2021年5月も最終日となりました。
このところ、緊急事態宣言の発令と、その後の延長が続いています。
私の場合はそれまでの曜日ごとの習慣もなくなり、毎日、メリハリのない生活となりました。いったい今日が何月何日だったか、分からなくなってしまうような日々ですが、それでも皐月は終わりということになりました。
という愚痴はさておいて、先日の府中用水散歩の続きです。
こちらの地図の右端(東)は狛江市となりますが、ここで左折して、北上しました。
「根川さくら通り」という標識がありました。このあたりの川は、根川と呼ばれていたようですが、別の資料では、根堀川と書かれているものもあり、どちらが正しいのかしら。
左手に広がる多摩川住宅は、全域が調布市だと思っていましたが、この川のあるところは、狛江市になるのでした。棟によって、市が違うのですね。
ちなみにこの団地は昭和40年に建てられたとか。
川にはあまり水は流れていませんでした。
合流地点がありました。
そこに何やら怪しい看板があったので、近寄ってみると、ここはかつては「玉翠園」という料亭があったそうです。明治39年に作られたそうで、当時は富士山を眺めながら、料理を楽しんだのだとか。
その石垣が残っていました。
このあたりを歩いていたら、川が消えてしまい、ちょっと焦りましたが、なんとか見つけました。
団地との境に流れていました。
道なりに歩いていくと、ここからは調布市という標識がありました。
川の水量はずっとちょぼちょぼですが、大雨が降ったときはどう変化するのでしょう。
しばらく歩くと、「せせらぎの散歩道」が出現しました。とてもきれいなところで、私が以前、通ったときにはまだ整備されていなかったと思います。
他にも紫陽花など、いろいろな花が植えられて、ベンチも置いてあり、ご近所の方には、素敵な憩いの場となっていることでしょう。
市内にこんな素敵な散歩道があると知ったのは、新発見でした。
古い看板がありました。
かつては根川、根堀、はけ田の川と呼ばれていて、それらが集まって流れていたとのこと。それでこの川は、いろいろな呼び方があったのですね。
この地域では、人々はその水で田を潤し、野菜を洗い、子どもたちは水遊びをしていました。
江戸時代は、ここは幕府領で、上ケ給村の人々は稲を育て、千町耕地と呼ばれていたそうです。
なるほど、歴史のある散歩道だったのですね。
この後、羽毛下橋のところで川はなくなりました。
このあたりには小学校が多くありましたが、かつては団地の子どもたちが通っていたのでしょう。今は団地も高齢化が進んでいるのではないかと思いました。
のんびりと歩いて始発点の京王多摩川駅まで戻りました。
«2021年5月29日»
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一日一句
なつかしき せせらぎの道 五月尽
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