して、最終目的地の大宰府のある福岡県に向かいました。
こちらのサービスエリアは名前は忘れてしまいましたが、とにかくお天気が良くて、空が真っ青でした。
でも寒かった!


ここは、吉野ヶ里遺跡が近くにあるところのようでした。
吉野ヶ里は佐賀県にあった、ということを忘れていました。


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この日の装いは、第1日目と同じ着物と帯ですが、帯は裏側面、帯揚げは色を変えてあります。
古い旅館だったので、古い人間が良く似合う?


第1日目はこんな感じでした。
こちらは自宅です。



2018年1月23日火曜日

「源氏物語を原文で読む会」2018年1月

今日は、去年の秋から参加させていただいている「源氏物語を原文で読む会」▼がありました。
私は4回目の参加でした。


今回で、この第二巻は終了しました。
いつも明快に解説をしていただいている真木野さん、どうもありがとうございます。

昨日の内容は、ごく簡単にいうと、主人公のモテ男・光源氏が、高貴な女性・尚侍の君と密会している現場に、その彼女の父親(右大臣)に踏み込まれてしまうという場面でした。
その父親とは政治的には反対の立場であるし、女性は東宮に嫁入りする予定だったという超スキャンダルです。
それでも光源氏は、ちょっとはバツが悪かったでしょうが、逃げも隠れもせず、ゆったりとしていたようです。
今だったら、週刊誌ネタにされるところですね。<賢木>

そして、かつて一度は関係した女性のことも忘れないで、ちゃんと義理を果たしていた、という場面が描かれていました。<花散里>

そんなお話でした。

原文で読んでいるので、はっきりとは理解できないこともありますが、平安時代の男女関係が想像できて面白いですね。

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この日の装い。

前日が大雪でしたので、もし滑って転んでも大丈夫なように、東レシルック着物にしました。


着物の余り布で作ってもらった鞄は、いろいろなものが入るので便利です。
写真では分からないかもしれませんが、上と下の部分には紺色の皮が使われています。
地元の着物仲間で知り合った方に、マイサイズで作っていただきました。

足元はブーツでした。





2018年1月22日月曜日

3泊4日九州旅行 12 ~佐賀から長崎~

福岡県の柳川で小舟で川下りをした後は、佐賀県に行きました。
この辺りは県境になっているところです。

筑後川にかかる鉄橋のところで小休憩。


この橋は、大型船が通るときには、真ん中の部分が上下するようになっています。
「昇開橋」というそうです。


橋の近くに、「ドロンパ」というお店がありました。
橋の駅の名前ですが、もともとはドロンパは、ムツゴロウの一種だとか。


お昼頃、団体バスは長崎に到着。

長崎は、これまでは暑い季節にばかり行っていたような記憶があります。
ところが、今回、初めて冬に行ってみて、長崎の寒さが身にしみました。
長崎市内は坂が多いので、上の方からビューンと冷たい風が吹いてきて、外にいると辛いくらいでした。

長崎市内は、自由行動でした。
ということで、市電を乗り継いで、定番の大浦天主堂とグラバー園に行きました。


大浦天主堂はちょうど修理中でしたので、カバーがかかっていて残念でした。
パンフレットの写真を載せておきます。


この教会は、日本のカトリック教会の歴史とは切っても切れない深いつながりのある教会です。

マリア様の立っている場所だけは、カバーがかかっていなかったので、撮影しました。


教会の聖堂内は撮影禁止でしたので、チケットを載せておきます。


江戸時代はキリスト教は禁止されていましたが、隠れキリシタンという人たちが存在ました。
その後、幕末に大浦天主堂が建設されました。
キリシタン信徒発見の記念碑。


浦上天主堂を抜けると、グラバー園に行く道に続きます。
グラバー園は、幕末に来日したスコットランド出身のグラバーさんの邸宅があるところです。
グラバーさんは、商人で、グラバー商会というのを作って、貿易業を営んでいましたが、それに加えて、日本の近代化を様々な面でサポートしていた人です。
伊藤博文、五代友厚などの援助をしたり、今のキリンビールの前身である会社を創立したりしました。
三菱財閥の岩崎家とも交流を深めて、三菱の相談役にもなったそうです。


グラバー園は、かつては「グラバー邸」と言われていましたが、経営者が変わったようで、なんだかハウステンボスの向こうを張ったような派手な感じになりましたね。
エレベーターはキラキラと輝いていて、ディズニーランド風?
なんだか不思議なキャラクターもいました。

ちょっと写真が良くないのですが、グラバーさんのお屋敷です。
世界遺産に登録されています。
異国情緒があるところでした。


グラバーさんご夫妻です。
奥様は日本人でした。


こちらは温室。


当時のパーティのレシピが再現されていましたが、とても豪華でしたよ。


グラバーさん以外のおうちも素敵でした。
リンガーさんという事業家もいましたが、長崎ちゃんぽんのリンガーハットはこの人と関係があるのかしら。


グラバー園は、若いカップル目当てのデートの場所となっているようです。
それでも海が見える景色は良いですね。


その後は、眼鏡橋へ。


この橋は、黙子如定禅師という唐のお坊さんが建てたという説明がありました。
この方です。


1634年に作られた、日本初のアーチ型の橋だということでした。


いったん、ホテルに到着しました。
玄関には、長崎くんちの象徴である蛇踊りの蛇が飾ってありました。


その後、ホテルに荷物を置いてからは、夜もまた自由行動でした。
夕食は、本当はお洒落なレストランにでも行きたかったのですが、とにかく寒いので、近場で過ごそうということになり、駅ビルの中にある中華料理屋さんに行きました。
こちらのことは、「食事編」▼に載せてあります。

そして駅ビルの中をブラブラとしました。
駅はクリスマスが過ぎていましたが、イルミネーションがきれいでしたよ。


翌朝は、平和記念公園→大宰府へというコースでした。