川路聖謨という人のことは、幕末の物語を読んでいるとちょくちょくお目にかかる名前の人ですが、この名前をなんと読んで良いの分からない程度しか知識がない人でした。
「かわじとしあきら」と読むのだそうです。
つい先日も、NHK大河ドラマ「青天を衝け!」で、彼がピストル自殺をしたシーンを見ました。なんでも日本で初めてピストルで自殺した人だそうです。
テレビでは平田満さんが演じていましたが、憎めなそうな顔をした武士でした。
その川路が書いた記録を元にして、出久根達郎さんが書いたのが、この「桜奉行」という小説です。
川路という人は、生まれは大分(当時は豊後国)の下級武士の生まれですが、小普請組の川路家の養子となりました。その後、普請奉行、奈良奉行、町奉行、勘定奉行、外国奉行などを歴任しています。
この小説では奈良奉行をしていた当時のことが描かれていますが、奈良の行政や司法を担当していたようです。いわゆるお白州での場面も出てきます。
幕府の偉い地位にいた方ですが、四角四面の人ではなくて、ずいぶんとさばけていた人のようでした。
たとえば大家のご隠居姿に変身して賭博場へ行ってみたり、鹿の角切り行事を見学したりと、民衆の中へ入って行った人でした。
またこの人は非常に 筆まめな人で、日本各地に赴任しているその間、江戸に住んでいた母親あてに日記のようなものを送り続けていました。また出張先では、現地の方言などを記録して、それをノートのようなもの(当時は巻紙?)に細かく綴っていたそうです。また彼の家族(奥さんや息子)も筆まめで、いろいろな記録が残っているそうです。
そのような記録を元に、直木賞作家が描いた小説ですが、どこまでが史実で、どこからが創作であるかがよく分かりません。
たとえば彼はオナラをぶっ放すことが多かったそうですが、それと赴任地の奈良をかけて、おかしな和歌も作っています。ホントなのかしら。
川路の人柄と、出久根さんの筆により、ユーモアたっぷりに仕上がっていますが、意外な発見もありました。
たとえが彼は人付き合いも多く、高野長英や渡辺崋山とも交流があったそうです。ふーむ、教科書に出てくる名前があると、すごいなと思いますね。
またその当時でも、摂氏や華氏で図る温度計があったことなども書かれていました。
江戸幕府末期の有能官僚(ロシア使節のプチャーチンとも対応した)の中年の頃の話ですが、その後、大政奉還が終わり、江戸城攻撃の日に割腹の上、ピストル自殺をしたとは、忠実な家臣だったのでしょう。
ただしタイトルにあるような奈良に桜を増やした話は出てこないので、ちょっと肩透かしを食いました。
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今日は一日一句の代わりに、川路の辞世の句を載せておきます。
「天津神に背くもよかり
蕨つみ 飢えにし人の昔思へは」
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