それが新聞の文字であっても、チラシ広告の文字であっても、インターネット上のニュースであっても、文字があると安心して、落ち着けるタイプです。
たぶん、それは昭和人間だという証かもしれないし、あるいは典型的な文系人間かもしれません。
というよりも、脳が老化していて、立体的にものごとを捉えるのが苦手になった、ということを意味しているのかもしれません。
(写真は無料サイトから拝借しました)
と、あれこれ屁理屈はありますが、文字(日本語)で書かれている小説を読んでいる時間がいちばん落ち着きます。
それは一人の作家が描き出した状況や登場人物を、私の頭の中で適当にイメージして、それを自分で動かせば、それで世界は完結すると言えるからです。
余分な音楽や、画像などの影響を受けず、自分で勝手に想像する楽しさがあります。
もし作家の言いたかったことと、私のイメージや感想が異なっていても、そんなに気にしないでいられます。
つまり自由気ままな世界にいられるのです。
ということで、原作を映像化された場合には、ほとんど幻滅してしまいます。
(先に映画などを見て、その後に原作を読んだ場合は別ですけどね。)
(こちらは自宅からの早朝の風景)
それに対して、世界中各地に古くからある舞や、映画、演劇、芝居などの世界は、原作者だけが作りだす世界ではありません。
物語を演じる俳優や、音楽、舞台装置や衣装などを担当する人のパワーがミックスされて出来上がる世界です。
そこには読み手(鑑賞者)が自由に入り込む隙はなく、目の前で繰り広げられる世界を受け入れて、楽しむことが一番です。
「すごいな」「うまいな」「かっこいいな」という感想があればあるほど、自分は感動するだけの立場になります。想像を膨らますこととは別に、目の前に繰り広げられるシーンをそのまま受け入れる態勢となります。
もちろん文学や演劇・映像の社会は、このような単純な考えだけでは割り切れないことは当然ですけどね。
コロナ禍に影響されて、社会情勢が変わっていくのにしたがい、昔ながらの文字世界や、映像や演劇などの世界も変わって行くと思います。
さて文字だけの文化というのは、いつまで続くのでしょうか。
私がまともに物事を判断できるのも、せいぜい後10年ちょっとくらいでしょう。
世界はこれからどうなることやら。
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「一日一句」
またサイレン熱中症かと気にかかる
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