私が参加したことのある「野の花めぐり」を主宰されている先生は、牧野富太郎先生のお弟子さんだったそうです。
その関係で、「野の花巡り」に一緒に参加したカンカンが、以前、牧野富太郎記念庭園に行った▼ことを記事にしていたので、私も行ってみました。
牧野博士は高知県で生まれ、植物研究を追及され、文化勲章も受賞された方です。その牧野先生が、晩年、終の棲家として選んだのが、練馬区大泉学園でした。
西武池袋線の大泉学園は下車したのは初めてでした。
駅のロータリーにこちらのポスターが掲示されていました。このあたりでは人気スポットなのかしら?
南口からまっすぐ歩くと、牧野庭園前という信号がありました。なんだか懐かしい感じのところでした。
練馬区がこの地を管理するようになってちょうど10年だそうです。
お庭には大きな松の木を初めとして、いろいろな種類の木がありました。300種類以上が植えられているそうです。
牧野博士が命名された植物もありました。
こちらは3種類の松の木のまつぼっくり。こんなに大きさが違うとは、びっくり。こちらのオレンジ色の花は「キツネのカミソリ」というのだそうです。彼岸花の仲間だそうで、花が咲くときは葉はまだだとか。
資料室には牧野博士の生涯がパネルで紹介されていました。
こちらは20歳の頃の写真。けっこうイケメンですね。
牧野博士が植物収集をしたときの道具が展示されていました。
こちらは植物を描いたもの。絵も精密でお上手でした。等身大パネルもありました。
ご家族。お子さんは13人いらっしゃったとか?大家族だったのですね。牧野博士は、植物分類が専門でしたが、和歌や都都逸も趣味だったそうです。
「草を褥に木の根を枕 花と恋して五十年」
「朝夕に草木を吾れの友とせばこころ淋しき折ふしもなし」
「沈む木の葉も流れの具合浮かぶその瀬もないじゃない」
数多くの歌を残していました。
私は庭園の植物よりも、博士の別の面を見たのが、面白かったですね。
さて、ギャラリートークの時間となりました。
続きはまたね。
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「一日一句」
武蔵野やキツネのカミソリ見つけたり
私もカンカンさんのブログを拝見して行ってきました。
返信削除吉祥寺からバスで大泉まで シルバー券で交通費はただ 往復同じ経路なので
吉祥寺でちょっとお昼を・・・
友を案内して とても喜ばれました。
うたどんさんも、いらっしゃったのですね。
返信削除私も帰り道は、バスで吉祥寺まで行きました。
植物好きの方には、とても喜ばれるお庭でしょうね。
子供連れの方も多くいらっしゃっていましたよ。
牧野記念庭園のレビューありがとうございます。いろいろ思い出しながら読みました。
返信削除植物学者では時代は少し前ですが、南方熊楠と牧野富太郎しか知りませんでしたが、若い頃から母や祖父から牧野富太郎のことは時々名前があがっていました。そういうものがあったからか牧野庭園にはたまに行っていましたが、ここで横山先生を知ったのも何か不思議なつながりを感じます。この前の高尾山の帰りに先生から牧野富太郎の晩年の話や標本を作ってよく持って行ったことなどいろいろお聞きしました。佐藤達夫とのつながりもあり、次々の連鎖が面白いと思いました。
初めて行った時は展示もしっかり見ていたのですが、改めてまた見ると牧野富太郎が一生東大の講師で終わったことが彼らしいかと思いました。独学で勉強して東大の助手・講師になられたけれど決してプロフェッサーにはならなかったということが。本当に研究が好きだったのだと思いました。
カンカンはおうちの方から牧野富太郎博士のことを聞いていたのね。
返信削除私は小学校で教えてもらったのかしら?
ちょうどお亡くなりになって文化勲章をもらった頃は、小学生だったので
それで先生から教えてもらったのかもしれません。
南方熊楠はすごい偉人でしたが、狂気を含んだ人でしたね。
でも牧野博士はほんわりと暖かいイメージがあります。
佐藤達夫さん、どなたでしょう?
やはり植物学者でしょうか。
佐藤達夫さんは佐藤雅子さんのご主人で元人事院総裁。何十年か前に亡くなりましたが、私は彼の植物画の画集を持っています。専門は違いますが、花の本をたくさん出されています。同じく牧野同好会の一人で横山先生も一緒に出かけたりしたと話されていました。今回調べたら、彼は戦後新憲法の作成にかかわった法制局の官僚でした。
返信削除佐藤達夫さん、思い出しました!奥様の名前を聞いて思い出しました。植物画を書いていた方なのですね。横山先生ともお仲間だったとは。
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