松阪では、いろいろな発見がありました。
その一つが本居宣長(1730~1801)のことです。
本居宣長については、日本史の時間にちょこっと習いましたが、「国学者」であり、古事記を研究した人、という程度のことしか知りませんでした。
どこの出身である、ということは学校の授業では学びませんよね。
(写真はウィキペディアより拝借しました)
この人は松阪の木綿商の生まれで、本業は医者だったそうです。
彼は家業を継がなくてはならなかったのですが、商売には関心がなく、学問好きの彼は、医学の道に進んだそうです。
その後、京都で5年間、神社仏閣などの研究を始め、和歌や神道の研究もするようになったのだとか。
そして松阪に戻った彼は、昼間は医者として患者を診て、夜は2階の「鈴屋(すずのや)」という屋根裏部屋の書斎で勉強をしたり、弟子たちに授業をしていたそうです。
へー、知らなかったな。
本業の他に、別の分野でも一流、という人には興味がありますね。
「鈴屋」という名前は、柱に鈴が掛けられていて、勉強に疲れた時にはその鈴を鳴らして、リフレッシュしていたことに由来するのだそうです。
どんな音がしたのでしょうね。
チリンチリン・・・。
そして、その狭い4畳半で35年の歳月をかけて、「古事記伝」を完成させたのだそうです。
また弟子たちに、「源氏物語」や「伊勢物語」の解釈もしたそうです。
彼の師は賀茂真淵(1697~1769)ということですが、この人は浜松出身で、浜松には賀茂真淵記念館▼があるそうです。
でも、浜松に行った時は全然、気づかなかったですね。
残念でした。
ところで国学というのは、日本独自の文化や思想を、日本の古典や古代史に見出すという学問ですが、本居宣長は、京都での遊学体験が影響しているのだとか。
現在は1階部分しか公開されていませんが、かなり立派な広いおうちでした。
そこには行燈しかなくて、夜はかなり暗かったのだろうと想像できます。
現在は電気スタンドが周囲を照らしていました。
こちらは座敷の外にある庭。
宣長さんも、お勉強に疲れたときには、このお庭を眺めて、ゆったりとしていたのかしらね。
この家は元は別の場所にあったそうですが、今は松阪城の中に移されています。
国の特別史跡指定です。
「ようこそ宣長ワールド」▼というサイトが面白いのでご紹介します。
(この項、続きます)
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