2018年4月10日火曜日

東北復興応援元気たび 4

南三陸で食事と見学をした後は、またバスに乗って、気仙沼の郊外にあるリアス・アーク美術館▼まで行きました。

この美術館は、なんといってもその外観が独特で、なんとも妙な形をしていました。


「東日本大震災の記録と津波の災害史」という展覧会をしていたので、それを見学しました。


ここで展示されているものは、震災の時に流されたりしたものばかりですが、「がれき」という言葉は使わずに、「被災物」と呼んでいました。
「被災者」に対する言葉ということでした。
その被災物は、家具、電気製品、乗り物、服、文房具、おもちゃなど、人間の生活に必要なありとあらゆるものが、そのまま展示されていました。
それらはひしゃげられてしまい、原型をとどめないものから、ほとんどキズがないものまで、ごちゃまぜになっていました。


また木材や鉄鋼なども多くあり、あたかも工事現場のような感じさえしました。
人間の手で作りだされたものですが、自然の力により破壊されてしまいました。


このように展示されていると、なんだか現代芸術のオブジェのように見えますが、これはすべて人間の生活に必要なものだったのです。
ギターや、動物のおもちゃなどは、さぞ愛用されていただろうと思われました。
これを失ってしまった人の、嘆きが聞こえてくるようでした。


こちらのリアス・アーク美術館は、東北・北海道エリアで、芸術や民族文化などを継続的に調査研究して、展示している美術館です。
気仙沼市と南三陸町が構成する広域行政事務所というところが運営しています。
奇妙な形の建物ですが、早稲田大学の先生が設計したもので、屋上にあるピンクの箱型のものは、子供を表しているのだとか。
私はどう見ても、観覧車の箱のようにしか思えませんでしたが。

展覧会を見た後は、気仙沼の港の方へ向かいました。
バスの車窓から見た、途中の様子です。
まだ工事をしていました。


気仙沼は震災当時は、石油タンクが破損して、石油が流出して、その石油に引火して、広い範囲が火の海になったそうです。この火は、約1週間も燃え続けたそうです。
気仙沼市の被災状況は、亡くなった方は1000人以上、行方不明200人以上、避難者は2万人以上だったそうです。

今は船も多く見られていて、一見したところ、復興は進んでいるようでしたが、実際のところは分かりません。
   

その後は気仙沼の海鮮市場へ。
この建物も津波に襲われて、そのラインが残されていました。


こちらはバスの中にいた「おのくん」。
ソックスで作られた手づくり人形です。
東松島市の仮設住宅に住んでいた女性たちが、作ったものです。


バスは気仙沼から一関に到着しました。
駅にはピカチュウがいました。


こういうものを見ると、なんとなくホッとしました。
そしてここから新幹線に乗って、東京へと戻ったのでした。

南三陸と気仙沼にいた時間はほんの数時間でしたが、ここで見た風景のことは忘れられないと思います。
また仮設住宅もまだ残っていました。

この地域は、大昔から津波には何回か被害があったところでした。
言い伝えがあったために、被害が少なかったという地域もあったようです。
これまで経験したことを、後世の人に伝えていくことが大切だと思いました。

(この項、おしまいです)

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