仙台からJRバスで南三陸へ向かいました。
ガイドさんの説明によると、震災の時、津波は高速道路の間際まで押し寄せたそうです。
道路の上に逃げようとする人が多かったそうですが、その頃は簡単に登れる構造ではありませんでした。
その教訓から、現在では高速道路には階段をつけて、上に逃げられるようにしてあるそうです。
南三陸ではまず「さんさん商店街」▼に行きました。
ここは2012年2月に仮設商店街としてオープンしました。
その後、震災から5年後の、2017年3月に本オープンしたところです。
お店は全部で30軒くらいありました。
ここでは1時間の自由時間がありました。
まずは、こちらのお店でランチをいただきました。
海の幸が、盛りだくさんでした。
いくらがおいしかったです。
その後、こちらの写真屋さんで、「南三陸の記憶」という写真展を見ました。
佐藤信一さんは、南三陸で写真館をしていましたが、震災でお店も自宅もすべて失われた方です。
震災直後から、町が復興していく様子を、リアルタイムで写していました。
全てのものが破壊され、泥にまみれて、流れていく様子が映し出されていました。
震災のことはテレビや新聞で見ていて、その様子は分かっているつもりでしたが、実際に目の前で起きた現象を写し取った映像は、ものすごく迫力があり、言葉にならないほどでした。
若い学生たちがたくさん見学に来ていたのが印象的でした。
ここで得た感想を、多くの人に伝えてもらいたいものだと思いました。
南三陸は、たこが有名だそうです。
ということで、蛸の前で記念撮影。
この日(4月1日)は東京では桜が咲いていましたが、南三陸はかなり寒くて、12度くらいだったでしょうか。
洗濯をしようと思っていたコートを持っていき、助かりました。
また南三陸は、1960年のチリ地震の際の津波でも多くの人が亡くなったところだそうです。
私もこの時の津波のことは、子供ながらによく覚えています。
そんな関係で、ここには、チリ人の作ったモアイ像がありました。
ところがそのモアイ像は、今回の震災で流れてしまいました。
それで新たに、チリのイースター島の石を使ったモアイ像が、寄贈されたのです。
このモアイ像には目がありますが、このようなモアイ像は世界でも二つしかないそうです。
それはこの像を作った方が、来日して、直接、目を入れたのだそうです。
モアイとはイースター島の言葉では「未来に生きる」という意味だそうです。
日本とチリのきづなとなるよう、この像が見守っている、ということです。
(この項、続きます)
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