京都旅行記が中断していましたね。
今日は坂本龍馬の京の宿として有名な「寺田屋」のご紹介です。
ここは京都の伏見と大阪を行き来する「三十石船」の京都側の発着点にある、大きな船宿です。
当時は内陸を行くよりも、川を利用した交通網が発達していたようです。
物流の拠点だったのですね。
そして、ここは現在も旅館として使用されています。
一泊素泊まりで6,500円だそうです。
この近くには「竜馬通り」という商店街があり、賑やかな通りでした。
最近は、教科書から坂本竜馬が削除されるという話題がありましたが、彼は小説やテレビなどであまりに有名になってしまいましたね。
寺田屋は、龍馬が襲撃された場所でもあり、また薩摩藩士同士が斬り合った事件も有った場所です。
さて、寺田屋の中に入ってみました。
入場料は400円でした。
このお部屋が、龍馬さんが使っていた「梅ノ間」です。
この掛け軸は、龍馬の最期の絵となってしまいました。
いろいろな資料が、ぎっしりと飾られていました。
熱烈な龍馬ファンが多いのだろうと思いました。
お部屋は、こちら以外にもたくさんありましたよ。
龍馬さんが愛用していたピストル。
こちらは、龍馬の愛人のお龍さんが、彼が敵に襲われると思い、慌ててお風呂から飛び出して、裸のまま駆け上ったといわれる階段です。
階下にはそのお風呂もありました。
ここの宿の女将、お登勢さんという人は男勝りの女傑だったそうですが、こちらが彼女の部屋でした。ここにも資料がぎっしり。
建物の外には、龍馬さんの銅像も立っていました。
こちらは、寺田屋から少し歩いたところにある京阪電車の「中書島」駅です。
伏見の樽酒と、龍馬さんが並んでいました。
この町は、酒と龍馬で成り立っているようなところだと思いました。
私は実際のところ、坂本龍馬のことはよく分かりません。
幕末の有名人であることは確かですが、では、何をした人か? と言われると一言では語れない人物です。
以前、福井に行った時、彼はかの地にも足を運んでいたことを知り、びっくりしたことがありました。
生まれ故郷の土佐、帝のいた京、幕府の中心地江戸、龍馬さんはあちこち移動していますが、電車も電話もない時代に、どうやって情報を得て、どんな手段で移動していたのか、その資金はどこから出ていたのか、不思議なことが多いですね。
伏見の町は、大黒寺▼を見ても分かる通り、薩摩藩とも縁が深いところだと分かりました。
龍馬さんもきっと美味しい伏見のお酒を飲んでいたことでしょう。
なお寺田屋は、鳥羽伏見の戦いで焼けてしまい、現在ある建物は、その後に建て直されたものだそうです。
(この項、あと少しだけ続きます)
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