2021年5月31日月曜日

せせらぎの散歩道

 2021年5月も最終日となりました。

このところ、緊急事態宣言の発令と、その後の延長が続いています。

私の場合はそれまでの曜日ごとの習慣もなくなり、毎日、メリハリのない生活となりました。いったい今日が何月何日だったか、分からなくなってしまうような日々ですが、それでも皐月は終わりということになりました。

という愚痴はさておいて、先日の府中用水散歩の続きです。

こちらの地図の右端(東)は狛江市となりますが、ここで左折して、北上しました。

「根川さくら通り」という標識がありました。このあたりの川は、根川と呼ばれていたようですが、別の資料では、根堀川と書かれているものもあり、どちらが正しいのかしら。

左手に広がる多摩川住宅は、全域が調布市だと思っていましたが、この川のあるところは、狛江市になるのでした。棟によって、市が違うのですね。

ちなみにこの団地は昭和40年に建てられたとか。

川にはあまり水は流れていませんでした。

合流地点がありました。

そこに何やら怪しい看板があったので、近寄ってみると、ここはかつては「玉翠園」という料亭があったそうです。明治39年に作られたそうで、当時は富士山を眺めながら、料理を楽しんだのだとか。

その石垣が残っていました。

このあたりを歩いていたら、川が消えてしまい、ちょっと焦りましたが、なんとか見つけました。

団地との境に流れていました。


このあたりの避難用の看板です。

道なりに歩いていくと、ここからは調布市という標識がありました。

川の水量はずっとちょぼちょぼですが、大雨が降ったときはどう変化するのでしょう。

しばらく歩くと、「せせらぎの散歩道」が出現しました。とてもきれいなところで、私が以前、通ったときにはまだ整備されていなかったと思います。


ゆりの花が豪華でした。

他にも紫陽花など、いろいろな花が植えられて、ベンチも置いてあり、ご近所の方には、素敵な憩いの場となっていることでしょう。


洋風庭園もありましたが、こちらは和風庭園といった感じの場所でした。

足元もいろいろと工夫されていました。


この石はどこから運ばれてきたのか、ちょっと気になりますね。

市内にこんな素敵な散歩道があると知ったのは、新発見でした。

古い看板がありました。



武蔵野の崖線「はけ」下には、湧き水が多く、沢蟹住み、ホタルが飛び交い、わさびが取れた、と書いてありました。

かつては根川、根堀、はけ田の川と呼ばれていて、それらが集まって流れていたとのこと。それでこの川は、いろいろな呼び方があったのですね。

この地域では、人々はその水で田を潤し、野菜を洗い、子どもたちは水遊びをしていました。

江戸時代は、ここは幕府領で、上ケ給村の人々は稲を育て、千町耕地と呼ばれていたそうです。

なるほど、歴史のある散歩道だったのですね。

この後、羽毛下橋のところで川はなくなりました。

このあたりには小学校が多くありましたが、かつては団地の子どもたちが通っていたのでしょう。今は団地も高齢化が進んでいるのではないかと思いました。

のんびりと歩いて始発点の京王多摩川駅まで戻りました。

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一日一句

なつかしき せせらぎの道 五月尽



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