ある時、何の脈絡もなく、急に半世紀ほど前のことが蘇ってきました。
それは、かつぎ屋のおばさんのことです。
そのおばさんは、とても元気で、よく日に焼けていて、ガラガラ声の威勢の良い人でした。
千葉の夷隅郡というところから、週に何回か、大きな荷物を担いで、杉並区の我が家まで野菜を売りにやってきていました。
その人のことを、唐突に思い出してしまいました。
そのおばさんは、背中よりも高い葛籠のような箱を何段も背負い、その中には、野菜がぎっしりと詰まっていました。
家の近所には八百屋さんはありましたが、うちの母は「おばさんの野菜はおいしい」と言って、多少、高かったようですが、いつも野菜はそのおばさんから買っていました。
トマトは特に新鮮でおいしかったと、私もよく覚えています。
また酒を飲む父のおつまみは、いつも千葉の落花生でした。
そんなおばさんから、ある時、頼みごとがありました。
それはうちの家の同じ敷地には祖母が住んでいたのですが、祖父が亡くなり、祖母だけでは広すぎる家でしたので、空いている部屋を一部屋、貸してもらえないかということでした。
なんでもおばさんの姪が、東京の学校だか会社だかに通うので、杉並の家が便利だというのでした。
その後、どのような経緯があったのか知りませんが、しばらくすると、真っ赤なほっぺの若い女性が引越ししてきました。
そして祖母と一緒に、一軒の家に住むようになったのです。
その彼女が何年住んだのか、何という名前だったのか、私はまるで覚えていませんが、今思うと、うちの母や祖母は、よく引き受けたと思います。
一人で住んでいた祖母には、若い女性の存在は適度な刺激になったかもしれませんね。
家賃をいくらにしたのか、炊事や洗濯はどのようにしていたのか、当時、まだ子供だった私には無縁のことでしたので、何も気にしていませんでしたが、そんなことがありました。
その後、うちの近所にはトラックで野菜を売りに来る八百屋さんが登場しました。
その八百屋さんは毎日やってくるし、値段も安いので、かつぎ屋のおばさんの出番はなくなってしまったようです。
いつの間にか、そのおばさんの姪ごさんも、我が家からいなくなりました。
結婚されたのか、田舎に帰ったのか、私は知りません。
かつては房総半島の方から東京にやってくるかつぎ屋さんがたくさんいましたが、今ではそういう人の姿を見ることもなくなりましたね。
あのおばさんや姪ごさんは、今頃どうしているのでしょうか。
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