2018年5月2日水曜日

「源氏物語の時代」

最近読んだ本の中では、山本淳子さんという京大の先生が書かれた「源氏物語の時代」が面白かったので、ちょっとご紹介します。


サブタイトルが「一条天皇と后たちのものがたり」とあるように、今から千年ほど前に実在した第66代天皇・一条天皇と、彼の后だった定子(藤原道長にとっては姪)、そしてもう一人の后の彰子(道長の娘)の3人を中心にした平安時代の解説書です。

元になっているのは当時の貴族たちの日記や、定子に仕えた女房・清少納言の「枕草子」、彰子に仕えた女房・紫式部の「紫式部日記」、道長の「御堂関白記」、そして数多くの研究論文です。
それらを読み比べ、読み返して、そしてこの解説書ができあがりました。

平安時代については、高校の日本史の時間や古典の時間に学んだはずですが、一条天皇についてはほとんど触れられたことはなかったと思います。
しかしこの本を読むと、彼の存在の重要性が良く分かってきます。

一条天皇は、政治面でもいろいろと役割を果たしましたが、女性関係についていえば、定子のことはとても愛していました。
定子は美貌も才能も飛び抜けていて、また頭脳も明晰で、ウイットもある女性だったようです。そんな彼女に一条は純愛一筋でした。
定子が実家のごたごたに際して出家してしまった後も、妻として扱ったくらいです。
ところがその定子は、女の子を産んだ直後に、亡くなってしまいます。
一条天皇の悲しみはとても深いものでした。

その一方で、道長の娘であり、定子とは従妹関係にある彰子は、初潮を迎えてすぐ、14歳で一条の后となりました。
彼女は、夫の一条がいまだに前妻を愛していることを知っていたのでしょうね。
自分の子供がなかなか生まれない中、定子の産んだ男子を自分のところで育てるのでした。
もちろんそれは愛情だけでなく、政治的打算(後の天皇となる可能性もある)もあったでしょうが、なかなかできるものではありませんね。
その後、ようやく8年後に一条との間に男子が生まれました。
結局、この男子が天皇となり、道長は祖父として力を発揮するようになりました。
その後、彰子は自分の孫たちも天皇となり、なんと87歳という高齢まで生きたそうです。
当時にしてみれば、すごい長命で、若くして亡くなった定子の分まで生きていたようです。

夫には愛されても、若くして亡くなって、息子を天皇にすることはできなかった定子、反対に夫が亡くなった後も長生きして、孫たちの栄光まで見ることができた彰子。
二人の女性の違いが浮き彫りにされています。

こういう人間関係があってこそ、紫式部の源氏物語が作られた、というような解説でした。
また皇位や政権をめぐる血族間の闘争や、権謀術数のエピソードも数多く紹介されています。

この頃の出来事は、天皇や貴族階級の人たちのことだけしか分かりませんが、それでも日本には、数多くの記録(文字)が残されているのは、素晴らしいことだと思います。

こういう事実を知っていたら、枕草子や源氏物語を読むときも、もっと面白く読むことができただろうと思います。
なかなか、ワクワクしながら、読むことができました。

「源氏物語の時代」は、サントリー学芸賞を受賞されています。


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